第26話 君は我が命より

 ヘンリエッタからお小言を頂戴した後、食堂に入ると、俺の家族も、辺境伯夫妻も既に席についていた。フィリーナが、入室してきた俺たちを見て、嬉しそうに駆け寄ってくる。


「お兄ちゃん、セリアお義姉ちゃん、えっと……」


 だが、そこで固まってしまった。目が上下に左右にと彷徨って、何とか口に出す言葉を探しているようだったが、その努力は実を結ばなかったようだ。おそらくだが、俺たちを見て反射的に寄ってきたものの、新婚初夜を過ごしたばかりの夫婦になんと声をかけていいか、わからなかったのだろう。


 そうして、フィリーナが言葉を探して四苦八苦している一方で、フェリシアがセリアのもとにやってきた。


「ちゃんと女にしてもらいましたか?」


 フェリシア様ぁああ! 何てこと聞いてるんですかっ⁉ セリアも恥ずかしそうに「はい」と頷くのが精一杯という状況で、側で聞いていたフィリーナは真っ赤になって固まっていた。


 一方、娘の答えを聞いたフェリシアは満足そうに頷くと、俺の方を向いて微笑んだ。


「ラキウス君、責任を取って娘を一生大切にしてくださいね」


 からかうようにも聞こえる言葉。だが、その言には、娘を思う母の心が溢れていた。そして、その願いは、俺にとっても何よりも大事なことで───。


「もちろんです。一生大切にします。俺にとってセリアは、命よりも大事な人だから」

「ダメ!!」


 俺の誓いは、だが、セリア本人によって却下された。驚いて彼女の方を見ると、思いの外、強い視線にさらされてたじろいでしまう。


「無茶はしないでって言ってるのに、いつも無茶ばかりして。私が命より大事? そんな軽々しく言わないで! エヴァ様が蘇らせてくれたから良かったけど、あなたが死んでしまった時、私がどんな思いでいたか……。お願いだから、もう二度とあんな思いはさせないで!」


 一瞬、声を失ってしまった。死の淵から蘇った時、俺の横で震えるように手を握りしめていた彼女を思い出す。涙をこらえるように上を向いていた彼女を思い出す。


 彼女はこつんと、俺の胸に額を押し付けてきた。その小さな肩が震えている。ああ、こんなにも俺のことを思ってくれる彼女のことをどうして自分の命より劣後させることができようか。彼女のためなら、命さえも惜しくない。でも、そう言ってしまってはまた彼女を悲しませてしまうだろう。だから彼女の両肩に手を置き、努めて明るく、声をかける。


「大丈夫だよ。俺は竜の騎士なんだ。そうそう死んだりしないから安心して」

「竜の騎士の力がいくら強くても不死身ってわけじゃないのよ」


 残念ながら、俺の反論は通らなかった。彼女は真剣そのものと言った瞳で見つめてくる。


「あなたが死んだら、私も後を追うんだからね。私のためだと思って、死ぬような無茶はしないで」


 そうまで言われてしまうと、もはや反論の余地は無かった。諦めて彼女の愛の前に降伏する。


「わかったよ。改めて約束する。無茶はしない。でも、命云々は置いておいて、君が大切なのは本当だから。一生大事にするよ」

「うん……ありがとう」


 身を寄せてくる彼女のプラチナのような美しい髪を撫でる。いつまでもこんな幸せが続いてほしいと心から願う。だが、その余韻は、パンパンと言う乾いた音で中断された。フェリシアが手を叩きながら、こちらに微笑ましいものを見る目を向けている。


「はいはい、イチャイチャしたくなるのはわかるけど、それは二人きりの時にやりましょうね」


 二人、赤くなってバッと離れる。セリアの顔を伺うと、少しはにかみながら笑顔を返してくれた。良かった、もう機嫌は直してくれたようだ。彼女の優しい笑顔を眺めながら心の中で改めて誓う。この笑顔を曇らせるようなことは絶対にしないと。






 その後、両家揃っての食事となったが、食事が終わると、辺境伯から、今後のことについて驚くような依頼があった。なお、辺境伯自身は当初、領地に戻って領主代行を務めている息子レドリックと役割を交代するという予定にしていたが、それを翻し、王都にいったん帰還するらしい。


「マリア殿、フィリーナさん、お二人には、しばらくこの地でラキウス君と一緒にいて頂きたい。特にマリア殿はサディナには絶対に戻らないように」


 突然の申し出に、みんな混乱してしまう。フェリシアさえ聞いていなかったのか、驚きの目を向けていた。


「義父上、理由をお伺いしても?」


 身分差から理由を聞きづらい母さんに変わって質問する。いきなりこんな申し入れをしてくるなど、考えられる要因はあのネックレスしか無い。だが、例えそうだとしても、それが何故、サディナに帰るなと言うことになるのか、さっぱりわからない。しかし、辺境伯からも苦しそうな顔が戻って来るばかり。


「今はまだ言えない。いずれはっきりしたら、きちんと説明をするから」


 これは追及しても無駄なパターンだ。母さんの方を見て、首を横に振り、仕方ない旨伝える。しかし、母さんが帰らないとなると、サディナには父さん一人で帰るのか。


「父さん、母さんがいないからってリサさんとサラさんに手を出すなよ」

「おまっ、もう少し父親を信用しろ!」

「日頃の行いがなあ」


 身も蓋もない会話をしていると、母さんが苦笑しながら口を挟んで来た。


「父さんも最近は真面目にやってるのよ。そのくらいで許してやって」


 当の母さんが許すと言っているのであれば、もう俺から言うことは無い。一方で、フィリーナはどうするのだろう? 後一月半ほどで夏休みとは言え、まだ学期の途中だ。だが、フィリーナからはあっけらかんとした答えが返ってきた。


「え、私? もちろん、お兄ちゃんと一緒にいるよ」

「……お前、学院はどうするんだよ?」

「大丈夫。セリアお義姉ちゃんに教えてもらうから。お義姉ちゃん、次席卒業生だったんでしょう?」

「座学はいいとして、集団活動はどうするんだ? 秋には旅行もあるんだろう?」

「旅行は無くなったよ。誰かさんのせいでファルージャの神殿、壊滅しちゃったし……」

「あ、あれは俺のせいじゃ無いぞ!」


 いきなり過去のことをほじくり返されてしまった。しかし、あれは本当に俺のせいじゃ無い。直接的にぶっ壊したのはラーケイオスだし、ラーケイオスを起こしたのはリカルドだし、焚きつけて呪具を渡したのはサヴィナフだし───。まあリカルドは俺への復讐でやったし、サヴィナフは竜の騎士である俺の覚醒を狙っていたようではあるが、でも、俺のせいじゃ無い。───無い……よな?


「まあまあ、ラキウス君、フィリーナさん、そこまで時間をかけるつもりは無い。夏休み明けには戻れると思うから。王立学院には俺の方から言っておくようにするから心配はしないでくれ」


 辺境伯が安心させるように言ってくるが、逆に言うと、夏休みまでの一月半では解決しないと言われているのと同義だ。まあ、義父である辺境伯に依頼されて断れるはずも無いのだが、何か大きな厄介ごとが隠れていそうな気がする。「やったあ、お兄ちゃんと一緒にいられる!」と無邪気に喜んでいる妹を横目に見ながら、少しだけ憂鬱な気分になってしまうのだった。

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