第24話 初めての夜

 パーティーが終わり、今は自室。

 それにしても今日はいろいろあった。特に200人からの祝辞を受けるのは、流石に疲れた。精神的にもかなり疲弊している。しかし、こんな事で潰れているわけにはいかない。何しろ今日は結婚式だったのだ。セリアと夫婦になったのだ。だとすると、あれだ。初めての夜的な。そう、初夜である!


 今、セリアは部屋にはいない。着替えに湯浴みと、別室で侍女たちにせっせと世話を焼かれているところだ。準備が終われば、この部屋にやって来るだろう。待ち遠しい。心臓がバクバクする。ようやく、ようやくだ。想い続け、焦がれ続けた彼女とついに結ばれる。


 どれくらい待っただろうか。パーティ会場を出て、彼女と別れてから、まだ少しの時間しか経っていないのに、随分長いこと待っているような気がする。少しだけ焦れてきたところで、ドアがノックされた。飛び跳ねるようにドアの所に行き、扉を開ける。そこに純白の花嫁がいた。


 ウェディングドレスは当然、既に脱いでいる。代わりに纏うのは床に届きそうな純白のナイトドレス。上質のシルクで織られた、清楚でありながら、どこか煽情的な夜着。大きく開いた胸元にはレースがふんだんにあしらわれ、存在感を主張する女性的な柔らかさと共にセリアの美しさを際立たせていた。その姿から目を離すことが出来ず、ただため息を漏らす。彼女はそんな俺の視線に、はにかむような笑顔を浮かべるのだった。頬が桜色に染まっているのは、上気しているのか、湯浴みで体温が上がっているせいか。


 彼女を急いで部屋に招き入れると抱きしめる。


「セリア」

「ラキウス」


 抱き合い、見つめ合い、お互いの名前を呼び合っているだけで幸せな気持ちが湧き上がって来る。その気持ちに流されるがまま彼女に口づけた。幾度となく重ねた唇。だが、今日こそは特別だ。彼女の夫として、妻への口づけ。唇を離すと、彼女の瞳も潤んでいる。


 その美しい瞳に吸い込まれそうになり、一気に気持ちが昂るが、その思いを必死に抑える。流石にそんなにがっついては彼女も傷つけてしまうだろう。一旦彼女から離れ、心を落ち着ける。


 ベッドサイドに二人並んで腰かけると、用意しておいたカクテルのグラスを渡した。


「乾杯」


 チンっとグラスの重なる音が響く。パーティーでも乾杯したが、二人だけでの静かな乾杯。のどを潤すカクテルが心地よい。


「セリア、疲れてない? 今日はいろいろあったし」

「大丈夫。でも本当、いろいろあったわね」

「うん、お義父さん、何をあんなに驚いてたんだろうね」

「あの驚きようだと、かなり高位の貴族の紋章なんだと思うけど。ラキウスのお祖父さんって実は有名な貴族なのかも」

「今となっては、あまり関係ないけどね」

「……そうね。竜の騎士だもんね。……竜の騎士が旦那様なんて、もしも、あなたと出会う前の私に会えたとして、話しても信じてくれないだろうなあ」


 少し遠い目をしているセリアを見て、出会ったばかりの頃の彼女を思い出す。確かにあの頃、将来俺たちが結婚するなんて思いもよらなかっただろう。俺はあの頃からずっと、ずっと彼女を想い続けてはいるけれど。そう言えば、最初、「何でこのクラスに平民がいるんですか?」なんて言われたなあ。そう思ったら、自然と笑みが漏れた。彼女がその笑みを捉まえて不思議そうな顔をする。


「何笑ってるの?」

「ううん、最初に会った頃の君を思い出していたんだ。確かにあの頃、俺たちが結婚するなんて思えなかったよなあって」

「あ、あれは悪かったと思ってるから」


 あたふたと慌てている彼女が可愛い。こんな表情を見せてくれることさえ、出会ったばかりの頃は想像もできなかった。完全に気を許しているが故に見せてくれる可愛い素顔。こみ上げてくる愛おしさそのままに、彼女に手を伸ばすと、頬をそっと撫でる。


「謝る必要は無いよ。前にも言ったじゃない。君自身がどう思っていようと、君は俺を助けてくれたんだ。そして俺はそんな君にずっとずっと恋してる」

「あ、ありがと……」


 赤くなった顔を見られないように顔を逸らしてしまった彼女の髪を優しく撫でる。上質のシルクすら凌ぐ繊細さと滑らかさが指に心地いい。そうやって髪の感触を楽しんでいると、彼女がぽすん、と頭を俺の肩に乗せてきた。その姿勢で上目づかいに見つめてくる。


「ラキウス、私、幸せよ」

「俺もだよ。この世界に来て、君と出会えて。今だからこそ思える。俺は君に出会うためにこの世界に来たんだ」


 セリアと出会って世界が変わった。ただ楽に生きるための手段として、漫然と貴族になることを目指していた俺が、彼女に並び立てるように、横に並んで恥ずかしくないようにありたいと思えるようになった。努力して、いくつかの幸運も手伝って、伯爵、竜の騎士と呼ばれるまでになった。彼女と出会わなければ、どれも達成できていなかっただろう。俺にとって、彼女こそが運命の女神なのだ。


「そう言えば、あなたは別の世界から来たって言ってたものね」

「うん」

「ねえ、ラキウス、あなたが以前いた世界ってどんなとこだったの?」


 彼女が興味津々と言った風で聞いてくる。それはそうだろう。異世界なんて普通の人は知らない。俺だって転生なんて無ければ、自分が生まれ育ったところと別の世界があるなんて知りもしなかった。むしろ、彼女がこれまで聞いてこなかったことが不思議なくらいだ。


「……そうだなあ。俺がいた世界には魔法が無くて竜もいなかった。代わりに科学が発達した社会だったよ」

「カガク……?」

「自然界の原理や法則を解き明かす学問かな。俺がいた世界には魔法が無かったから、何をするにも科学の力が必要で、そのおかげで急速に技術が発達したんだ。恐らく、この世界より400年から500年は進んだ世界だと思う」

「そんなに?」

「ああ、便利なものがいっぱいあった。暑いときに涼しくする機械とか、何百人も人を乗せて空を飛べる乗り物とか」


 それから、俺は彼女に前世での様々なことを伝えた。科学技術のことだけでなく、歴史のこと、文化のこと、様々なことを。ただ、最初は興味深そうに聞いていた彼女の表情に徐々に陰が差す。最後の方は、聞いているのか、聞いていないのか、どこか上の空だった。そんな彼女がポツリとこぼす。


「そんなに進んだ世界だったとしたら……帰りたい、と思う?」


 見つめてくる眼差しがわずかに揺れている。そこに宿るのは怯えか、不安か。俺が元の世界に帰ってしまうのを恐れているのだろうか。この世界に来た経緯が経緯なだけに、元の世界に帰るなど、そもそも考えたことすら無かった。そのため、彼女がそんな考えに思い至るなど、思いつきもしなかったのである。これは失敗だったかもしれない。


「いや、そもそも帰る方法なんて分からないし、帰りたいとも思ってないよ」

「本当に?」

「本当さ。だって、元の世界には君がいないじゃ無いか。例え、どんなに進んでいても、どんなに便利であったとしても、君がいない世界なんか、俺には何の価値も無い」


 そう言うと、半ば強引に抱き寄せる。彼女は俺の腕の中で少し安心したのか、力を抜いた。


「……ごめんなさい。幸せ過ぎて急に怖くなったの。これが夢だったらどうしよう、あなたがいなくなってしまったらどうしようって」

「夢じゃ無いよ。約束する。君を残していなくなったりしない。ずっと君の側にいるよ」

「約束よ、私を離さないで」


 彼女から俺の首に腕を回してキスをせがんでくる。ついばむようなキスを何度も交わし、お互いの唇を味わう。そこからさらに一歩踏み込んで、舌を割り入れると、一瞬ビクリとした反応が返ってきたが、すぐに彼女も応えてくれた。お互いの口腔が溶け合ったかのような、甘い痺れるような感触。蕩けるような彼女の表情に理性も溶かされていく。彼女の耳朶を甘噛みし、そのまま首筋に唇を這わすと、彼女の口から甘い声が漏れた。その声と彼女の濡れた瞳に、最後のタガが外れる。


「セリア、好きだ、大好きだ! 絶対に君を離さない! 君は、俺のものだ!」


 女性をもの扱いするのかと怒られそうなセリフ。だが、彼女も思いは一緒だった。


「嬉しい。私を、あなたのものにして!」


 強く、強くお互いの身体を抱きしめ、狂おしいまでに唇を求めあう。そのまま俺たちは、ベッドに倒れこんだのだった。

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