第8話 あなたに出会えて幸せです

「……綺麗だ」


 迎えに訪れた辺境伯邸の客間で、ドアを開けて現れたセリアの美しさに心が震える。白と青を基調としたタイトドレスが、女神もかくやと言わんばかりの彼女のプロポーションを際立たせ、少し後ろに編みこまれた髪を彩る水晶の髪飾りが清楚さを醸し出している。


 その美を湛えなければ、そう思うのだが、うまく言葉が出て来ない。自分の語彙力の無さにもどかしさを感じるが、心から感動してしまうと、人は無口になってしまうものらしい。それ位、彼女は美しかった。俺は震える手を差し出し、彼女の手を取った。


 今日は卒業式の前夜祭。前世で言えば、アメリカにプロムなんて風習があって、それに近いかもしれない。もっともダンスパーティーなどでは無いし、パートナーがいなくても参加できるし、なんなら1年生も参加可能だ。去年病院のベッドの上だった俺は参加できなかったけど。





 会場に着くと、多くの人出に圧倒される。いつも人数が少ない特待生クラスを見慣れているせいで、学院にこんなに生徒がいると言うこと自体に驚いてしまう。セリアとはぐれぬよう、手をつなぎながら人波をかき分け、歩いていると、向こうからソフィアがやって来るのが見えた。一時期のやつれていた感じは影を潜め、元の元気な姿に戻っている。


「ラキウス君、すっかりセーシェリアと仲良くなったんですね。お嫁さんにしてもらおうと思ってたのに残念です」

「ソフィア様、それは冗談だって言ってたじゃないですか!」

「ソフィア、あなたねえ!」


 ソフィアの爆弾発言に慌ててしまう。セリアも同様のようだ。だが、ソフィアはそんな俺たちを見るとクスっと笑って、それから少し真面目な顔になる。


「冗談ですよ。もっとも、あの時……お嫁さんにもらって、と言った時は冗談のつもりではありませんでした。でも……正気であったとも言い難いです。あれから考えました。そして思ったんです。私はもう、夫となる人に自分の人生を委ねるのはやめようと。不確かであっても、自分の力で人生を切り開こうと」


 そう言ったソフィアの顔は晴れ晴れとしていた。


「ラキウス君、セーシェリア、見ていてください。私はいずれ、この国初の女性宰相になってみせますわ!」


 セリアが呆気に取られている。それ位、ソフィアの考えはこの世界では異質なものだ。男性優位の貴族社会で、結婚せずに女性が上を目指す。それがどれほど困難な道であることか。しかも、話を聞くと、彼女は平の文官から始めると言う。彼女の立場なら、王国宰相である父の秘書官などに就任することも可能だと言うのに。そこには、彼女の強烈な自負が感じられた。自分はそこからでも這い上がって見せる、と言う。


「ソフィア様なら必ず成れますよ」


 心からそう思う。そして応援せずにはいられない。


「ええ、いつかこの国の宰相として竜の騎士であるあなたを支えましょう。でも、私が困った時には助けてくださいね」

「ええ、必ず」


 将来の協力を約して別れる。今ひと時、道は分かれようとも、いつか必ず、彼女の進む道と俺の道は交わるだろう。その時を楽しみにして。





 ソフィアと別れた後、知り合いに挨拶して回った。マティスは財務卿の首席補佐官を務める父親の秘書官をするようだ。ソフィアとつい比べてしまいそうになるが、これは別に甘えでは無い。この世界ではマティスの生き方の方が普通なのだ。


 エルミーナは魔法士団に属する魔法研究所に研究技官として勤めることが決まったとのこと。研究を手伝っていた治癒の魔法陣は、最近大きな進展を見せ、研究所に入った後は、動物実験も始めようという話になっているらしい。今後の進展が楽しみである。


 寮で同室だったライオットは辺境伯家の護衛騎士、レイノルズは第10騎士団、パルマーは文官として仕えることが決まった。みんな、それぞれの道を歩むことになる。


 それにしても、この場にカテリナがいないことが寂しいことこの上ない。テシウス殿下亡き今、もしも自由の身だったなら、彼女はどういう道を選んだだろうか。彼女のことだから、夢である大海原に乗り出していたかもしれない。エヴァが彼女を無下に扱っているはずは無いが、貴族のしがらみから解き放たれた彼女の姿を見てみたかったと思う。高潔で、どこまでも真っすぐだった彼女の幸せを祈らずにはいられない。





 考え込んでいたら、ひときわ大きな歓声が上がった。何事かと思ったら、ミスター&ミス王立学院のコンテストだった。毎年の恒例行事で、その年で最も人気、人望、実績のある男女を全校生徒の投票で選ぶと言うものらしい。ちなみに、セリアは去年もミスコン部門1位だったそうだ。去年の段階だと、まだアンチ派閥のカーディナル侯爵家などの影響力が残っている状況のはずだが、それでも1位とはさすが絶世の美少女である。


 演台の上では、司会役の男女がノリノリで上位陣の発表をしている。


「それでは、ミスター部門、第3位は……1年特待生クラスのクラウス君だ!」


 歓声が上がっているが、あいにく、学年が違うから、良く分からない。でも、かなりのイケメンだし、女性陣から人気あるんだろうなと思う。


「続いて、ミス王立学院、第3位。……2年特待生クラス、ソフィア様だ!」


 ソフィアが第3位か。本人は「あらあら、2位狙いだったんですけど」なんて言いながら、壇上に上がって、にこやかな笑顔を振りまいている。


 続く2位は、男女とも2年の普通クラスのメンバーだった。俺の良く知らない人である。


「さあ、それではお待ちかね! 第1位の発表だ。まず、ミスター王立学院第1位は……2年特待生クラス、ラキウス君だ!」


 え、俺かよ? 壇上に上がったら、残念でした!とかのドッキリ企画じゃなかろうな? 困惑しながら壇上に上がる。すると、司会が一層声を張り上げた。


「それでは、いよいよ、注目のミス王立学院第1位の発表だ! 第1位は……なんと一人で全投票の過半数を獲得しているぞ! 2年特待生クラス、セーシェリア様だ!」


 セリアが苦笑しながら壇上に上がる。2年連続のミス王立学院獲得も凄いが、得票数がえげつないね。さて、全員が壇上に登ったところで、司会から受賞者に対する投票者からのコメントをいくつかピックアップして紹介することになった。


「それでは、第1位のラキウス君とセーシェリア様へのコメントを紹介するぞ。まず、セーシェリア様へのコメントからだ! 最初のコメントは、おっと、『結婚してください!』だ、これまたストレートだな」


 みんな爆笑している。ふざけんな! セリアは俺と結婚するんだよ。


「続いては同じようなコメントを二つ紹介するぞ。『セーシェリア様、男の趣味は改めた方がいいです!』、それに『セーシェリア様、血迷っちゃダメです!』だ」


 喧嘩売ってんのか、お前ら!


「さてさて、みんなの切実な声が聞けたね。では、ラキウス君へのコメントだ。一気に紹介するぞ!『セーシェリア様を独り占めすんな!』『全男子生徒の敵!』『スケベ!』、以上だ!」

「おい、コメントのチョイスに悪意あり過ぎだろ!」


 俺の抗議もみんなの大爆笑にかき消されている。セリアも笑いをこらえるのに必死と言う感じだ。司会も笑いすぎて涙を拭いながら1枚の紙を取り出した。


「それでは、最後にラキウス君にこのコメントを送って終わりにしよう」


 なんだ? これ以上、アホなコメントがあるのか? 身構えた俺に司会はゆっくりとその言葉を読み上げた。


「『この学院で、あなたに出会えて幸せです』」


 ───ずるいぞ、こんなの不意打ちだろう。胸がいっぱいになって何も言えなくなる。誰からのコメントかなんて言われるまでも無い。横を見ると、セリアが少し恥ずかしそうに頬を染めていた。ああ、俺もそうだ。君に出会えたことが俺の最大の幸せだ。


 周りも大盛り上がりだった。ピーピー口笛を鳴らす奴、手を叩く奴。彼らの声が段々と一つになって行った。


「キ・ス! キ・ス! キ・ス! キ・ス! キ・ス! キ・ス!」


 いやいや、それはダメだろう。辺境伯に人前では節度を保てと言われたし───。

 でも、この空気には抗いがたい。何より俺自身が抗いたくなかった。

 セリアを抱き寄せる。彼女も抵抗しなかった。


 周囲の歓声が一気に大きくなる。「おめでとー!」とか、「お幸せにー!」とか言う声に交じって「ラキウス死ねー!」とか言う声も聞こえてくるけど、そう言う声すら笑っている。


 俺達はその、全校生徒の祝福を背に、口づけを交わしたのだった。





 翌日の卒業式。首席卒業生として代表挨拶をしたのはソフィアだった。セリアは次席に留まった。でも、彼女はそう言った事にはこだわらなくなったのか、終始さばさばしていた。そして、俺の成績表には次のように書かれていたのだった。


「番外、評価不能」

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