アラバインの竜王 ~平民に転生したけど一目惚れした貴族のお嬢様に釣り合う男になりたい~

英 悠樹

プロローグ

 どこかの世界、どこかの時代。アラバイン王国と呼ばれるその国の、王宮の中を一人歩く男がいた。

 男はこの王宮の主。至高の存在。王と呼ばれる男、その人である。

 だが、その表情に覇気は無く、足取りは重い。

 無理も無い。彼はたった今、長年連れ添った最愛の妻の最期を看取ってきたばかりなのだ。


 男は、衛兵に、誰も部屋に入れないよう命じて、自室に入る。向かった先は、生前、妻が使っていた鏡台。そこには今はほとんど何も置かれていない。若かりし頃、王国一の美姫と讃えられた彼の妻の美を彩った化粧品の瓶の類は今はもう空だ。


 男は鏡台の椅子に腰を下ろすと、鏡を覗き込む。そこにはまだ若い、20代後半くらいにしか見えない男の顔が映っていた。実際の男の年齢は70歳を超えているにもかかわらず、である。


 竜の魔力の器たる、「竜の騎士」としての運命を受け入れた時、器としての容量が拡張された彼の身体は寿命までもが拡張された。他の人とは同じ時を生きられない、そう聞かされた時、ピンと来なかった。その時には彼はまだ実際に若かったから。だが、時が経ち、共に戦ってきた仲間は次々と彼を置いて世を去った。そして、最愛の妻を亡くしてしまった今、彼は一人だった。いや、実際には、一人だけ仲間が残っているけれど、自らを苛む悲しみと孤独に打ちのめされる彼には思い至ることが出来ない。


 男は鏡台の椅子に深く体を預け、天井を仰ぐと、誰に呼びかけるともなく呟いた。


「セリア……」


 それは彼が生涯をかけて愛してやまない妻の名前。だが、その呼びかけに応えてくれる妻はもういない。


 天井を眺めながら、男はこれまでの人生を振り返っていた。

 嵐のようでもあり、夢のようでもある人生だった。

 平民であった彼が、王と呼ばれるまでになった。

 恋焦がれた女性と一緒になり、生涯を共にすることもできた。

 幸せな人生だったことに疑いは無い。

 だが、これから続くであろう長い長い時間、彼は何を支えに生きて行けばいいのか。寿命が拡張された彼は、これからどれほどの時を生きていくのかすらもわからない。 100年? 200年? 永遠にも思える時間。それは時の牢獄にも等しかった。


 男は鍵を使うと鏡台の引出しを開ける。そこには黒く光る魔石のネックレスが入っていた。

 ただの魔石ではない。魔力を流せば苦痛無く死を迎えられる自決用の魔石。

 男がセリアと出会って間もないころ、彼女が持っていた魔石。

 彼女を狙う刺客の一団に取り囲まれて、男に一人で逃げろと言いながら、自らは死を覚悟して、震えながら握りしめていた魔石。

 これを首に掛けて魔力を流せば、彼女のもとに行ける……。

 男にとって、それは、これ以上無い程、甘美な誘いいざないに思えるのだった。


 だが、彼がその誘惑に身を委ねようとした時、ドアが開いて、一人の女が入ってくる。


「誰も入ってくるなと言ってただろう!」


 叱責する男の声を無視して、女はずかずかと無遠慮に近づいて来る。それはまるで男の心の中に踏み込んでくるかのよう。

 女は今やただ一人残った仲間、「竜の巫女」リアーナだった。


 彼女は男の手に魔石があるのを見て、焦ったように駆け寄ると、「いけません!」と、それを奪い取った。そうして、ようやく安心したのか、男を後ろから優しく抱きしめる。椅子に座っているせいで一段低くなっている男の後頭部が彼女の胸に当たっているが、彼女が気にした様子は無い。男の自死を未然に防いだ彼女は男の耳元に唇を寄せると優しく囁いた。


「ダメですよ、ラキウス様。後を追おうとするなど、セリア様に怒られてしまいます」


「そんなことはわかってる」、そう反論しようとしたラキウスの言葉は、リアーナの続く言葉に封じられた。


「お辛かったでしょう。愛するセリア様が亡くなられたのに、王として、臣下の前で涙を見せることも許されない」


 でも、とリアーナは言う。


「たとえ王であろうとも、悲しいときは泣いていいのです。ここには私しかおりません。誰も見ていませんよ」

「お前が見ているじゃないか」

「ラキウス様と私は一心同体ですもの。何を今さら、ですよ」


 彼女はラキウスの髪を撫でる。彼に注ぐ優しい眼差しと共に。


「もっとお心に素直になればいいのです。私が受け止めて差し上げますから」


 その、どこまでも優しい声に導かれるかのように、ラキウスはリアーナに縋り付いて大粒の涙をこぼしていたのだった。まるで母親に取り縋って泣く幼子のように。


 数刻の後、ソファの上でリアーナに膝枕されて泣いている王の姿は臣下にはとても見せられるものではなかったろう。

 慟哭の涙は枯れ、今は微かに嗚咽が漏れるのみ。


「少しは落ち着かれましたか」

「ああ、お前にはいつも助けられているな」


 実際にはまだまだ悲しみは消えていない。生涯を共に過ごした半身を引き裂かれた。その痛みが簡単に消える訳も無い。それでも、少しだけ、本当に少しだけ心が軽くなったようにラキウスは思う。一方、そんな男の思いを知ってか知らずか、リアーナはフフッと茶化すような笑みを浮かべるのだった。


「ラキウス様はいくつになっても手のかかる弟みたいなものですからね。お姉ちゃんは大変なんです」


 ……ああ、彼女はいつもこうだった。そう、ラキウスは思う。


「ラキウス君はダメダメな弟君ですね」、そう言いながら、いつも彼を支えてくれていた。

 自分の方が年上だからと、自称姉としてウザ絡みしてきて、でも、彼はいつもそれに助けられていた。

 今や唯一残った仲間。ただ一人、ラキウスと同じ時を歩むことができる存在。それは彼女の生まれによるもの。人間とハイエルフのクォーター。その美しさは、かつてセリアと王国一の美姫の座を争った頃そのままだ。


「もっと甘えてもいいんですよ。何だったらおっぱいでも飲みますか?」


 リアーナがからかうような口調と共に、襟元をピラっとめくってみせた。それはもちろん、膝枕されて下から見上げている状態では、ラキウスに開いた胸元の奥が見えることは無いとわかっての行動。だが、ラキウスは思わず視線を逸らしてしまう。はるか以前、心ならずも彼女の胸を見てしまったことを思い出してしまったから。羞恥で赤くなってしまった顔を誤魔化すように、ラキウスはぶっきらぼうに呟くのだった。


「それじゃ姉じゃなくて母親になってしまうな」


 その言葉にリアーナはクスクスと笑う。こんな時にもかかわらず、いや、こんな時だからこそ、以前と変わらぬその笑みは、ラキウスの心に染み入るのだった。その後しばらく、二人の間に言葉は無い。リアーナはただ優しく、自らの膝に頭を乗せている男の髪を撫でていた。その瞳に限りない慈しみの光を宿して。そうやって、どのくらいの時間が流れただろうか。


「ねえ、ラキウス様。私にラキウス様のこれまでの旅路を教えてくださいませ」


 突然の申し出にラキウスは戸惑う。竜の巫女であるリアーナと竜の騎士であるラキウスは心の奥底でつながっている。パスと呼ばれる回路を通せば、どんなに離れていようとも意思疎通ができるのだ。それだけでは無い。視覚や聴覚の共有すら可能。まさに一心同体。この力を使い、二人はずっと一緒に戦ってきたのだ。今さら言葉を介する必要など無いはず。だが、その指摘に、リアーナは首を横に振った。


「いいえ、教えていただいてないこともありますし、それにラキウス様はパスの制御が下手っぴぃで、聞きたくないことまで聞こえてくるから、こちらから奥を覗かないようにしていたんですよ」


 そう言うと再びいたずらっぽい光が彼女の瞳に宿る。


「セリア様への想いが駄々洩れで。前にも申し上げませんでしたっけ、『ねやを共にしている男から別の女への睦言を耳元で囁かれている気分だ』と」


 だから、と続ける。


「ラキウス様の口から直接お聞かせくださいませ。平民として生を受けながら、『アラバインの竜王』と呼ばれるまでに至ったあなたの足跡そくせきを」



 ラキウスは語り始める……。

 一目惚れしてしまった貴族のお嬢様、今は亡き愛する妻、セリアに釣り合う男になりたい。ただその一心で駆け抜けてきた半生を。

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