狩人の憂鬱
富永夏海
狩人の憂鬱
狩人にも憂鬱な日はある。当然だ。生理の日なんか最低だし雨天はだるい。狩りをしたくない日も当然あるがそういう日に限って依頼が舞い込んでくる。今すぐに必要だという。泣きながら言われる。夫が食いちぎられたんだと言われる。娘がさらわれた。今年の作物はぜんぶだめになった。
民草は狩人に過分な期待をする。それはわからないでもないことだ。狩人はなんだってできる。そうあってほしいと望むのも、わからないでもないことだ。
あの犬どもは凄まじい勢いで繁殖する。生まれてすぐは首は一本だがちょっとでも目を離すと三つになっている。双頭になることもあるがどこでそう分岐するのかの生物的仕組みは解明されていないし、狩る側にしたら双頭も三つ首もさして変わらない。罠を撒いて屠る、ただこれだけだ。罠を撒いて屠る。ただこれだけの愚直な繰り返しによって糊口をしのいでいる狩人たちは、予想通り、あまり社会性を有していない者が多い。一般論だ。もちろん一般論だが、狩人が大概単独で狩りをこなすことを考えれば、この考えは妥当だろう。まず犬狩りなんて誰もやりたくない。恐ろしいし、臭いし、何の名誉にもならない。武勇伝の種にするにはリスクが高すぎる。そんなところにあえて飛び込むものは、他のどんな仕事にも適性がなくて、優しい人間性やらでなんとか折り合いつけてやっていくような資質もなく、最終的に危険依存症になってしまったものたちしかいない。
「危険依存症とはまたうまい言い方だな」
ブランデーを舐めながらカイユは言った。
「認めるよ。お前は口がうまい。なんでこんな陰鬱な仕事をしてるかわからないくらいに」
「依存症だからさ」
「まあそうだろうな。それ以外ありえない」
「あんたはなんで?」
「そりゃあ顔が欲しいからさ」
カイユには顔がない。黒曜石でつくった仮面を常につけている。
「顔を作るには金が要る。ざっと見積もっても五千万だとよ」
「破格だな。顔全部だろ? 歯だけだって相当するのに」
「馴染みなんだよ。一度耳を作ってもらったことがある。模擬耳翼じゃない、ほんものの肉の耳だぜ。ほらよ」
伸ばしっぱなしの黒髪を引きあげてくるが、それは蛋白質をめちゃくちゃに捏ねてくっつけたようにしか見えなかった。だが価値観は人それぞれだ。
人生になんの期待もしていない。狩人においてそれは資質となる。犬狩りをして、いいことなどひとつもない。粘っこい黒い血にまみれれば、何日も臭いは取れない。村人は歓待してくれているようでいて本当は見下している。あんな大きな生き物を殺すなんて。それを生業にしてるだなんて。イカれてる。
臭えんだよ。
とっととやってとっとと出てけ。
女だって? 世も末だ。
女が獣を屠ってる。
可哀想に。
「被害妄想じゃねえか?」
カイユは言うが、私は首を振る。
「いや違うね。肌で感じる」
「だったら酒でも飲んで麻痺させちまうことだ」
それが怖いから酒は飲まないようにしている。痛みを感じなくなったらおしまいだ。なんのために生きてるのかわからなくなる。
「ねえカイユ。あんたはすごい狩人だ。でもね。私があんたより秀でてることがひとつある」
「ほう。なんだ?」
「痛みを感じること」
そんなものは皮膚もろとも剥ぎ取ってしまえばいいと思っていた。だけど痛みは私の中まだ。そう思うようになった。痛みによって私は覚醒する。何もなければ死んだまま生きてるような状態だろうが、痛みによって瞳を開いていられる。
「死にてえだけなのに、なんだってこんなに人生は長えのかね」
ブランデーを新たに注ぎながらカイユが言う。
「死んじまう、その瞬間をずっと待ってるだけなのに、その瞬間が来るまでの果てしない暇をつぶしてるだけなのに、なんだって時間はこんなに沼みてえに粘りやがるのかね」
それはこっちのせりふだ。あんたには顔っていう楽しみがある。
「それだってよ、ただの口実よ。目的ってもんがねえと、死んじまうようでな。だがよ、犬っころにやられたって思われたらダセえだろ? だからなんとかしてしがみついてるだけだ。名誉なんていらねえが、ダセえやつだったとは思われたくねえからな」
ぬるい雨。こんな日は一日中寝ていたい、もしくはもうこんな日は死んでもいいかなと思える。だがこんな日に限って必ず依頼がある。妻が殺された。目の前で子供を屠られた。陰惨は尽きない。あなたの理想の狩人ではないかもしれないが……と私は思う……すぐに行こう。依頼人の顔に安堵をみとめる。そしてやはり冷ややかな軽蔑も。だけどこんなふうにして私たちは共存している。今日も黒光りする肉を屠る。そうしていれば一時は生ぬるさを忘れられる。誰ともつながらなくていい生業。肉に刃物を突き立てるごとに目が覚める。三対の眼が激しく燃え、燃え尽きるのをながめ、優越感を覚える。それ以外の時間、私の頭は眠っている。こんなふうにして前に進んでゆけるならそれでいいなと、最近はそう思うようになった。カイユの新しい顔を見るまでくらいは、生き残っていたいなと、そんなふうに望むようにもなった。〈了〉
狩人の憂鬱 富永夏海 @missremiss
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