36.大切な人

 フェアリーボックスを後にすると、リジンのおすすめのカフェに移動した。食用の花で飾られたケーキが看板商品の「フラワーガーデン」というカフェで、フォラド内に五店舗ある。そのうち、一番人気がある目抜き通りの一号店に入った。

 紅茶と一緒に花とクリームが乗ったシフォンケーキが運ばれてくるまでの間、ロティアもリジンも、フフランさえも話をしなかった。固く口を結んで、白いレースのかかったテーブルを見つめていた。




「……ごめんね、急に」


 テーブルの上を美しい食器とケーキで飾り付けたウエイターが去ると、リジンの不安そうな声が上がった。ロティアとフフランは弾かれたように顔を上げる。リジンは眉をハの字にして、控えめな笑みを浮かべていた。

 その表情に、胸が苦しくなり、ロティアはすぐに声を出せなかった。何度か口をパクパクさせてから答える。


「……どうして、リジンが、謝るの」

「だって、急に話そうって……。心の準備がいるかもしれないのに、強引に誘っちゃったから」

「そんなの、気にしないで。むしろ、切り出してくれて、……ありがたかったよ」

「それならよかった。俺に何か話があるから、会いに来てくれたんだよね。俺の誕生日、ロティアは知らなかったはずだから」


 マレイが本当の理由を隠すために嘘をついてくれたことも、リジンは気が付いていたようだ。ロティアは苦笑いをして「うん」と答える。フフランは羽根の先でくちばしをこすり、「よしっ」と言った。


「腹をくくるぞっ、ロティアッ」


 フフランはロティアのケーキのお皿の隣に立ち、鳩胸をムンッと膨らませた。


「準備してきただろう」

「……うん」


 フフランがくるっとリジンの方を向くと、ロティアもリジンに向き直った。

 リジンは下唇を少し噛んで、ジッと見つめてくる。

 ロティアは太ももをギュッと椅子に押し付け、カラカラになった口を開いた。


「……リジン、あのね。わたしは、リジンに、また絵を描いてほしいんだ」

「……うん」

「……リジンが、魔法が理由で、今は、筆を置いてること、理解してる。その考えは、否定しないよ」


 リジンは微笑を浮かべて「うん」と答える。


「……でも、わたしの目には、リジンが、絵を、描きたいと思っているように、見えて」


 リジンは何も答えない。ロティアの心臓がドキッと飛び跳ねる。


「だ、だから、いろいろ調べたんだ、魔法について」

「……えっ」


 ロティアは震える手を何とか動かして、カバンから手帳を取り出した。

 社員に答えてもらった膨大な量のアンケートは、今は手元にはない。リジンの家に置いてきた大きなボストンバッグの中だ。しかし気になった話は手帳に書きつけてあったのだ。


「リジンと全く同じ魔法を使う人は、いなかったんだけど。わたしが所属してる魔法特殊技術社には、本当にいろんな魔法を使う人がいるんだ。破いた紙を戻したり、曲がった針を直したり」

「……役に立ちそうな魔法ばかりだね。すごいな」

「それが、そうでもないんだ。わたしのインクを取り出す魔法もそうだけど、紙も針も、買い替えるきっかけを作らせない魔法だから、商品を作ったり売ったりする人には嫌がられちゃうこともあるの」


 「だからロティアも、取り出したインクはお客に渡さないって決めてるんだよな」とフフランが付け加える。


「そう。でもね、この話で『魔法使いはみんな苦労してるんだから、リジンも我慢して』って言いたいんじゃないの。ヴェリオーズにいた時に、フフランが言ってたけど、こういう複雑な魔法はたいてい変化するんだ。針を直せる同僚は最近になって、針だけじゃなくて、針の材料になる鋼を自在に操れるってわかったの」


 ロティアは、二週間前からケイリーが鋼を使ってブレスレットを作って売り出したことを話した。ロティアも一つ購入したが、今は社員寮に置いてある。


「このケイリーの魔法の話は、オーケさんから聞いた話にも繋がるんだけど」


 オーケという懐かしい名前に、リジンの群青色の目に涙の膜ができる。


「……オーケに会ったの?」


 リジンの声と目が震えている。

 やっぱりさっき、オーケのインクを見つけた時、泣きそうだったんだ。

 水が入った時のようなツンとした鼻の奥の痛みを紛らわそうとして、ロティアは小刻みに首を横に振った。


「……うん、そう。勝手にだけど、リジンのことを相談したの。わたしよりも、オーケさんの方がずっとリジンと付き合いがあるでしょう。だから、わたしの考えが暴走してるって感じたら、止めてくれるだろうと思って、リジンについて考えてることを手紙にしたの。そしたら会おうって言って下さって。魔法について一緒に考えてくれたんだ」

「すげえ力になってくれたぞ。それからリジンのことも。また会えるのも、絵を見れるのも楽しみにしてるって言ってた」


 リジンはサッとうつむいた。長い髪で顔が隠れてしまう。

 フフランはスイッと飛び上がり、ピクピクと震える肩にそっと飛び乗った。

 リジンが落ち着くまで待とう。

 そう決めたロティアは、なるべく音を立てないように気を付けて紅茶を一口飲んだ。

 ミルクもレモンも入れずに飲むと、少し酸っぱい味がする。この味ならもし泣いてしまっても紅茶のせいにできるかもしれないなあ、とロティアはぼんやり考えた。


「……ごめん、続けて」


 リジンはうつむいたままささやく。

 ロティアはカップをソーサーに戻した。


「……うん。その、オーケさんの話っていうのがね。魔法は、自然物と結びつきが強いものだって話で。土や水、風、ケイリーの金属もだけど、そういうものを操る魔法を使う人が多いのが、その理由だって言ってた。……それで、その」


 ここから先は、口に出すのをためらってしまう。

 リジンに誤解されてしまったら。

 リジンを泣かせてしまったら。

 そう思うと、逃げ出したくなる。

 足が一歩テーブルの下から出かけた時、フフランと目が合った。


『オイラたちはリジンのことを大事に思ってるんだから。それを伝えられれば大丈夫だ』


 フフランの言葉が頭の中に浮かんでくる。

 ロティアはふうっと息をついた。


「……今から言うことは、わたしが、リジンのこともオーケさんのことも大切な存在だと思ってて、責める意図はない、ってわかって聞いてほしい」


 リジンは濃紺の髪を揺らしてうなずく。


「……オーケさんが、リジンの魔法は、自分が作ったインクと相性が良すぎる可能性があるって言ってたの。魔法が予想外の反応を見せたのは、そのせいかもしれないって」

「話の筋は、通るね」


 意外にもリジンはほとんど間を開けずに答えた。ロティアは少し安心して、話し続ける。


「うん。それから、魔法って使う人の想像と強く関係してるって言うでしょう。だから、リジンが想像で描いた絵とそうじゃない絵で魔法に変化がないか、知りたいんだ。あと時間帯も。花の色を花びらから抽出する魔法を使う人は、朝じゃないと必ず失敗しちゃうんだ。だから、リジンの絵も時間の影響があるかもしれないと思って」


 息継ぎをせずに話し続けたロティアが一度ため息をつくと、フフランが優しい声で話し出した。


「いろいろ話したけど要は、魔法はいろんな影響を受けるし、いろんな変化をするから、リジンの魔法もうまく付き合えるかもしれないってことだな」

「そうなの。だからね、リジン。一緒に、魔法を試してみない? もう一度絵を描いてほしいんだ、リジンに」


「……ごめん。それは、できない」


 小さいが、はっきりとした声に、ロティアは背中がゾクリとした。フフランの羽根も少しだけ膨らんでいる。

 ロティアは一気に冷たくなった手を握り合わせ、声が震えないように気を付けて口を開いた。


「……それは、どうして?」

「……俺の魔法は、そんな、良いものじゃないから。ロティアの周りの人たちみたいな、良い変化をするとは思えないんだ」

「魔法に、良いも悪いもないよ」


 リジンは深くうつむいて、首を横に振った。


「……人を、傷つけたんだ」

「それは……」


 言葉が続かず、ロティアはグッとくちびるをかみしめた。


「……今まで、母さんやおじいちゃんに甘やかされて、ワガママで絵を描き続けてた。でも、……もう限界だったんだよ。俺は、筆を置かなきゃいけないんだ」

「そんなことないっ。それって、リジンは絵を描くのを我慢して、ずっと苦しいまま生きていくってことでしょう。そんなの嫌だよ。わたし、リジンには幸せでいてほしい。笑っててほしいんだよ。だから会いに来たの」


 今「リジンのことが好きだから」と言ったら、困らせるに決まっている。

 そう思って、言葉を選んだ。


 リジンはしばらくの間、黙っていた。

 そしてゆっくりと顔を上げ、赤くなった目で、ロティアとフフランを順に見た。


「……ロティアとフフランを、傷つけたくないんだ」


 リジンの声は震えている。


「大切だから、ふたりのことが。俺のせいで、傷ついてほしくない。ケガ、してほしくないんだ……」


「ケガなんて、治るじゃない。わたしはケガなんて怖くない。フフランのことだって、わたしが護るよ」

「ロティアなら、フフランを護れるかもね。でも、俺が怖いんだ、大切な人を、傷つけて、嫌われるのが……。ふたりを失うくらいなら、俺は、絵を描かない」


 リジンは瞬きもせずに、真っすぐにロティアを見つめてくる。嘘偽りない気持ちだと伝えるためだろう。

 ロティアはさっきよりも強くくちびるをかみしめて、涙を堪える。


「……嫌いに、ならないって言っても?」

「うん。むしろありがとう。あんな別れ方したのに、嫌いにならないでいてくれて、会いに来てくれて」


 そう言ってリジンは笑った、張り付いたような作り笑顔で。

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