スイカ
海の日を境に暑さがぐっと増した気がする。
あまり冷房の効かない下宿にいるよりはと、徒歩二十分ほど日差しと熱気と湿気を纏いながら大学の部室棟に向かうと、入口でヤマ先輩に出会った。同じく下宿組の先輩の目的地もわたしと同じく文芸部の部室だ。ありがたいことに、学生用の賃貸マンションと比べて空調の効きが段違いなのだ。
「おぃーす、佐々原さん」
「お疲れ様です、先輩」
先輩の方もわたしに気づいて声を掛けてくる。口調は軽く片手でも上げてそうだけど、こちらに身体を向けた先輩の手は上がっておらず、両手で重そうに提げたプラバックのせいで、むしろ下がっていた。
袋から少し透けて見えるその中身。この緑と濃緑のストライプは見間違いようがない。
「え? スイカです?」
「ああ、実家から送られてきてさ。一人で食えるわけねーから持ってきた。おかんも考えたらわかるだろうに」
「ご実家で栽培してるとかですか?」
「いンや、全然。なんで送ってきたかわからん。安かったんじゃないか?」
話しながら部室棟の風防室を抜けると、ひんやりとした空気がわたし達を包み、思わずホッと息をつく。隣のヤマ先輩は両手に持ったスイカの袋のせいもあってか、「フゥー」と大げさに声を上げた。
「それ、持ちましょうか?」
後輩としては当然の申し出をしてみる。
「マジで? ――助かる」
わたしが女性だからと少しだけ躊躇した様子だったけど、ここから部室までが大した距離ではないことも手伝ったのか、わたしはヤマ先輩から袋を受け取った。プラバックの細く縒れた持ち手がぐぐっと手のひらに食い込む。
「実は丸のままのスイカって、持ったことなかったんですけど、結構ずっしり来ますね」
ヤマ先輩は「だろー」と言って両手についた袋の跡をひらひら振るのだった。
ヤマ先輩とわたしが部室に行くと、ゆっこと大滝先輩もいて、丸ごとのスイカを笑顔で迎えた。特に大した用事もなくダラダラと部室に集まっている身としては、これ以上ないイベントだ。
部室にはいつかの卒業生の置き土産だという小型の冷蔵庫があるので、適当に切って入れたらいいんじゃないかという案に「そこは流水で冷やさなくっちゃ」と、ゆっこが猛反対した。曰く、風情がない、と。
スイカの適温というのはなんでも10℃くらいだそうだ。さっき知った。つまり冷蔵庫にいれると冷えすぎて甘みを損なうということで、味わいの観点から見ても、流水の方が勝るとなれば反対するものは居なかった。そうでなくても、降って湧いた夏の日のイベントにみんな少し心が弾んでいた。
給湯室の大きめのシンクを専有してスイカ丸ごとを蛇口の下に設置する。きれいなタオルを上半分に濡らして掛けて水を出す。
「こんなチョロチョロでいいの?」
「うん。そう書いてた」
思っていたよりも勢いのない水流に、わたしはゆっこに問いかけた。スイカを冷やす係はわたしとゆっこが拝命したのだ。ここにスイカを置いたまま離れるわけにもいかないので、三十分くらいはここで過ごすことになる。
「スイカってさ、くだものなんだっけ。野菜?」
ゆっこがスイカをポンポンと叩きながら聞いた。スイカからは少し高い音が響いた。
「くだものだよ」とわたしは即答した。
「断言するねぇ」
「だって──」
実のところはスイカが畑に成るなら野菜なのかも知れないとは考えた。でもわたしの中にあったスイカのイメージは『くだもの』という絵本に描かれたリアルな、みずみずしいカットスイカだったのだ。様々なくだものが美味しそうに描かれていたその絵本を開くと、一番最初に現れるのが大きなスイカなのだ。
ゆっこに絵本のことを伝えると、「『さあ、どうぞ』のやつね。わたしも読んでた」と笑ってくれる。
このスイカを切ると、あの絵本のようなみずみずしい断面が現れるのだろうか。そんなふうに考えるととてもワクワクするのだった。
「うわ、なんか増えてる」
これくらいでいいだろうと、さっきよりもひんやりとした感触のスイカを抱えて部室に戻ると人数が増えていた。ざっと見て十人くらいだろうか。その中に文芸部員は相変わらずヤマ先輩と大滝さんだけだ。
わたしたちの姿を認めて、「スイカ登場ー」「まってました!」などと賑やかな声が掛けられ、なぜだか拍手で迎えられる。
「なんです? これ?」
率先して拍手しているヤマ先輩に聞くと、どうやら周りの部室の人に適当に声を掛けたらしかった。漫研やらSF研やら、あっちはたしか手芸部の部長だっただろうか。
「いや、せっかくなんで人数多いほうが楽しいかと」
テーブルにはパーティー開きしたスナック菓子やらチョコ菓子やらが広げられていて、外とは別の熱気を感じる。誘われた人たちが、思い思いにお菓子などを持って集まったのだった。
「いいですね! じゃあ早速スイカを切りましょう!」
ゆっこが笑顔で乗っかった。
「よっしゃ」
ヤマ先輩が用意していた包丁を取り出す。
「わ、わたし切ってもいいですか」
これはもう、楽しんだもん勝ちだ。
わたしはヤマ先輩から包丁を受け取ると、大きなスイカの天辺から「えいっ」とばかりに刃をいれる。腕に伝わるしっかりした抵抗。一度では切れなかったので反対向けてもう一度。今度はさっきよりも抵抗が少ない。
真っ二つに割られたスイカは想像していた通りに、赤く鮮やかでみずみずしい断面を見せつけていた。
了
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