霜取り
玄関の戸をがらりと引いて外に出ると冷たい風が首筋からするりと入り込み、体温をぐっと下げた。自然に身体に震えが来るが、それ以上に大げさに肩をすくめて少し早足で車に向かう。
今日はツイてない。本来ならあと二時間はゆっくりしていたはずなのに、急なトラブルで出勤が早まったのだ。普段の時間なら寒さももう少しマシだというのに。
「うわ」
家から数十メートル離れた所に借りている駐車場に着くと、車のフロントガラスは真っ白に凍っていた。ルーフの一部にも霜が降りたように、白く波打つ線が走っていた。
出勤時間にそれほど猶予はないので、とりあえず解錠してエンジンを始動する。暖房を最大にして、風向きをフロントガラスに向けるが、これだけではなかなか溶けきらないだろう。
「仕方ないか」
たしかダッシュボードに入れていたはず、と霜取り用のスクレーパーを取り出し、カチコチに凍ったフロントガラスにこすりつける。ガリッ、ガリッと少しずつ霜は取れていくが、手指が濡れて寒い、というか痛い。
「けんちゃん」
そうやってしばらく霜と格闘していると、背後から声がした。母だった。
「え? どうしたの母さん?」
「これ、いるかと思って」
そう言って、右手に持った電気ケトルをすこし掲げた。注ぎ口からは、もうもうと湯気が立ち上っている。この寒い中、わざわざ持ってきてくれたのだ。
呆然としていると、母は俺の横に来て、フロントガラスにケトルのお湯を注いだ。真っ白な霜がピシピシと音を立て、透明な氷になってガラスに浮き上がる。ここぞとばかりに俺はスクレーパーをせっせと動かして霜を取り払った。
「ありがとう、母さん」
「どういたしまして。けんちゃん、手出して」
母は笑顔で「熱湯じゃないから大丈夫よ」と電気ケトルの注ぎ口を俺の方に向けた。
恐る恐る手を出すと、母がお湯を注いだ。一瞬熱いと感じたが、すぐに霜で冷えた手がじんわりとほぐれていく。
「ありがとう。寒い中ごめんね」
「大丈夫大丈夫。母さんは自前の『肉じゅばん』をいっぱい着込んでるからね。さ、急ぐんでしょ。気をつけていってらっしゃい」
母は恰幅のいいお腹をぽんと叩いて、カラカラと笑った。
了
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