夜空色のインクで描くのは
唄川音
1.できそこないの魔法使いと白いハト
ロティアは少し変わった魔法が使える。
それは、「木でできた魔法の杖の先端で、文字や絵をなぞると、そのインクを紙から取り出せる」という魔法だ。
例えば、真っ白い紙に、黒いインクでガチョウを描いたとしよう。その線を、杖の先でゆっくりとなぞる。
すると、金魚のフンのようなふよふよしたインクが、宙に浮かび上がってくるのだ。
とても珍しい魔法だが、はっきり言って、役には立たない。
「……そんなんだから、きっと、チッツェルダイマー家のみんなが、わたしを『できそこない』だって、思ってるのよ」
ロティアは、自分の周りをふよふよと浮かぶ「元はガチョウの絵だったインク」を手で払い、真っ白になった紙をポケットにしまった。
「なるほど。それで、ここで泣いてたってことか」
「……うん」
ロティアの話を聞いてくれていた真っ白いハトは、まるでうなずくように、くちばしを小さく縦に揺らした。
ロティアとハトは、深いピンク色の波のようにヒースが生えた丘の上にいた。
びゅうびゅうと風が吹いている丘の上はとても肌寒い。そのせいか、生き物の気配はほとんどない。
そんなさみしい場所で、丈の長い#外套__がいとう__#で全身をすっぽりと覆ったロティアは、小さくなって泣いていた。するとそこへ、このハトがやって来て、「話を聞こうか?」と優しく声をかけてきたのだ。
「でも、チッツェルダイマーって言ったら、お隣の国で昔から有名な魔法一族だろう? まさかここまで歩いてきたのか?」
「ううん。こんなちっぽけな魔法の他に、空は飛べるから、飛んできたの。……わたしのこと、誰も気づかないところで、一人になりたくて」
つい先ほどまで、ロティアの暮らすお屋敷の庭で行われていた昼食会。
芝の上に敷かれた大きな絨毯に座って、豪華な食事を囲む中で、ロティアだけがダメなやつだった。
一族の者はみんな、チッツェルダイマーの魔法使いとして、世界中で活躍している。
一歳しか変わらない兄のロシュですら、水を操って、田舎町まで続く水路をいくつも作っている。
その一方で、ロティアが使える魔法は、インクを取り出すだけ。
この魔法が使えるとわかった日から、ロティアに対する風当たりは、百八十度変わってしまった。
両親はあまり顔を合わせてくれず、兄たちもあわれむような目を向けてくるようになったのだ。
いたたまれなかった昼食会を思い出すと、抑えていた悲しみが風船のように膨れ上がって、ロティアは涙が出そうになった。
泣いたら、ハトさん困るよね。
そう言い聞かせたロティアは、鼻を手でこすりながらうつむいた。
「オイラはおもしろい魔法だと思うけどな」
パササッと音を立てて、ハトが飛び上がった。そして、うつむいているロティアの頬に、チョンッとくちばしの先を当ててきた。まるでキスのようだ。
「……なぐさめてくれて、ありがとう」
「本当だって! オイラ、色んな国に行くから、色んな魔法を見てきたけど、そんな魔法は聞いたことないぜ」
「……珍しさだけは一番だって、よく言われるよ」
ロティアはすねたようにつぶやいた。
魔法使いは十歳の誕生日を迎えると、空を飛ぶ「飛行の魔法」以外に、自分に合った魔法が使えるようになり始める。
兄のロシュのように水を自由自在に操ったり、手から火を出したり、風を起こしたり。
ほとんどの魔法使いが、「誰かの役に立てる魔法」を使えるようになる。
その一方で、ロティアが使えるのは、紙からインクを取り出す魔法だけ。
わたしの魔法は珍しいだけ。
なんの役に立つっていうんだろう。
ロティアはくちびるをギュウッとかみしめて、うつむいた。
ハトは「うーん」とうなりながら、ロティアの肩に止まった。
「……なあ。よかったら、オイラのやりたいことを手伝ってくれないか? その魔法で」
思いもよらない言葉に、ロティアはすぐに答えることができなかった。
口をパクパクさせると、ハトは「いやか?」と言った。
「……あ、い、いやとか、じゃなくて。だって、わ、わたしなんかに、できることがあるの?」
「おうっ! むしろ今教えてもらった魔法じゃなきゃできないことだぜ。ずっとやってみたいって思ってたんだけど、方法がわからなくて困ってたんだ」
ハトは「だから手伝ってくれたらうれしい!」と言って、雪のように白い体をくるりと回しながら飛び回った。
太陽の光で輝く姿は、まるで風に乗る木の葉のようにきれいだ。
こんなにきれいなハトさんが、ウソを言うかな。
信じても、いいのかな。
胸に手を当ててみると、生まれたてのような生き生きとした鼓動が伝わってきた。
「……や、やりたい」
気がつくと、ロティアはそう口に出していた。
すると、ハトはものすごい勢いでロティアの目の前に飛んできて「本当か!」と言った。
「う、うん。本当に、わたしなんかで良いなら……」
「やった! 君にしかできないことなんだから、君じゃなきゃダメだよ! それじゃあよろしくな、えっとー……」
「あ、ロティアだよ。ハトさんは?」
「ロティアか、いい名前だな。オイラはフフランだ。よろしくな、ロティア」
✒
「――それじゃあ、夜になったら迎えに行くな」
「えっ、夜に行くの?」
「えっ、難しいか?」
ロティアとフフランは顔を見合わせて、お互いに目を丸くした。
ハトが豆鉄砲を食らった顔って、こんな感じなんだ。
笑ってしまいそうになったロティアは、慌てて口を手で覆った。
「ううん、驚いただけ。何時頃に来る? 夜の十時までは、たぶん出られないと思うんだけど……」
チッツェルダイマー家の夕食はいつも、大げさすぎるくらい豪勢に行われる。
お料理は十種類以上あり、金色のロウソクがたくさん灯され、楽団による音楽が三時間ずっと流れていて……。
ロティアはいつも緊張してしまい、生まれてから今日まで、夕食をじっくり味わえたことが一度もなかった。
フフランは尾羽を上下に揺らしながら「うーん」と頭をひねった。
「そういうことなら、十二時頃に行くよ。夜が深い方が、オイラも都合が良いからな」
「十二時ね。じゃあ、少し前に窓を開けておくわ」
「なんだ、ちゃんと家に帰るんだな」
フフランは「えらいな」と言って、羽でロティアの頭をなでてくれた。
「……そんなこと、ないよ。本当は、あんまり帰りたくないし……」
「どうして?」
「……今朝、聞いちゃったの。『あんな魔法しか使えないんじゃ、ロティアをやるところが見つからない』って、父さまたちが話してるのを……」
話をしているロヤン父さまとロジーア母さまの顔を見ることはできなかった。しかし潜めている声は、まるで氷のように冷たかった。
チッツェルダイマーの魔法使いとして何もできないわたしは、きっとジャマ者なんだ。
急にキリキリと痛み出した胸を、ロティアは両手でギュウッと握りしめた。
すると、またロティアの肩に、温かい重みがふわりと乗った。
「そういうことなら、オイラを手伝うことで、ロティアが自分の魔法に自信がつくようにしてやるよ。オイラは、その魔法は絶対に良い魔法だって断言できるもん!」
「そしたら家族からそんなこと言われずに済むだろっ」と言って、フフランはロティアの肩に丸くなって座った。
「……フフランは優しいね。ありがとう」
「本当だって! さっきも言っただろう、色んな魔法を見てきたって。珍しい魔法は世界中にあって、みんな珍しい魔法を上手いこと使って、人の役に立ってたんだ。だからロティアの魔法も、いろいろ試したら、きっと想像もできないような使い方ができるさ!」
「……そうかな?」
「そうだよ! だから笑ってくれよ! さっき、オイラの驚いた顔に笑った時みたいにさ」
ロティアはハッとして、口元を両手で覆った。
「……気づいてたんだね」
「別にいいさっ。ハトが豆鉄砲を食らった、なんて言葉ができるくらいおもしろいみたいだからな、オイラたちの顔は」
フフランはケラケラと笑いながら、ロティアの肩からパタタッと飛び上がった。
そして、酔っ払ったみたいに、フラフラと宙を飛び回った。
その姿がおかしくて、ロティアが声を出して笑うと、フフランもまたケラケラと笑った。
どうしてフフランが、少し見せただけの魔法を、こんなにも褒めてくれるのか、ロティアは不思議に思った。
特別優しいハトなのかもしれない。
ロティアがいつまでも落ち込んで、グチっぽい話ばかりするから、心配してくれてるのかもしれない。
理由は何であれ、フフランの言葉はロティアの心を温め、軽くしてくれた。
✒
その後、ロティアは自分の家がどこにあるかをフフランに教えてあげた。
「ナナカマドの木がたくさん生えてる森のそばか。良いところだな」
「うん。お家自体はすごく好きなんだ。お庭もきれいだし。そういえば、今更だけど、鳥は夜目がきかないよね。夜のお出かけなんて本当に大丈夫なの?」
「ああ。オイラは魔法で夜目が利くようにしてもらったんだ」
「へえ! そんな魔法があるの!」
「ああ。それこそ、この魔法をかけてくれた魔法使いは、『夜目を利かせる魔法』しか使えなかったけど、今じゃその魔法で立派に仕事をしているぞ。見張りをする船乗りや
フフランは羽をついばみながら、「ソイツも出会った頃は、『自分はちっぽけだ』って言ってばかりだったよ」と言った。
フフランのさっきの言葉は、本当だったんだ。
そう思ったとたんに、ロティアはフフランの言葉を素直に受け取らなかった自分が恥ずかしくなった。
「……素敵な話を、ありがとう、フフラン」
フフランはクリクリした目でにっこりと笑った。
「どういたしまして! それじゃあ、また夜にな。温かい格好で来るんだぞお」
フフランはそう言って、夕日色のベールがかかった空を飛んでいった。
どんなことをするんだろう。
夜に家の外へ出るなんて、悪いことだけれど、ちょっとワクワクしちゃう。
ロティアはさっきまで自分が泣いていたことをすっかり忘れて、ホウキを飛ばして、急いで家に帰った。
この日の夕食は、とてもおいしかった。
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