第8話 魔力転生

 祈りの儀からほんの1週間後、遂に卒業パーティの日がやってきた。


「あら、シルヴィア……」


 ホールに入った途端、アントワネットに見つかった。アントワネットは、そのパープルの目によく似合う青みがかった赤色の派手なドレスをまとっていた。その目はじろじろと私の姿を見つめる。


「……また代わり映えしない紺色のドレス?」

「いいじゃない、この色が好きなのよ」


 紺色の生地に白いレースを簡単にあしらっただけ、そう聞くと質素だが、私の顔は美少女なのだ。下手にごてごて飾りつけようものならくどいというもの、このくらいのシンプルなドレスが美しさを引き立ててくれる……はずだ。正直にいうとこのドレスが気に入っているというだけなのだけれど。


 アントワネットは「はあ、卒業パーティだっていうのに……」と洋扇を広げながら呆れた目を向けてくる。


「ベル王子と結婚するために色々頑張ってたみたいだけれど、無駄よ? ベル王子ルートは初見攻略できるものじゃないわ」

「別に攻略しようと思ってないから安心して」


 なんならアントワネットを勧めておいた、とは言わないでおいた。


「あらそう? それより、卒業パーティには出ないほうがいいわよ」

「どうして?」

「教えてあげたでしょ、学院が魔物に襲われるの」


 そういえばそんな話があった。ぼや~と、初期の頃にアントワネットから聞いたシナリオが頭に浮かぶ。それ自体は不幸な事故なのに、アントワネットがヒロインを虐め抜き離宮に火をつけたせいで、そんなことまでアントワネットのせいにされてしまうのだと。


「一応、我がブルークレール家が万全の警備体制を整えているわ、被害を最小限に食い止めるためにね。でも危険は危険よ、ゲームでは死人が出てるし……」


 マジかよ、乙女ゲーなのに結構容赦ないな、なんて呑気な感想を抱いていると「シルヴィア、貴女もそのときに負った怪我が原因で命を落とすのよ?」なんて死の宣告をされてしまった。


「そうなの? シビアなゲームなのね、『カルカル』って」

「……貴女、どうせ本気にしてないんでしょ?」


 ホールにフレデリク殿下とヒロインが連れ立って入場してきたのが見えた。どうやらヒロインはフレデリク殿下を無事攻略したらしい。ということは、アントワネットはこれから婚約を破棄されるのだろう。


「貴女が何をしようと、ゲームの結末は変わらないわ。ベル王子のことだってそう、トゥルーエンド以外は卒業パーティか送別会のどっちかで婚姻申込みを撤回されるんだから。大人しくおうちに帰りなさいな」


 確かに、『祈りの儀』の日のベルンハルト王子は、私の返事を保留させた。そう言われてみると確かに、最終的に卒業パーティでベルンハルト王子側が婚姻申込みを撤回することになる、その意味での“強制力”はあるのかもしれない。


「ご忠告ありがとう、アントワネット」


 だとして、どうでもいいことだ。肩を竦めて返し、アントワネットがもう一度口を開く前に「シルヴィア、しばらくだな」とベルンハルト殿下達が現れた。『祈りの儀』以来、なんとなーく距離を置かれてしまっていたのだ。


「こんにちは、ベルンハルト殿下。ロード・ルトガーも、月が隠れる美しさは相変わらずですね」

「なんと、今日は先に言われてしまいましたが」


 笑いながら、ロード・ルトガーはアントワネットにも挨拶する。ベルンハルト殿下は二人を見ていたが……ややあって、私に向き直る。


「……シルヴィア、一応今日で卒業し、私達は国へ帰る。最後に一曲どうだ」

「ええ、喜んで」


 どうやらアントワネットが婚約破棄されるまでしばらくあるようだ。そっとベルンハルト殿下の指先に指先を載せた。


 相変わらず、安定感のあるリードだった。頭を空っぽにして身をゆだねることができるというのは心地がいいな、とベルンハルト殿下とのダンスで学んだ。


「……返事は変わらないか?」

「婚姻申込みの件ですか? それはもちろん」

「……そうか」


 悲しみを帯びた、しかしやはりどこか安堵した溜息。その理由が分からない私は、元営業職なんて自分を奮い立たせるのをもうやめることにしていた。顧客の気持ちをめずしてなぜ営業などと名乗れようか。


 私はもう、ブランシャール家の奇娘シルヴィアとして生きていくしかないのだ。


「……エクロール国に遊びに来ることがあれば私達を頼るといい。次はこちらが案内しよう」

「ありがとうございます、ぜひ」


 いつもより更に口数少なく、ベルンハルト殿下が踊りを終えたとき。


「アントワネット・ブルークレール!」


 フレデリク殿下の声が響き、私達は顔を向ける。アントワネット待望の“婚約破棄”である。


 なるほど、これはゲームでも一大イベントなのだろう。フレデリク殿下はヒロインの肩を抱きながらホール内で最も目立つところに立ち、アントワネットを糾弾する。


「お前は、ヒロインエミーうとみ、様々な嫌がらせをしたようだな!」

「いいえ殿下、私は何もしておりません。そもそも、侯爵である私がエミー様を疎むことなどございませんわ」

「惚けるな! エミーは時に物を隠され、時に階段で突き飛ばされた。それはすべてお前の指示であったと証言があるのだ!」

「お言葉ですが、どなたがおっしゃったのでしょう? 私の言い分を聞かずに勝手に決めつけないでいただきたいです」


 フレデリク殿下とアントワネットがギャンギャン言い合う、その内容は――どっちもどっちだ。私も額を押さえてしまう。


 アントワネットの言い分“自分は何もしていない”は事実だろう。だからフレデリク殿下の“アントワネットの指示だった”は誤り。


 離宮の火事のように、アントワネットが“何もしていない”ことこそ重要なのだ。


 従前のアントワネットの言動がその友人達の言動を作る、フレデリク殿下と仲良くするヒロインを見た友人達が勝手にアントワネットに忖度そんたくして嫌がらせをした、そしてアントワネットはそれに対して“強制力”の一言で片づけた。ヒロインに嫌がらせをするのをやめなさい、そう一言いえば済んだのに、“何もしていない”。


 フレデリク殿下は、そこを糾弾するべきなのに。


「よってアントワネット、私はお前との婚約を破棄することをここに――」


 その宣言は、轟音と共に遮られた。


 なんだなんだ、と誰もが顔を向ける――間もなく、悲鳴を上げながら顔を覆った。ガラガラガラッと壁が崩れ始めたのである。私も顔を向けようとして――ベルンハルト殿下に肩ごと抱かれる形で庇われた。こういうところが、やっぱりこの人はイケメンである。


「何事だ」

「ッ、魔物よ!」


 この中でおそらく唯一、シナリオを知っているアントワネットが叫んだ。


「みんな逃げて、ホールが崩れるわ、早く外に! ブルークレール家の魔術師はすぐに臨戦態勢を!」


 崩れ落ちた壁の向こう側から、コウモリの羽がはえたトラだの、トラの模様が入ったライオンだの、もっと気持ち悪く人の顔をしたコウモリだの、数えきれないほどの異形の魔物が現れる。これは確かに死人が出てもおかしくない。


 従軍なんてまだしたことのない貴族のお坊ちゃまお嬢様たちが悲鳴を上げながら逃げ惑う中、アントワネットのブルークレール家の魔術師達が口々に呪文を唱え、生徒達を保護する。


 ベルンハルト殿下は腰の剣を抜く。その片手は変わらず私の肩を抱いたまま、襲ってきた人面コウモリを斬り捨てた。


「殿下、ご無事で!」

「ルトガー、すぐにホールを離れろ! シルヴィアを連れて行け!」

「いえ、大丈夫です」


 私の体はそのままロード・ルトガーに引き渡されそうになったが、そんなことをされる必要はない。


「大丈夫なものか、『祈りの儀』のときといい、君は我が身をかえりみなさすぎる!」

「いえいえ殿下、申し上げましたでしょう。私、客観的評価には自信があるのです」


 心配してくれるベルンハルト殿下には申し訳ないが、魔法には自信があるのだ。


「まずこれ以上魔物が侵攻してこないよう、学院の敷地に結界を張っておきましょう。ついでに出入り口を確保するため、建物に防御呪文をかけます」


 説明しながら次々呪文を唱え、肌でその効果を感じる。これでこれ以上の魔物が侵入してくることはない。


「あとはホール内の魔物をドンドコ討てば万事解決です。一緒に頑張りましょう、ベルンハルト殿下」


 攻撃呪文と共に閃光が煌めき、雷鳴が轟くと共に魔物が2、3体貫かれた。直線上の魔物を殲滅せんめつするつもりだったのだが、なかなかうまくいかない。


「シルヴィア、魔法を使い過ぎよ!」


 そこにアントワネットが水を差す。ベルンハルト殿下の背後の魔物へ、私が次の攻撃呪文を放った瞬間、殿下と魔物の間に防御魔法を展開したのだ。お陰で私の攻撃魔法の軌道が若干逸れてしまった。


「大丈夫だから、そこでロード・ルトガーとじっとしておいて」


 穏やかに止めてはおいたけれど、普通に迷惑だ。恩の押し売りは勘弁してほしい。


「レディ・アントワネット、貴方も危険です! 下がってください!」

「親友が前線に出ているのに私がしり込みするわけにはいきません!」


 火事のときは「強制力があるから」なんて言って静観していたのに、今回はどういうことか。それこそベル王子とのトゥルーエンドとやらのためにはここで前面に出る必要があるのかもしれない。


「シルヴィア、魔法を使い過ぎたらどうなるか分かっているでしょう? 魔力が切れたら立つこともできなくなるのよ!」

「シルヴィア、レディ・アントワネットのいうとおりだ。ここは俺に任せて逃げろ」

「あら殿下、隣国の王子殿下が前面に立つのに逃げる令嬢がいるわけないでしょう」

「いや逃げるだろう、令嬢だぞ」


 そういう意味ではなかったのだが、それはそれとして、魔力切れは文字通り体力がゼロになるに等しく、惜しみなく使っては立つこともできずにかえって足手まといになってしまう、というアントワネットの指摘は正しい。


「大丈夫です殿下。私の能力、『魔力転生』ですから」


 もちろん、あくまで一般論なのだが。


「……何?」


 ベルンハルト殿下だけでなく、アントワネットを守るようにして魔法を展開していたロード・ギルベルトまでもが振り返る。


「レディ・シルヴィア……それはもしかして……」

「はい、私、魔力が無限回復するんです」


 幼い頃の私は、魔法なんてドンドコ好きなだけ使えると思っていた。だって私はいくらでも好きなだけ魔法を使うことができたから。


 それが特殊能力によるものだと発覚した際、やはり父は嘆いた――男ならよかったのに、と。この世界の女はいい家に嫁いでなんぼ、あとは家庭を守るのが役目で、魔法を使う場面はせいぜい家事くらい。女にとって、使った端からドンドコ回復していく、いわば無尽蔵の魔力なんて無用の長物なのだから。


「だからご心配なく、敷地内の魔物を一掃するまで攻撃魔法を討ち続けますし、必要に応じて防御魔法も展開しますから」


 魔法なんてドンドコ好きなだけ使える。そんな私は多分最強なのだけれど、可愛らしくしてなんぼの乙女ゲー《この》世界では何の意味もない。


 どおりでシルヴィア《わたし》がモブなわけだ、ヒーローより強いヒロインなんていてはいけないのだろう。そんなものに転生させるなんて、いやはや、神様も意地悪が過ぎるというものだ。

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