第7話 婚姻勧試

 『祈りの儀』とやらは、学院の所有する聖地に建てられた離宮で開かれる儀式だ。その聖地とはこの世界を作った聖女が降り立った地で云々かんぬんとありがたい伝承があるのだが、それは今はどうでもいい。アントワネットいわく、ゲームでの意味としては、ヒロインが『聖女の涙』という能力を持つことで、ヒロインが聖女の生まれ変わりと発覚するために設けられていだそうだ。


 なぜその『聖女の涙』という能力を持つと発覚するのか? アントワネットがヒロイン(とフレデリク殿下)を離宮に閉じ込め火をつけ、フレデリク殿下が負ってしまった大火傷をヒロインが『聖女の涙』で治すのだという。


 そしてなぜ、いま私がそれを思い出したか。原因は目の前で煌々こうこうと輝く離宮にある。


「シルヴィア、下がれ、火の粉が散る」


 燃えているのである。離宮が。


 絶対アントワネットとその取り巻きの仕業じゃん……。唖然として見上げる私の周りでは、学院の貴族達が逃げ惑い、講師達が狼狽えながら避難と救助の指示を出している。


 おいおいアントワネット、フレデリク殿下には見切りをつけたって言ってたじゃないか。それなのになぜ離宮を燃やした。というか、一応アントワネットの挙動には注意を払っていたし、例によってアントワネットは私の近くでロード・ルトガーと仲良くやっていたので放火できるタイミングなんてなかったはずだが、しかし――いや、ごちゃごちゃ考えている暇はない。


「アントワネット!」


 火元を確認すれば鎮火も迅速に済むはず、そう振り向くと、ロード・ルトガーと一緒にびっくり離宮を見上げている、なんて呑気なヤツだ。


「アントワネット! これどういうこと!?」

「し、シルヴィア? 何よ、私は何もしてないのよ!」

「いやお前が火つけることになってるって言っただろ!」


 うっかりお前なんて言っちゃった。ベルンハルト殿下もロード・ルトガーも目を点にしているが、なりふりかまっていられない。火の勢いは留まるところを知らないのだから。


「だ、だから言ったじゃないの、私じゃなくて私の友人達が火をつけてしまうのよ!」

「じゃそれでもいいけど、火元はどこ!」

「知らないわよ、だって私がやったんじゃないんだもの!」

「ゲームではやったんだから分かるでしょ! 何のためにゲームやってたの!」


 我ながら切羽詰まって暴論を持ち出してしまった。まさか次の人生になると思ってゲームをする人はいない。


「いや分かった、それが分からないならいい。フレデリク殿下とヒロインは離宮のどの部屋に?」

「えっと……確か、祈りの間だったはず? まさかシルヴィア、離宮に飛び込むつもりなの?」


 ひらひらして燃えそうなドレスを魔法で着替えると、アントワネットが半分心配、半分小馬鹿にした様子で首を傾げた。もちろんベルンハルト殿下も眉を吊り上げる。


「シルヴィア、やめておけ。この手の火の回りは予想以上に速い。フレデリク殿下がいるのだろう、俺が行ってくる」

「隣国の王子殿下が行ってミイラ取りがミイラになったら戦争ものですよ、やめてください」


 言い終わらないうちに足を踏み出すベルンハルト殿下の腕をむんずと掴んだ。アントワネットもベルンハルト殿下の腕を掴んで止める。


「大丈夫です、フレデリク殿下は無事です。それにシルヴィアも、フレデリク殿下はヒロインを庇って大火傷を負うけど、ヒロインが治すんだから。治った後はフレデリク殿下がヒロインを連れて出てくることができるわ」


 そっと声を潜め、ベルンハルト殿下達に聞かれないようささやかれたが、そんなのは知ったことではない。


「そう上手く事が運ぶなんて保障がどこにあるの?」

「保障?」


 これまたおかしなことを、そう言いたげなオウム返しだった。


「保障って、この世界ではそういうシナリオなの。そういう風にできてるの、強制力って言うのかしら。私が何もしなくても殿下がヒロインと仲良くなって、私の友達が勝手にヒロインを虐めて、今だって離宮が火事になったように――」

「何馬鹿なこと言ってんの?」


 フレデリク殿下とヒロインが仲良くなった理由は知らないが、少なくとも他の事実は“強制力”ではない。


 水島さんがアントワネットになったのは去年の秋、それまでの旧アントワネットの影響力に鑑みれば、その取り巻きがフレデリク殿下と仲のいいヒロインをこぞって虐めたがるのは“自然の流れ”。それを「友達が勝手に~」と漫然まんぜんと眺めていた口でなにが“強制力”か、笑わせるのもほどほどにしてほしい。


「アンタの人生はどうか知らないけど、私の人生にシナリオはないわよ」


 ダウンロード・コンテンツでも依然として背景を務めていたモブらしいし、ていうかどんだけ設定が作りこまれていようが私はシナリオを知らないし。


 魔法で頭から水を被って防御魔法をかけ離宮に飛び込めば、背中から「レディ・シルヴィア、お待ちください!」とロード・ルトガーの声が、「いけませんわ、火があんなに!」とそれを止めるアントワネットの声が聞こえた。好きにやってろ、アントワネット。


「この手のは柱が崩れて退路を断たれるのが怖いのよね、鎮火するだけじゃなくて補強魔法をかけとかなきゃ」


 呪文を唱えて火を消し、補強しながら進むけれど、祈りの間は離宮の最奥だ。火は消えていても、辿り着く頃には崩れてしまっているかもしれない、持続時間と強度に気を付けなければ。


 いや、むしろ修復しながら進んだほうがいいのか――? 火事場に飛び込んだ経験がなくて訝しんでしまった、そのほんの一瞬の油断の最中、不用意に扉を開けてしまった。


 ドオンッ、と飛び出す炎に、地響きのような爆発音――バックドラフト。


「しまっ――」


 その炎が一気に眼前に迫った――瞬間に、はじき返された。


 驚いて目を瞠る間もなく、体はそのままぐいと後ろに引っ張られる。


「だからやめておけと言った」

「ベルンハルト殿下!」


 さすが軍事大国の王子、おそろしい反射神経だ。いつもより少し険しい藍色の双眸に不覚にもキュンときた。吊り橋効果って本当にあるんだね。


「殿下こそ、ミイラ取りがミイラになったらってお話したじゃありませんか」

「舐めるな、そうやわではない。君ほど魔法は上手くないがな」


 次の問題が起こる前に、と水の魔法を放つと、まるで状況も忘れたような感心した声が降ってきた。でもベルンハルト殿下も、私が火に包まれる前にそれを弾き返したのだから謙遜が過ぎる。


「……怪我はないか、シルヴィア」

「お陰様で。ありがとうございました、ベルンハルト殿下」


 ちょっとだけ気まずい沈黙が落ちた。なにせ危機一髪助けてもらって私は柄にもなくちょっとドキドキしていたし、ベルンハルト殿下もそれを察したみたいに目を泳がせていた。


「……え、っと、祈りの間はこの奥です、ね。フレデリク殿下のご無事を確かめなければ」

「……そうだな」


 消火と補強を繰り返して祈りの間の前まで着くと、フレデリク殿下を励ますヒロインの声が聞こえた。火の消えた窓からそっと中を覗き込むと、意識を取り戻したようにフレデリク殿下が起き上がり、ヒロインが抱き着き、さらにそれをフレデリク殿下が抱きしめ返すところだった。


「……強制力、ねえ……」


 おそらく私が火を消さずとも二人は無事に脱出したのだろう。そう思えてしまうくらい、いま目の前で見た映像はアントワネットの話したシナリオの通りだった。いやはや、「火事の建物内に人が閉じ込められているし私は魔法を使えるし、救出しに行かない手はないだろう」なんて熱くなってしまった自分が、冷静になった今となっては恥ずかしい。


「……戻りましょうか、ベルンハルト殿下」

「……ここまでしたのに、顔も見せずにか?」


 王子と将来の王子妃を助けたとなれば、与えられる褒賞ほうしょうは弾むだろう。旧アントワネットによって広められた不名誉な噂も帳消しになるかもしれない。


「いいんですよ。フレデリク殿下のご機嫌を取ったところで、せいぜいいいとこの貴族のお坊ちゃまと結婚できるだけです。前にも言いましたけれど、私は愛のない結婚をするつもりはございませんので」

「……それは例の件の返事か?」


 すすだらけの離宮内を歩きながら、ベルンハルト殿下がちょっとだけ拗ねたような顔をした。


 それを見ると、ほんの少し胸が痛んだ。吊り橋効果はまだ持続中らしい。


「……はい。私はベルンハルト王子殿下との婚姻はお断りします」


 しかし、私の傷心もまだまだ持続中。謝罪も兼ねて軽く頭を下げた。


「同時に、ベルンハルト王子殿下はアントワネット・ブルークレールと婚姻することをお勧めします」


 驚いた目で見つめ返されたが、これこそが私の考え付いた、アントワネットを国外追放する方法であった。

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