第3話 信頼探偵

「信じてない!? 信じてないというのか令人君!!」


 マキナと名乗った金髪少女が安楽椅子の上に立ち、地団駄を踏む。


「今の説明を聞いてなかったのか! 私が九練曲里その人なのだと言っているんだが!?」

「いや、普通に考えて信じられるわけがないだろう」


 常識で物を言って欲しい。

 とりあえず、親の番号が分からないなら警察を呼んだ方が早いか。

 そう思った令人が知り合いの刑事に連絡をつけようとしたところで、素早く動いたマキナが彼からスマートフォンを奪い取る。


「あ、こら。返しなさい」

「まぁ、待て助手よ! 確かに認められないのは分かる。今の私は顔も違うし、髪や目の色だって違う。胸だって、揉んでも撫でても全く育たなかった前世とは違い、十歳という若さでありながら既にグラマーの片鱗を見せ始めたナイスなボディであることも自覚はしているが……」

「グラマー……?」


 確かに、彼の上司であった九練探偵はまな板だった。

 そして、長い切れ目が特徴で、細く妖しく、化け狐を連想させるような美女だった。

 一方、今、目の前で飛び跳ねているこの少女は垂れ目が特徴的な、丸顔で元気な女の子。

 自賛しているように発育も悪くないが、その容姿は狐というよりかは狸に近い。


「まぁ、ころころして可愛らしいとは思うが」

「こ、ろ、こ、ろ!?」


 彼女はまるで「私がお前の父親だ」と告げられた若きジェダイのような顔で仰け反り、そのままガクリと崩れ落ちる。

 令人が想像していたよりもその言葉の切れ味は鋭かったらしく、少女はしばらくの間、動けなくなっていた。


「…………く、くくく、ふふふふふ」


 しばらくそのままの姿勢で小刻みに震えていた彼女だったが、やがて妖しい笑い声を上げながらゆらりと起き上がる。


「ふふふ……、異世界で天才だ神童だと持て囃され続けたこの私が、ここまでコケにされるのも久しぶりだよ」


 そんなことを言いながら、急に令人に向けて指を突き差し、告げた。


「令人君! 君はこの事務所に戻ってくる前に、近所の公園近くの喫茶店・コロンボでナポリタンを食べて、そこから走ってここまで帰ってきただろう!」


 その言葉に、令人は頷く。

 確かに彼女の言うとおりだった。

 つい先程、喫茶店で遅い夕飯をすました彼は、そこで雨が降り始めたことに気づき、本降りになる前にと小走りでここまで戻ってきていたのだ。


「ふふ、そうだろうそうだろう」


 彼の肯定に、気をよくしたのか得意げな顔になるマキナ。


「なぜ私がそこまで分かったか気になるか?」

「いや、別に」

「その答えは君の服だ!」


 令人の言葉を無視して、彼女は続ける。


「背中側よりも前側の方に水滴がたくさんついているのは雨の中を走ってきた証拠。それにズボンに跳ねた泥も重要なファクターだ。この近所で泥が跳ねるような地面があるのは、この先にある公園だけ。なぜナポリタンを食べていたか分かった理由は、君の好物だからというのと、その襟にソースがはねているからだね!」


 そんな台詞を一息に言い切って、少女は渾身のドヤ顔でポーズを決めた。


「どうだ、この名推理! この推理力こそが、私が探偵九練であるという証拠!!」


 だが、そんな言葉も令人には全く響かない。


「まぁ、観察力に優れたお子さんだとは思うけれど……」

「何故だーーーっ!!」


 オーバーリアクションで再度、崩れ落ちるマキナ。


「嘘だろ?! これが通用しないとか、まさか名探偵コナンってフィクションだったのか!?」

「何を言っているかよく分からないけど。とりあえず、スマホを返してくれないか」


 ハイテンションな子供の相手をするのに疲れてきたのか、令人が投げやりな様子で手を差し出す。

 彼女はそんな彼の手を恨めしそうに眺めた後、こんなことを言い出した。


「……本当は言いたくはなかったんだが。ここまで言わないと、頭の固い君は私の話を信じてくれないらしい」

「今度は何だ?」


 うんざりした様子で聞き返す令人。そんな彼をビシリと指さし、マキナは告げる。


「十二年前、いたいけな不良少年だった君の童貞を奪ったのは何を隠そうこの私、九練曲里だ! ちなみに、その時私も処女だった!」

「……!?」


 いたいけな少女の口から放たれた突然の爆弾発言。

 しかし、その効果は抜群だった。

 なにしろ、彼女の言っていることは真実なのである。



 今から十二年前、既に探偵と助手としてコンビを組んでいた令人達は、一部の高校で違法ドラックが蔓延しているという事件の調査を担当。

 薬のブローカーを気取る不良集団を捕まえ、その裏にあった密売組織の陰謀を阻止することに成功した。

 その時、調査の過程で入手した高校生御用達の怪しい媚薬を、冗談半分で曲里が料理に盛ってみたら、なんだか冗談では済ませない事態になってしまったのである。

 それからしばらく、お互い気まずい雰囲気になってしまったので、とりあえずその事件は無かったことにして調査記録から抹消し、その後も決して互いに口にすることはなかったはずだ。

 つまり、その一件は九練探偵事務所唯一の闇に葬られた案件なのである。

 令人がこのことを他言したことはないし、曲里の方もそうだろう。

 そんな二人しか知らない恥部を知るこの少女は、果たして……。

 令人はごくりと息をのみ、呟く。


「……先生の隠し子? まさかあの時に子供が」

「なんでそうなるのか!」


 令人の言葉に激昂したマキナが飛びかかってくる。

 咄嗟に受け止め損ねた令人はバランスを崩し、事務所の床に仰向けに倒れてしまった。

 そんな彼の胸に馬乗りになって彼女が叫ぶ。


「いい加減、認めるんだ助手よ!」


 ぼんやりと天井を見上げる令人の両目を、超至近距離から金色の瞳がのぞき込んだ。


「本当は分かっているんだろう? 初めてこの姿の私と目を合わせたその瞬間に、君は直感的に真実を見抜いていたはずだ。だから、あんなにも動揺していたんだろう」

「何を……」

「その直感は正しい! 君も私が鍛えた探偵ならば分かるはずだ! 大いなる謎を目の前にした時、宇宙の彼方から飛来して灰色の脳細胞に突き刺さる眩い閃きの存在! ミステリの神からの啓示に等しいその直感は、道理や常識を超越し、だいたいの事件においてその本質を貫いている!」

「…………」


 彼女の言っていることはめちゃくちゃで、はっきり言って意味不明だった。

 だが、令人は思い出す。

 彼のよく知る九練曲里という探偵も、同じくめちゃくちゃで、意味不明な存在であったことを。


「…………先生」


 気がつくと令人は、そう呟いていた。

 それを聞いたマキナが、満足そうな笑みを浮かべる。


「もう一度言おう。ただいまだ、助手よ」

「……お、おかえりなさい」


 彼女の挨拶に返答し、そのしっくりときた感触に令人はようやく実感する。

 この直感は恐らく正しい。

 本当に九練曲里が帰ってきたのだと。


「やれやれ、ようやく分かってくれたか。まったく予想以上に物わかりが悪くて焦ったぞ」


 そんなことを言いながら令人の身体から飛び降り、安楽椅子へと戻る彼女。

 その際、さりげなく袖で目元を拭っていたのを令人の観察眼は見逃さなかった。

 だが指摘はしない。同じ台詞を言い返されると困るからである。


「ホームズもよく言っていただろう? ありえないことを除外したあとに残ったものが、いかに疑わしいものであったとしても真実なのだと!」

「その理論でいくと、転生とか言い出した時点で話が終わるのですが」

「異世界転生はリアル! ありえなくなんてないのだよ!」


 彼女がそう叫び、振り返った瞬間、

 きゅるきゅるきゅる……と、彼女のお腹から小さな音が鳴り出した。

 ばつが悪そうに腹部をさするマキナに、令人は苦笑する。


「とりあえず、マクドナルドにでも行きましょうか」

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