▼3-4 面会

 少年はいつでも悩むものだ。それは一国の王子であっても違いは無い。どうすれば良いのか。妹、それも、長い間離れ離れで暮らしていて存在自体を最近初めて知って、会ったばかりという場合、どう接すれば良いのか。


 一人で考えても、同じ思考を堂々巡りするばかりで答えに近づく気配すら無い。こういう場合は、誰かに相談するのが良いという結論に至った。


 相談する相手は、女性がいいか。できればラージャシュリーのことをそれなりに知っている人が良い。そう考えた時に思いつくのは、母親のヤソマティ王妃だった。


 ラージャシュリーの母でもあるわけだから、今まで離れて暮らしていたとはいえども当然、娘のことはそれなりに知っているだろう。


 一般的に十四歳くらいの少年にとっては、本来は母親というのは距離感を掴みにくい相手だ。色々と口喧しく言われることに苛立ち、事あるごとに反抗するようになる。


 しかしハルシャの場合は母親からあれこれと叱られるような経験はほとんど無い。大抵の日常的な指導は侍従の者がするので、母親に対して反発的な感情は特に持っていない。


 ターマラ樹に薄紅色の花が咲いている横を通り過ぎて、ハルシャは中庭を横切って離れの館に向かった。王妃が行住坐臥している館は、女性の主人ということで入口で門番をしている槍兵二名の男性以外は、館の内部では全て女性が仕えているという。


 ハルシャは入口のところで取り次ぎに出てきたヴェラという筆頭侍女に来訪の用件を告げた。王妃の息子の第二王子であるからには、館の中での面会を許可されるはずだ。もしも立入禁止と言われてしまったら、王妃に外に出てきてもらうしかない。


「王妃様がお会いになるそうです。お入りください」


 門番の槍兵二名が両脇に退いた。筆頭侍女ヴェラの後ろについて、館に足を踏み入れる。


 建物自体は宮殿の他の建築物と同じで特に変わった所は無いが、女性主人らしい繊細さが随所に滲んでいた。垂れ下がっている紗幕は細かな刺繍が施されている。廊下の随所にさりげなく置かれた陶器の花瓶には色鮮やかな花が生けられている。建物全体に赤栴檀香の涼しげな香りが仄かに漂っている。


 奥まった部屋に導かれると、今までの屋敷内とは雰囲気が違っていた。飾られているのは鮮やかな花を咲かせる植物ではなく、葉の緑色を楽しむ観葉植物だった。


 待っていた女主人が立ち上がってハルシャ王子を迎える。王妃と話していた女性御典医が入れ替わりに退室する。すれ違いざまに「ハルシャ王子とラージャー王子の達人級の弓矢の技、いつも見ていますよ」と言われた。


 王妃の右腕にはめた二個の臂釧が触れ合って錚然と音を立てた。


「久しぶりですね、ハルシャ」


 実の母子であっても、王妃と王子という身分である。少し離れた建物で暮らしているため、顔を合わせるのも、わざわざ会わなければ叶わない。薄緑色の衣装を纏った母ヤソマティは穏やかな笑顔で息子を歓迎してくれていた。


 現在四十歳過ぎのプラバーカラ王よりも王妃は少し年下なので、三十代後半という年代である。人間の平均的寿命から考えたらもう若くはないが、顔に香粉を塗って化粧をしたヤソマティ王妃はラージャシュリーの母ということもあって美しかった。頭をやや傾けて腰を少し捻ったような姿で座り直した王妃は、髪を八房に束ねている。そこから眉間に巻き毛が一筋垂れている。その向こうからアンジャナ膏を塗って横長な目が真っ直ぐに息子ハルシャを射抜いている。心の悩みを見通すようなまなざしだ。


「母上、突然の訪問失礼いたします。本日は相談したいことがありまして。俺は、つい先日、自分に実の妹がいるということを知りました。ラージャシュリーとも顔合わせをして挨拶も済ませました。しかし、今更ながらと申しますか、ラージャシュリーと今後どのように接していけばいいのか、よく分からないのです」


 何か、下手なことを言って機嫌を損ねてしまうのではないかと恐れが先に立つと、なかなかこちらから会いに行ったり、話しかけたり、何か娯楽に誘ったりするのも躊躇われる。ハルシャはどうすれば良いのか。


 ハルシャの見立ては間違っていなかった。母ヤソマティ王妃は、ハルシャの悩みに対して笑ったりせず、真剣に聞いてくれた。


「距離感を掴みにくい、ということですね。わたくしにも兄がいました。ですが今のハルシャとラージャシュリーとの場合とは違い、幼い頃からずっと一緒でしたから、特に接し方に困ったことはありませんでした。つまらないことで喧嘩などもしました。思い返してみると、あまり仲が良かったとは言えませんね」


 母は、タネシュワールに嫁いで来る前は、マーラヴァ国の姫であった。プラバーカラ王とは、当然ながら政略結婚だった。夫とは夫婦仲が良いわけでもなく、また悪いわけでもなく、付かず離れずといったところだった。王妃が政治に口出しし過ぎるのも良くないことであろうから、これが案外良い距離感なのかもしれない。


「ラージャシュリーは何やら不思議な花粉症で、カナウジ以外では平穏に過ごせないようなのです。なので、ここタネシュワール滞在もまた、彼女にとっては一つの試練の時間なのです。そういう前提を押さえておいて、優しく接してあげれば、喜んでくれるのではないでしょうか」


 王妃は体の前で両腕を軽く組んだ。透けるような薄い羅状の衣ごしに、ティンバル果のような盛り上がった乳房が小さく揺れた。


「花粉で苦しんでいるのを踏まえた上で、何か彼女を楽しませるようなものを提供するのが良い、ということでしょうかね。脚本でも書いて演劇を作るとか」


「それは良い発想ですね。ハルシャに脚本を書く才能があるのか分かりませんが、何事も挑戦してみる価値はあるかと思います。もし劇が完成したら、わたくしも観覧してみたいですわ」


 母の言うことが社交辞令であることはハルシャにも理解できた。だが、ハルシャは全般的に芸術は好きであった。ただ鑑賞するだけではなく、自分でもある程度作ってみたいと思えた。


「それと、ハルシャには根本的なことを助言した方がいいかもしれませんね。ハルシャは男性として生まれ育ってきましたから、男性の立場や男性的な思考などはある程度、父親や兄を見て学んでいることでしょう。女性には、女性に生まれたというそれだけのことで、色々と不利益を被ったり生きにくかったりといった、社会的な慣習があるものなのです。それは、我々王族であっても逃れられるものではありません。そのこと自体は否定したところで何も始まらないのですが、そいういうことがあるという事実を、男性であるハルシャがきちんと承知しておいて、その目線でラージャシュリーに接してあげれば良いのではないでしょうか」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る