▼1-4 曲女城

 夜になり、ハルシャが月光石の寝台で眠りに就くと、夢を見た。


 夢の中では、ハルシャはインドの全てを支配する大王となっていた。長年の教育振興策が実り、国は富み栄えていた。大王となったハルシャが象から降りて自分の足で地面を歩く時には、常に金鼓隊数百名が追従してきていて、大王が一歩進むたびに一撃するので、これを節歩鼓 (せっぽこ) と称している。この節歩鼓というならわしが許されるのは大王のみで、他の王は同じようにすることはできない。


 夢の大王には当然ながら複数の妃がいて、妃たちが産んだ娘は全部で百人にものぼった。いずれも若く、大王や妃の美しい容姿を引き継いだ見目麗しい姫たちであった。


 百人の美姫を見て心を動かされたのが、大樹仙人という変わり者だった。肩から巨大な木が生えているのでそういう名前で呼ばれている。まるで枯れ木のような老人であったが、男としての欲望は枯れていなかった。「美姫が百人もいるのだから、一人くらいワシの妻に下さらないものだろうか」と大王であるハルシャに申し出てきた。


 相手は王侯貴族ではない。だが、得体のしれない仙人なので、無視することもできない。こういう時は本人の意思が尊重されるべきだ。


 九十九人の姫は異口同音に拒絶の意を表した。ある程度年上の男と結婚させられることは覚悟していても、何年生きたのか分からないくらいの老人と結ばれたいとは思わない。ましてや、肩から木が生えているような妖しい仙人だという。


 節歩鼓ができる強権の大王になったからといって、何もかもが自分の思い通りになるわけではない。夢の中のハルシャ大王は困り果てた。


 一番年下の、まだ幼い姫が進み出てきた。まだ十歳にもなっていない、百番目の姫だった。鮮やかな水色のゆったりした衣装を着ている。ゆったりした衣装なのではなく、これからの成長を見越してなのか、少し大きめなのだ。衣装を着ているというよりは衣装に着られている感が強い。


「父上が困っているのを、これ以上見過ごすわけにはいきません。見た目で相手を判断しなければ良いことです。わたくしが大樹仙人のところへ嫁に行きます」


 まだ幼いとはいえ、聡明である。もう少し年齢を重ねれば、花や月ですら羞じるような美女に成長するであろう。仕方なく、大王は百番目の幼い姫を連れて大樹仙人のもとへ訪れた。


「なんじゃい。まだお子様じゃないか。いくら女の子は7歳になったら婚姻適齢期だからといって、こんな子どもを連れてこられても困るぞ。他にちゃんと大人の姫がいくらでもおるだろう」


「大樹仙人様、実はですね、大人の姫というのが、全員腰の曲がった老婆でして、いくらなんでもそれでは仙人様の好みには合わないだろうと思いまして、仕方がないからこうして百番目の姫を連れて来た、という次第なのです」


 大王であっても相手が謎の仙人となると、横柄な態度をとるわけにはいかない。


「そうかい。そこまでしてまで姫を惜しむというのなら仕方ないな。嫁にくれという話は無かったことにするから、その百番目の親孝行な姫を連れて帰るが良い」


 大王が百番目の姫を連れて王都に帰還すると、九十九人の若く美しかった姫たちは全員、腰の曲がった老婆になっていた。


 それ以降、王都はカーニャクブジャと呼ばれるようになった。腰の曲がった女、という意味である。それが訛ってカーニャウジャになり、カナウジになった。漢字では曲女城と表記される。


 夢の中のハルシャ大王は落胆した。


 老婆たちは見た目の年齢通り、あまり長生きもできず、数年のうちに全員が亡くなってしまった。


 百番目の姫だけは、数年経って、美しく成長した。現在のハルシャとほぼ同じくらいの年齢と思われるので十四歳前後くらいになっただろうか。


 その黒い頭髪は香合のように香りが染み込み、ジャスミンの花で覆い飾られている。双眸は摩尼珠のように光り輝き、紺色でぱっちりと見開いている。まだ幼さの残る顔立ちは、凛々しさと甘美さとを兼ね備えている。


 夢の中では自分の末娘ということになっているが、あまりにも美しく、目が離せない。胸の奥で名前の無い想いがさんざめく。


 大王は額に甘い痒みを感じた。発情期の象は額に痒みを覚えるという。それと同じ現象なのだろうか。


 自分はもしかして、夢の中に登場した美姫に恋しているのか。現実には美女と出会うことは滅多に無い。王子である以上、自由な恋愛などというのはあり得ない。政略結婚が常だ。両性の合意をもって成立するガンダルヴァ流結婚式というのは、八種類の結婚方式の中で最も御伽話に近いものだ。


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