05. 生成されていく愛

「象徴なんて、そんなものはないよ」――と、先輩は言う。


 好きになったのも、付き合いはじめたのも、なにかきっかけがあったのではない。でもいま考えると、きっかけとなるものをいくつか見出してしまう。


 けどそれは、本当に決定的なきっかけだったのか、そう思うことで心の落ちつきを得ようとしているのではないのか。そう、先輩は疑ってしまうのだという。


 だからもう、そういうきっかけみたいなものは、宙づりにしてしまって、いまこのときを大切にしているのだと、先輩は言う。


 彼氏としての実感はなにひとつないけれど、先輩の愛情表現を拒否リジェクトしたいという気持ちになれないのだから、ぼくも知らず知らずのうちに、先輩と過ごしてきた時間を通して、特別な愛情が、生成されていっているのかもしれない。


 こういう恋があってもいいのかもしれない。よく考えてみれば、小学生のときの初恋だって、数学的な厳密さで裏付けられる「好きな理由」なんてなかったと思う。直感のまま好きになって、曖昧な理由がそれを下支えしていたはずだ。


「目の前の人のことを、いつの間にか、どうしようもなく好きになってしまって、あとは、特別な関係性へと勝手に生成していくのを待つ……そういうのが、わたしにとっての恋愛」

「こう言うとあれですけど、身勝手ですよね……なにかと」

「でも、よーくんは拒絶しなかったでしょう? わたしのスキンシップを。それって、よーくんの方でも、キスとかハグとかを受け入れる気持ちが、気付いたら生成されていたってことじゃない?」


 だから、告白なんていらないし、もし、よーくんがわたしを拒絶するようになったら、それで身を引くから――先輩は、寂しげとも平静ともとれるような表情で、さらりとそう言った。


 だけど――ねえ、先輩。ぼくたちにはやっぱり、告白が必要だと思います。こういうことは、あやふやなままにしちゃ、ダメなんじゃないでしょうか。


 ぼくは恋や愛について、先輩のように深くは語れません。


 でも、ふとした拍子に愛情を表現したくなったり、寂しくてしょうがなくて、いますぐにでも会いたくなったり、ふたりきりで笑い合ったりする――そういう関係であり続けたいと、確認しあいたいのです。


 こんなことを、この歳でするのは恥ずかしいけれど、先輩の机の上の読みかけの本の間に、半分だけ見えるようにしてメモを挟んだ。


〈話があるので、今日の17:00に、803教室にきてください。その時間は講義がないはずですし、誰もいないと思うので。絶対に、きてください〉

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