第3話 容疑者集合


 美術館の中に入ると、暖房が入って間もないのか、それとも切ったばかりなのか、冬の寒さで底冷えしていた。美術館に集められた各関係者達も寒そうに手を擦り合わせたり、両腕で身を包むようにしている者もいる。


 現場に向かうと、そこには澤野淳介さわのじゅんすけ刑事、その助手であろう部下の警官が一名。

 杜若が入館した時の受付の女性と、絵画の右側に居た此処の美術館女性スタッフ、左側に居た男性警備員が一人。

 計五名が、杜若が唯一目を引いた絵画が飾られていた場所に集められていた。


 その光景を見て、杜若盧作だけは、を感じていた。


 この美術館に入る前に車内で数分間、絵描きである影塚陽一と特殊捜査係所属の杜若警部補は互いに現場入りする前の打ち合わせのようなものを、急ごしらえで行った。


 そして、杜若の悪寒はその打ち合わせの内容によるものだった。


 影塚は良くも悪くも淡白に、簡潔に物事の物言いをまとめようとする。そして、彼の見ている世界と、いつだって杜若の見ているものはあまりに違いすぎた。

 車内では最終的に「本当に、任せていいんだな?」と具合が心底悪くなっていた杜若に対し、影塚は「当たり前やろ」と胸を張っているが、どこか楽しそうである。


 年上の警察官に頼られるという事実もまた、影塚を喜ばせる原因なのだろう。一服する間もなかった杜若は限界を迎えそうであった。だが、ここで警部補である自分のたがが外れては元も子もない。杜若は兎に角にも、自我を保つことに注力した。


「ああどうも、こんな朝早くから呼び出してすいません、杜若警部補」

 こちらにいち早く気付いたのは、やはり澤野刑事だった。それに呼応するように他の全員がこちらを向いて驚いた表情と、怒りの表情が一斉に注がれるのは、流石に二人とも気まずい。

 しかも嫌味のように杜若をわざわざ「警部補」呼びするものだから、普通の私服姿している二人組のどちらが警部補なのか? という鋭く痛い視線なのだ。


 一体どこまでここに居る人間が現状を把握しているのか知らないが、影塚の予想が当たっているのであれば、少なくともここに居る全員は容疑者候補に挙がっているはずの杜若と影塚を良い目で見るはずもないし、歓迎もしないだろう。


 くそ、美術館が禁煙じゃなかったら過去最高記録の喫煙量を叩き出していたぞ。と、杜若は苦々しい表情で悪態をつく。

 澤野のせいで、ただでさえ寒い館内が、更に気温が下がった気がした。


 杜若の右斜め後ろ側に腕を組んで立っている影塚は、盗品の現場など一切見ずに、他の美術品に目が向くらしく、やたらキョロキョロと辺りを見渡している。

 先程一瞬、澤野が声かけしてきた時くらいはそちらを見たと思うが、もう少し容疑者である自覚を持たせるべきだったか、と杜若は再び煙草の箱をトントンと叩き始めた。


「あ、あなた、あの時写真を撮ってた人じゃないですか……?」

 あの回廊のところに居た女性スタッフが突然、杜若を指さして言い放つ。その声は少し震えていた。それが寒さからなのか、また別の理由なのか、分からない。

 めんどくせえ、と内心思いながら杜若は「ええ、杜若盧作と申します」と丁寧に営業の笑顔も見せずに返した。


 すると、どうも若めの影塚の方を警部補だと思っていたようで、大きな瞳が更に広がった。そして「あ、あなたが?」といった具合だ。

「澤野、どこまでこの人達への報告と、進展があったんだ?」

 澤野は「何も進んでませんよ」と訝しげな顔をする。それもそうだろう。自分の先輩が容疑者で、状況説明者として最も重要人物の癖に、最後にのこのことやって来ているのだから。

 俺でもキレたくなる。と、杜若は心底後輩へ同情の眼差しを向けた。


「監視カメラの映像解析くらいは済んでるはずだろ?」

「それは、まあ……」と、澤野は気が進まなさそうなりに、苦々しく事件の全貌とここに居るについて語る。


「最初にココに本来飾られていた絵画が盗まれたことに気付いたのは、此処の回廊区域を担当していた、警備員の大崎敏信おおざきとしのぶさん。平日というのもあって、早めの閉館作業の見回りを行っている時になくなっていることに気付いたそうです」

「具体的な時間は?」

 杜若は手帳に書かれたメモを読み上げる部下ではなく、その警備員の方を向いて問う。

 すると、少し肥えた警備員はあの怠慢さはどこへ行ったのか、踏ん反り返るように腕を腰に手を当て、「十九時半前です」と自信満々に答えた。


「あなたは僕が来館し、ここでその絵を見ていたことは覚えているんですか?」

 どうせ覚えていないはずだろうに、警備官は「ええ、ええ!」と更に踏ん反りかった。そのままいくと、どっかのアニメのように床でブリッジでも決めるんじゃないだろうか。

「ここに立って、盗まれた絵画の写真を撮っていましたよね? 勿論、覚えていますとも!」


 杜若は呆れて口を少し、しゃくれさせて後頭部を掻く。大方、スタッフとも話して「ここで写真を撮っていた怪しい男がいた」などの話題を聞いただけだろう。

 今、ここでその話をしても見た、見てない等の無駄な水掛け論になるだけだ。

 それを察してか、澤野は「まだ説明中です」と、まだ言葉を発しそうな大崎を制した。


「こちらの女性が、吉野よしのちなの恵さん。この展示会の受付をなさっていました。そして奥にいらっしゃるのが、この展示会の責任者でもあり、スタッフも兼任してらっしゃる学芸員の真辺莉々恵まなべりりえさんです」


 吉野と紹介された女性は、戸惑いの表情をしている、細く小さい。所謂いわゆるモデルのような女性だ。キャッチなどに捕まりそうな、ひ弱そうな女性というイメージを受ける。

 一方で、真辺という女性は平均の女性よりは背も高く、――多分失礼なのだが――逞しいという表現が似合う方だ。


 そして、この場に居る誰よりも、ものすごい形相で杜若と影塚の事を見ている。勿論、いい意味じゃない。それこそまるで殺されそうな勢いで、睨まれている。


「あー……すまんが、学芸員というのは?」

「それは……」と、澤野が説明しようとした時だった。


「美術品の収集保管、その研究や調査という専門の職務に就についている人の事です。そんなことも知らずに盗んだんですか?」


 この場に居る全員が「お、おお……」と、思わず気圧される勢いと声量で、真辺という女性は語った。

 中肉中背の女性は腕を組んで、人差し指をしきりに上下に動かして、明らかに不機嫌な態度である。


「あの、真辺さん、まだ杜若警部補が盗んだという確証は……」

「だからなんです? あなた、映像見ましたよね? この人が無断で美術品の写真を撮って、そのあとやましいことでもあるかのように去って行ったのを」

 我慢していたのか、せきを切ったように、この学芸員の鬱憤喋りは止まらなかった。


「そもそも確証を得てないって、この人が同じ刑事だから優遇されてるだけじゃありません? あの絵は価値こそ曖昧にされてますけど、まだ研究段階だからです。けれど、その価値を知っていれば、当然盗みたくもなるでしょう。それも、警察なんていくらでもこちらの裏事情も情報も開示することなんて、容易ですものね? ほんと、これだから警察っていう組織は信頼が得られないんですよ」


 こりゃ随分な嫌われようだな。と杜若は思わず苦笑するしかない。過去に美術品関係で揉めたことでもあるのだろうか?

 だとしても、その管轄は杜若ではない。確か美術品関係はその展示している場所の県警が担当するはずだが……。


 と、なると澤野の横に居る杜若と同じ年くらいの刑事が、その立ち位置か。


「では私の番ですね。私は県警の刑事部捜査第一課所属の一ノ瀬時堂いちのせときどうと申します。以後お見知りおきを、杜若警部補」

 大変ご丁寧な説明をしながら、一ノ瀬刑事は名刺を渡してくる。

 これには当然、杜若も返さなければいけないので、煙草の箱を仕舞い黒革の名刺入れから自身のも取り出す。

「特殊事件捜査係……? ああ、噂だけは聞いていますよ。本部の警察庁にしか確かないとか」


 作り笑いで誤魔化すあたり、中々の皮肉交じりのご挨拶だ。ようは大した組織所属じゃあありませんよねと、マウントを取りたいんだろう。

「いえ……一応地方の調査でも赴くので、その際は県警と共同で捜査することも、ままあるんですよ」と、杜若は至って冷静に返す。こういう態度を取られることも、実は慣れているからだ。


「それで、そちらの方は……」


 全員が杜若の後ろ――影塚の方を見た。

 辺りを見渡していた絵描きはこの状況に満足したのか、この緊張の空気の中、満面の笑みを全員に向けて返し「あ、どうも」なんて返す。


「えーと、盧作さんの友人で、絵描きをやらしてもろてます、影塚陽一と申します」


 その時の、杜若以外の全員が、この世の終わりを見たかのような絶句した「えっ」という発言と表情に、思わず杜若が大層笑いそうになったのは、ここだけの秘密にさせて貰いたい。

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