歪な絵画の謎―それは絵じゃない―
M.O&わらび餅
プロローグ
絵ってのはそんなに良いモンか?
さてね。ワイは絵を描く行為自体が好きやから知らへんし。
かつての学生時代、そんな会話をしたこともあったっけな。なんて、昔の事を思い出しながら、事務の子から貰い受けた美術館のチケットを一枚、胸ポケットから取り出す。
そこには『日本の名が知られぬ絵画展』という、なんとも言えない展示会の名前が印字されていた。
齢四十になろうともいう男が、独り寂しく、滅多に赴くこともしない美術館を練り歩くというのは受け取った当初こそ気が引けたが、勿体無い精神が働いてしまった。
それに、絵画とは言えども、同じ絵に通ずる友人への良い手土産話になるだろうと思ったのだ。久方に連絡も取っていない相手への話題作りには、充分適しているだろう。
まあアイツとは、こんな口実を作らずとも幾らでも連絡は付くだろうが、折角会うのだ。世間話だけに留めるのも如何なものかと、変な遠慮心からだ。
受付の人に案内されるがまま、チケットを提示して自身の名前、「
さて、そんな自分の名前へ向けられた不信さなど忘れて、絵描きを営む友人へどんな土産話をしてやろうかと思いながら、だだっ広く何十枚と絵が飾られた回廊を巡る。だが、すぐにその土産話そのものに悩むことになった。
正直、自分は美術という分野に至っては、とんと疎い方だと自覚している。こうして世の中で賞賛を浴びているのだろう絵画たちを目の当たりにしても、何も惹かれないし、技術の凄さだって、いまいち分かりはしない。
周りに数人いる来館者達が見惚れるように、亀のような速度で歩き、一枚一枚の絵画を眺めている中、その歩む速度を変える事が無い自分だけ、その疎さを痛感せざるを得ないというのもある。
しかし、そんな自分なりにある程度の下調べもしてきたつもりだったが……。どんなに歴史を知ろうが、知識を持っていようが、こういうのは結局その人々が持つ感性や、センスで理解が出来るんだろう。
描いた人にも申し訳なく思うが、自分はそこに映るモノの良さが分からなかった。
これでは土産話どころか、あいつに合わせる顔すら思いつかない。さて、どうしたものか……と、正に悩みながら靴音鳴らしながら歩いている時だった。
ただ、一枚の絵だけが異様に目に付いた。
それは、一際目立つように飾られているとか、ものすごい描写がされているというわけでもなかった。ただ……違和感、というのだろうか。その絵だけ、何を描写しているのか、何を伝えたいのかが、純粋にさっぱり分からなかったのだ。
この『日本の名が知られぬ絵画展』に展示された絵画は、海だとか山といった風景画が多く、他に肖像画らしきものが数枚であった。だが、この一枚はそのどれとも当て嵌まらず、更には他はカラフルなのに対して、全てグレーという暗い印象だ。
ゆっくり歩いていた足を止め、その一枚をよく観察してみる。誰も歩いていない今にも崩れそうな寂しい歩道橋をバックに、白いマフラーに顔を埋めた一人の男。あとは地平線が見えそうで見えない灰色の土埃が舞っているだけの絵……。
殺風景極まりないが、キャンバスは自分の両腕を広げる程のサイズであるのに、これしか描かれていないとは。
その時初めて、絵画の説明がされているプレートに目を通した。
作者「不明」作品名「不明」時期「一九三八年頃」解説部分は長いので、要約してしまうと、「戦後に名を馳せた文豪が妻を亡くした後の姿」と記されていた。
成程。これは戦後――つまり灰となった戦地の跡ってわけだ。それなら全体的に灰色な色になるのも頷ける。
ここに描かれている男が何故文豪だと分かるのか、という点以外は納得した。
正直、この絵に映っている男の情報は何もない。万年筆や筆記具も持っていなければ、紙も書籍も持ってやしない。この男がメモを取っているとか、何か書いている所作が一つでもあれば「文豪かもな?」と思うだろうが、この描かれている男は痩せ細った身体に白いマフラーを巻いて、少し俯いているようにしか見えない。
……これは、俺のセンスが悪いのか?
そんな疑問を抱きながら、スマホを取り出して絵画本体と説明されたプレートの写真を二枚、撮ってみる。
普通はこういう展示物の撮影は禁止とされているが、二枚の絵画を挟んだ向こう側にいる眠そうなスタッフは何も反応しない。反対側――少し離れているが、警備員らしき人もまた、反応しない。
更には、この絵画の場所付近には「お手を触れないで下さい」は表記されていても、「撮影禁止」といった類は何処にも見当たらなかった。なんて緩い監視だろう、と思いながらその緩さに甘えさせてもらった。
そんな能天気さで、その後は少し足早にして美術館を後にした。本当は全部の絵画をゆっくり見て回るつもりだったが、思いのほかニコチンを求める気持ちが勝ってしまったんだ。
本当に、それだけの理由だ。他意はない。
だが、この時の気の緩みが全ての元凶だったのだろう。職業柄、そういう警戒はいつだって張っていたはずだったのに、久しぶりのオフで友人と語らうという事が、緊張の糸が解れてしまったのかもしれない。
何にせよ……あの時はニコチンを求めた自分が心底憎い。他のろくに見れてない絵画についても、申し訳ない気持ちで通り過ぎ去ったし、横目で見て行った物にも、罪悪感を抱いて見て行った。本当だ。
ああ、だけど俺が何をどう弁明しようとしても、今思い返せばこの行動は端から見れば誤解を招く要素そのものだったのだろう。
だが俺が取った行動は全て事実だし、あの絵のことだって、本当に知らなかったんだ。
その翌日、例の絵画がまさか自分が過ぎ去った数時間後に盗まれ、自分と翌日まで語り合っていた友人に、二人揃って美術品絵画盗難の容疑が掛けられるなんて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます