第10話 お嬢様の隣に
「わかった? つまり、騎士学校が大きくなっていった背景には、デリースの竜狩りって物語の流行があるの!」
「なるほど……!」
幸いなことに私の今いる環境には、騎士学校と、騎士学校周辺のことについて物凄く詳しく、教科書の内容もほとんど完璧に把握している方がいた。
それが、通っていた間は優秀どころか、暫くの間学年主席の成績を納めていたというお方。ネリー・ブレイズチップ様だ。
私は今、丸テーブルの前に座り、書斎に置いてあった騎士学校の成り立ちについて書かれた本を広げ、お嬢様と向かい合っている。
簡単に言えば、お嬢様に授業をしてもらっている。
なんとなく、できるかもしれないくらいの気持ちではあったけど、想像を超えて物凄く分かりやすく教えてくれる。
「ありがとうございます。お嬢様」
「ふふん! これくらい軽いわ!」
そう言って、お嬢様は得意げに胸を張るけど、実際すごいと思う。
ちょっと騎士爵の一人娘をやっていただけの、教養の乏しい私に、ここまで分かりやすく教えられるんだから。
「ところで……どうして突然、教えてほしいなんて言い出したの? 教科書まで持って来て……」
あっと……まずい。言い訳を考えていなかった。
お嬢様も相当妙に思ったのか、いつもの元気いっぱいなトーンではなく、落ち着いた口調になってしまっている。
「こないだの……騎士学校の話を聞いていなかったのが、心残りで……」
「なんだそんなこと! そうならそうと言ってくれてよかったのに!」
「いや、それだけではなくてですね……」
あー……もう、ここまで来たら全部言ってしまった方が楽かもしれない。
「その……実は私、お嬢様が最近まで、部屋に籠りっぱなしだったと聞いてしまって」
「……ああ」
ああ、まずい。お嬢様の顔に影が落ちてきた。
やっぱり突かれたくないところだったんだろうか。でも、ここで話を切ったら、それこそ誤解されてしまう。なるようになれだ。
「えっとですね。普段あれだけ元気なお嬢様が部屋に籠りっぱなしだったなら、絶対何か原因があると思ったんです。それが騎士学校のせいなのか、別の何かのせいなのか、わからないですけど……」
お嬢様の顔が俯いて、みるみるうちに陰っていく。でも、ここまで来たなら最後まで言わなければ。
「だから、私も騎士学校について調べれば、きっとわかってくるはずだって思ったんですけど、傭兵団にいる間、全く本に触れてなかったせいか、読み方とか、前提知識とかが全くダメで……お嬢様は成績優秀だったと聞いていたので、もしかしたら聞けるかもって……」
「…………」
まずい。ついにお嬢様が口をつぐんでしまった。
何だか苦しそうな様子でもある。
何か………何か挽回できるような手はないだろうか?
えっと、お嬢様が喜びそうなこと……喜びそうなこと!
「だから! よかったらお昼の日課までの間毎日! 私と一緒に勉強しませんか!?」
「……えっ?」
「えっと……」
……? 何を言っているんだ私?
なんでそれでお嬢様が喜ぶと思ったんだろう?
「……いいの?」
「あっ……はい。勉強はお嬢様さえ良ければですが……勉強はお嫌いではありませんか?」
「ううん。勉強は好きなの。でも……」
一応、学校に通わなくなった理由として、一番有力だったのは勉強嫌いだったんだけど、あんなに楽しそうに教えているんだから、それは無いと思ってはいた。
だったら何か、別の理由があるはずなのだ。もっと別の、根本的な理由が。
「一緒に遊んでくれたり、勉強してくれる人が居なかったの」
「……そうなんですか?」
意外だ。お嬢様の快活さがあれば、望まなくても人が寄ってきそうなものなのに。
「うん、私。お兄ちゃんが二人いるんだけど、年が離れてるせいで、ほとんど会ったことなくてね? お家も、騎士爵から男爵家になったばかりだったから、お茶会のお誘いとかもなくてね?」
そういえば、今いるお嬢様の部屋には、やけに物が多い。
たまにテラスで語ってくれた、冒険譚の冊子はもちろん、書斎で見たような数々の本に、ぬいぐるみや、玩具のお城……それに、杖や斧や剣のレプリカまで。
それでいて、妙に片付いている。部屋の中心にはこんな大きな丸テーブルもあるし……今座っているのも含めて、六人分の椅子もある。まるで、ずっと来客を待っていたみたいに……
「使用人たちは、優しくしてくれたし、お母さまも、優しかったけど……ずっと距離を取られてた。大切にしてくれてるんだってわかってたけど、それでも……」
そういえば、私の歓迎会にも、お嬢様は居なかった。
おそらくは、呼ばれていなかった。
わざわざお嬢様が部屋に戻る夜まで待ってから、部屋から離れた食堂で、会は開かれていた。
「私、学校で友達作ろうって頑張ったの……頑張ったけど、それがダメだったみたいで、みんな、私のこと鬱陶しいって……ぽっと出男爵家のくせに生意気だって……」
お嬢様は俯いていて、表情は見えない。
テーブル越しだから、覗き込むこともできない。
でも、それでも、声が震えていることと……ぽつぽつと、顔から涙がこぼれ出ていることはわかった。
「お嬢様……」
ああ……わかるな。
私も、騎士学校の試験を受けに行ったとき、そんなことがあった。
お父さんが死んで母親が逃げてから、傭兵団に入ってからも、貴族様扱いでからかわれた。
それを理由にいびってきたり、変な目で見てくるやつもいた。
ああ、そっか。
唯一私に良くしてくれた、団長がいなかったら、私だって似たようなものだったんだ。
「お嬢様……少しだけ、失礼なことを言いますが、よろしいでしょうか」
「えっ?」
だから多分、私にはわかる。
お嬢様が今、私に何を言ってほしいのか。
流石に、これくらいでクビになったりはしないだろう。
「これからは、お嬢様ではなく、ネリー……さ、ま……ネリー様と呼んでも、よろしいですか?」
……認めよう。日和った!
けど、このくらいがいい塩梅だとも思う!
「……ダメよ」
「あっ……すいません」
でも外した! なんてことだ! 単純に失礼! そうだよね! あーもうクビかな! 命までは取らないでほしいな!
「これからは…………ネリーと呼び捨てにしなさい!」
「……えっ!?」
あっそっち!? そっちなのか!
「さあ! 今言いなさい! ネリーよ! ネリー!」
お嬢様はなんだか、すごくいい表情だ!
涙で光って瞳が綺麗だし、頂点が口角で笑みが満面だ!
「ネ……リ……」
「ネリー!」
「ネリー……」
「ネリー!!」
「……ネリー!!!」
「よし! キュージ! あなたは今日から友達よ!」
「……はい!!」
その後、朝っぱらからなんだなんだと使用人さんたちが押し寄せてきて、恥ずかしくなって私は逃げた。
正確に言えば、私たちは逃げた。
追う追われるじゃなくて、横に並んで、手をつないだまま、中庭に走って、盛大にこけた。
流石に運動用でもなんでもない服を汚したとなって、メイドさんにはちょっと文句を言われた。
でもその後に言われた一声が、ずっと心に残っている。
「あなたなら、お嬢様の隣に立てると思っていましたよ」
***
「楽しそうですねー」
「ええ、眺めてるだけでも楽しいわ」
「あんなに汚れちゃって……洗濯は大変じゃないの?」
「大変ですよー。でもまあ、仕事がないよりよっぽどマシです」
「今まで本当に何もなかったものね……私も、暇つぶしができてホクホクよ」
「本当に、キュージさんが来てから、動き出したわね」
「ええ、まるで、積雪が解けて、春草が芽吹いたようです」
「あら、随分詩的じゃない?」
「今まで暇だったもので」
「しかしー……雪解けのころに活動を始めるのは、春草だけではありません」
「……というと?」
「変化がもたらすのは、いいことばかりではないということです。おそらく、もうじき一山あるかと思います」
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