第14話 ぷらいばしー。


「よみちゃんねえ、藤やんに聞いたんだけど」と、母が作業の合間に話し始める。いつもなら聞き流しているのだが、よみの話となってはさり気なくなんの気もない普段通りのふりをしつつ鼓膜を鋭敏にせざるを得ない。「ここに来る前、男の人とお付き合いしていたらしいんだけど。何よむせたりして」

げほがほごごげ。飲んでいた茶を流し込むところが疎かになってしまった。

 男がいたか。そりゃそうだろうなあ美少女だもの。だ、男性とお付き合いするのがし、自然というものである。動揺なんかしてないしてない。

「でも、なんだか悪い男だったらしくてね、さんざん弄んで、挙げ句に捨てられちゃったんだって。あんな可愛い子によくそんなことできるわねえ。いやあねえ」

捨てる神あらばなんとやらと言うではないか。おかげで私のところに来てもらえたではないか。私は彼女に降り掛かった災難やら人災やらには目もくれず自分の幸福を祝うばかりであった。

「その辺の話とか聞いてないの」

「聞かないよそんな話。きっと内緒にしたいはずだよ」

「そうねえ、そうかもねえ。でね、そんな事があって、体調がおかしくなって、どうにか大学だけは出たんだけど」

おそらく悪意はないがデリカシーもない。プライバシーというものに対する配慮が、ないわけではないが薄い。環境が閉塞しているから変な噂を立てられれば居辛い環境にはなるだろう。他人事ではない。私自身は居辛い状況を逆手に取って引き籠もっただけだと言える。

 そもそも人間は他人にしか興味がないのだ。プライバシーの尊重を声高に訴える一方で、プライバシーを公開して成り立っている商売だってある。小説家なんて頭の中を丸出しにして恥じるところがないではないか。

「大学は出たんだけど、町での暮らしが辛くなってこっちで就職したんだって。組合の近くでアパート借りて暮らしてるらしいんだけど、組合の若い男の子が落ち着かなくて大変だってさ。そおりゃそうよねあんなかわいいんだもん」

母はけらけらと笑うが、娘は奥歯を噛みしめるばかりである。言い寄られていたりしたらどうしよう。ハラスメントを受けていたりしたらどうしよう。

「でもね、一人暮らししてると色々怖いこともあるんだって。じゃあ藤やんとこで厄介になったらって言ったら、それもちょっとって。なんかあるのかしらね」

そりゃなんかあるだろう。近親者たちの間にいるのが辛くなって別の場所を求めたのだから、心配や気遣いからなにか色々言いたくなる親戚のところは憂鬱かも知れない。

「でね」

母親の声音が変わる。どう変わったか。

「よみちゃん、私達と一緒に暮らしたいんだって」

自分の母親にはあまり使いたくない表現だが、どことなく艶めかしい声。そして言葉の内容から受ける衝撃。

「えっ、この家で暮らすの。そんな話聞いてないよ」

「よみちゃん奥ゆかしいわよね、私からみのりに聞いておいて欲しいんだって。直接言うの恥ずかしいからって。かわいいわよねえ」

どこかおかしくはないか。私に都合良過ぎはしないか。

「組合ともちょうどいい距離だし、藤やんとこもまあそこそこだし、色々と塩梅がいいんですって」

「いや、でも、ええと」

「でも、家で住むったって、いくらなんでも母屋は古いし、手狭だし。そこの物置潰しちゃって小さい家建てちゃおうと思うのよ。お風呂とか台所とかも新しい方がいいでしょ」

明らかに常軌を逸した展開だが、私は、う、うんと頷いただけだった。性急すぎる、勝手に進めるな、そもそも根本的なところから違和感が拭えないなどと反論しなかったのは、もちろん私に都合が良いからである。大好きな女の子と一緒に暮らすことができるのに、なんで反対意見を表明する必要があろうか。

 それだけ言い切ってしまった母親は、これが憑き物が落ちたようにと言うんだろうなあという気の抜けた顔で、なんだか疲れたわ、あとちょっとお願いね、とぽそりと言って母屋に向かってしまった。先程までのテンションとの落差で冷静にならざるを得ない。

 やはりなにかおかしなことがあるのだ。  傍らにいた父に視線を送ると、母の背中を見送りつつ、

「女ってのはわからん」

ともそもそ言いつつ、作業に戻っていった。

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