兄弟の魔法戦争

蒼空 秋

第1話 異能者絵里と猫と妹を連れた少年

 かつて戦争があった。後に第三次世界大戦とも呼ばれることになった悲劇、軍隊同士が戦ったのではない。個人と軍隊が、個人と個人が戦争をしたのだ。それは本来は暴動と呼ばれべき代物だったろう。だがその〝個人〟の力は、近代兵器で武装した軍隊を前にしても、なんら劣るものではなかった。


〝マナハザード〟


 古来より歴史の裏側で厳重に秘匿されてきた〝神秘〟──そしてそれを体現である超常の力である〝異能〟

 二十二億の人命を代償として〝奇跡〟が人類の前に解放された歴史の転換点。


「でさ~、結構いい話だと思ったんだけど、あとで聞いたら支払いは旧円って言うんだよ。失礼しちゃう、〝東京特区〟で円って言えば、〝紫円〟(シエン)に決まってるでしょうに!」


「ひっどーい、それってトーマ自動車だよね? 異能力者(うちら)の異能(ちから)を実験に使って、旧円はないわ」


 学校終わりの放課後、十代半ばと思われる少女三人がおしゃべりをしながら我が物顔に公道を闊歩していた。彼女達が身を包むチェックのスカートに紺のブレザーは、異能力者を集めた〝特区〟の中に設立された八代台高校の学生であることを示している。先頭に立つ金髪に染め上げた少女、美樹が先ほどから大声で不満をぶちまけている。


「でしょ? 本当にムカつく~、能無しのノーマルのくせに……絵里っちも、そう思うよね?」


 そう同意を求められ、彼女の後を歩いている赤髪を二つに束ねた少女──清水絵里は「そうだね」と相槌を打った。〝異能力者〟は、特区でこそ珍しくはないが、西暦二〇三〇年の日本全体では稀有な存在だった。


〝アルバイトの時給はもっと優遇されるべし、異能力者に敬意を〟と美樹は言いたいのだろう。


「それで、途中でパックレちゃったの?」


「ううん、異能力者の責務だし、一応最後まで付き合ったけどさ~、車の衝突実験か何か知んないけど、いろんな姿勢で〝力〟を使わさせられてたよ。……あのスケベハゲ、最後の実験は絶対にあいつの趣味よ」


 美樹は大げさに目くじらを立てながら、そうまくしたてる。不満を言いながらも、一度引き受けた仕事の義理を通したのは彼女らしいと絵里は思う。そもそも〝特区〟で生活する限り、必要なものは何でも手に入る。

 東京府異能力者特別区、通称〝特区〟──旧東京都特別区を廃止して設立されたこの異能力者のための特別区は、豊かさにおいては外の日本(せかい)比較にならない。その気になれば欲しいものは何でも手に入る特区の住民が、外地の民間企業に協力するという事は、多かれ少なかれある種のボランティア的な意味合いを含んでいるのだ。

 昔の貴族でいう〝持てるものの責務〟というやつだろうか。


「スケベと言えばさ、絵里達のクラスの転入生の噂、知ってる?」


 美樹の愚痴を聞くのにも内心飽きていたのか、梨香子が新たな話題を提供する。メガネにショートボブといういでたちの彼女は、その優等生の様な風貌とは裏腹に、学年一のゴシップ好きで知られていた。


「え、なになに~? それ、聞きたい。あいつ、なんかわけわかんないもん」


 美樹が期待に瞳を輝かせながら、梨香子の話を促す。絵里も無言で耳を傾ける。

 絵里のクラスの転校生。11月という奇妙な時期にやっていた長瀬英次という男子生徒には、謎が多かった。一見したところ黒髪で物静かな、いかにも根暗な優等生といった風貌だったが、制服の上からでもわかるその絞り込まれた肢体は、なんらかのスポーツ経験があるように思えた。しかし彼は何の部活にも所属せずに、体育の時間は体調不良を理由に見学ばかりだった。何より放出される〝魔力〟の値が極めて不安定で、異能力測定試験では赤点と満点の間を行ったり来たりしていた。

 何よりその異様なほどに鋭い眼光は、クラスメイト達に対して、話しかけることを拒んでいるかのように感じられた。

 当然友達もいない。さらに一人きりの時に、真顔で猫と話をしていたという噂すらある。


〝ネクラでアブナい奴〟というのが、転校後数日にして定まりつつある彼の評価だった。


「中等部にね、あいつの妹がいるって話は知ってる?」


「聞いたことある。確か、目が見えないんだよね。いつも何故かブレザーでなくてセーラー服を着てて……」


 それ自体は珍しくもない、マナハザードから十年経った今でも、その時の後遺症をひきづっている人はいる。何せ全人類の三分の一を巻き込んだ大災害なのだ。世界一を誇る特区の医療技術を持ってしても、治らない病を抱えている人は多い。特区の外のノーマル達も含めれば、後遺症を追っている人数は無数にのぼるだろう。


「そう、そのコなんだけど……まず第一に、兄妹のくせに全く似ていない。あいつは真っ黒の髪に、嫌な目つきなんだけど、そのコは綺麗な桃色の髪をもった妖精の様に愛らしい女の子なの。あれは絶対に実の兄妹じゃ無い。断言できる。しかもね……」


 さも貴重な情報をもったいぶるかの様に、梨香子は言葉のトーンを落としながら……


「噂では、異能が使えない〝ノーマル〟らしいの」


「え~、うっそー!?」


 ついつい絵里は声を上げてしまう。八代台学園は、特区に設立された異能力者だけが通うことが許される学校だ。異能の開発と運用のために、特区の外の日本(せかい)から吸い上げられた潤沢な税金が投入されているため、異能を持たない普通の人々が通うことは許されない。そもそも、住み込みの家政婦等の例外を除いて、異能を持たないノーマルは特区で暮らすことすら困難なはずだ。


「しかもね、学生寮じゃなくて、豪華なお屋敷に兄妹二人っきりで暮らしているみたいなの」


「ええ!? ウチは寮生活が必須でしょ?」


「そう、でもなぜかあの兄妹には特例が認められているの。それに通いのメイドさんがいて、当然ノーマルらしいんだけど、このコも私たちくらいの歳で、すごく可愛いいの」


「それってつまり……?」


 興味深そうに固唾をのむ絵里達に対し、梨香子はややもったいをつけながら


「そう……あいつ、妹という名目でノーマルの女の子を連れ込んで、しかもメイドさんまで囲ってるって話。女の子にセーラー服を着せてるのはあいつの趣味って事」


「きゃ~エロい!」


「ハーレムじゃん。しかもセーラー服とメイド服フェチ!」


「ご主人様と奴隷とメイドってわけね。異能力者だからって、ノーマルの娘達をおもちゃにするなんて最低! 私も混ぜて!」


「ちょっとちょっと、問題発言! あんたあんな男が好みなの?! てかそんな趣味?!」   


 梨香子の大胆な予想に、みんな次々と黄色い声をあげつつ、思い思いの感想を述べる。こうなった以上は、ゴシップの真贋なんてどうでもよかった。単に、目一杯騒ぐネタが欲しかったのだ。絵里も同級生達のえげつない下ネタ話しに話を合わながら、周りの目も気にせずに一緒にはしゃぐ。


「──うわ、降ってきた。天気予報で雨って言ってなかったのに……」


 そんな絵里たちを嵐の神が叱ったのだろうか、突如、何の前触れもなく大雨が降りだした。凍てつくように冷たい冬の雨は、先ほどまで絵里達がしきりにはしゃいでいた道路を洗い流すかのように激しく降り注いだ。

 その雨音の中、絵里の〝異能力〟は、教室で感じた覚えのある足音を感知していた。


 ──あれは?──


 道路を挟んで反対側の歩道の奥に、先ほどまで噂の渦中にいた転校生が歩いていた。黒髪の、どこか影のある少年。一緒にいる桃色の髪の美しい少女は、噂の妹だろう。確かにセーラー服を着ている。梨香子の言う通り、兄である転校生とは似ても似つかない。だがそのありようは先ほどのゴシップとは、ずいぶんと異なってるように見えた。

 転校生は、少女の肩を左手で優しく抱きかかえながら、ゆっくり、ゆっくりと、目の見えないという妹の歩調に合わせながら歩いていた。右手には大きめの傘を妹のためにさし、彼女が雨に打たれないように最善の注意を払っている様に思えた。傘からはみだした自分自身が雨水に濡れることはまるで意に介していない様で、転校生の半身は雨水でずぶ濡れだった。傍らには、彼の飼い猫だろうか、黒い猫が二人の側を追うように駆けている。


「……ご主人様と奴隷には、とても見えないけど……どちらかというとお姫様と──」


 彼と彼の妹の姿を遠目で見つめながら、絵里は思わずそうつぶやく。


「何してるの絵里? はやくはやく、あっちで雨宿りしよう!」


 雨の中、ぼんやりと彼らの姿を眺めていた絵里の右腕を、美樹が強引に掴んで雨の中を駆けていく。他のコたちもそこにいた。どうやら近くにあった異能力者用のブティックの屋根下を、緊急の雨宿り先にしたらしい。


「急に降るんだもん、う~、さっむい」


 もう秋も終わりにさしかかったこの時期の雨は冷たく、いっそ雪になってくれた方が幾分とマシだと思える。みな冷たい水滴を含んだ髪と制服をハンカチで拭っていた。絵里もブティックの天井を見上げながら、同様に髪を拭う。そしてずぶ濡れの〝彼〟はさぞ冷たかったろうに、と思った。

 その時、絵里の腰元の携帯から機械的なメロディが鳴り響く。この着信音は、特区当局からの〝依頼〟の知らせだ。


──ふう、よりによってこの雨の時に……でも仕方ないか──


 タイミングとしては、最悪もいいとこだが、呼び出しとなれば文句は言えない。


「何、絵里っち、生徒会の呼び出し?」


「うん。そんな感じ……ごめん、あたし、行くね!」


 同級生たちに片手で軽く会釈して、カバンを緊急の傘にしながら、絵里は降りしきる冷たい雨の中を駆け出した。

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