第8話

ピンポンが鳴った。

 「先輩。うっす」

 俺はいつものように、ドアを開けた。

 先輩には、いつものほわんとした空気は無かった。

俺は何かを察知した。

「先輩、とりあえず中に入りますか。」

 先輩は黙って、ソファーに座った。

「先輩、どうしたんですか?」

 内容は俺が知ってる太田さんから聞いた事まんまだった。

 太田さんの話通り、先輩の彼女大出さんさ太田さんと付き合っていたらしい。

「先輩、よく耐えましたね。話、聞くのも辛かったでしょう」

俺は人を励ますのが苦手なんだと思う。

こう言う時に気が利くことを言える人が羨ましい。

でも、俺にそんなことは出来なくて、ただ頷いただけだった。

 先輩は、話終える頃には既に泣いていた。

 大人の男性が泣くのを見るのは、初めてだった。

「真理ってさ、本当に俺の事を好きなのかな」

「好き…だと思いますよ」

「太田とは…女子とは付き合えないってわかって、その場にたまたまいた俺と付き合っただけなのかな。」

そんなことは……

「ないと思います」

 俺にはそれしか言える事がない。

 もっと良い言葉があるのかもしれないけど、俺は知らなかった。

「俺、これからどうすればいいのかな?」

 すいません、先輩。

 俺にはわかりません。

 わからないけど……

「先輩、実は俺、太田さんの事が好きなんです」

「志木が太田の事を?」

先輩がびっくりしている。

 初めて言葉にして、初めて誰かに伝えて、改めて気づいた。 

「そうです。俺は太田さんを好きです。でも、太田さんの恋愛対象に俺はどうやっても入る事はできません。これは、誰のせいでも無い、どうしようも無い事だと思います。でも、誰のせいでも無いからこそ大変なんです。苦しいんです。…辛いんです。」

 先輩は、俺の言葉に真剣に耳を傾けてくれている。

 だから、俺も俺なりの真剣な言葉で先輩に伝える。

「でも、人間っていうのは、何に対しても理由を求めるんです。それに理由なんかなくても。で、俺は考えたんです。太田さんがレズビアンなのは誰のせいでも無い。それを前提とした上で俺は何がしたいのか、未来でどうなっていたいのか、そのために何をするのかって。」

 俺は…

「太田さんに、未来で笑っていてほしい。だから、俺は引きます。太田さんに、俺の気持ちは伝えません。太田さんは、きっと俺の事を信頼して自分の事をカミングアウトしてくれたんです。だったら、俺はその希望に応えたい。」

 窓に爪をたてる勢いで降っていた雨は、いつのまにか止んでいた。 

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