12-②

12-②


「ねえ、どこ行くの……?」

 激しい雨に構わず歩を進める僕の背中を、激しい雨に気圧けおされながらも、それ以上の出来事に拘束されている艶冶えんやな器と魂が、必死についてきている。

「さっきゴミ整理してるときに妙なもの見つけたんです。だからそれを見てほしくて」

 声が届いたかどうかはわからない。声を出せたかどうかもわからない。

 ただ一つの事実は、彼女は僕の後ろを歩いている。僕が今まで彼女の背中にすがっていたことをひっくり返すように、産まれた瞬間ほど身体を濡らし尽くした山岸さんが、僕の背中を頼りに水の咆哮ほうこうを掻き分けている。

「こっちです」

 店の裏に辿り着き、倉庫の引き戸を開けて中にあるゴミ袋を指差す。簡易な造りの倉庫は横殴りの威力に耐え切れず、隙間から入った雨垂れが袋の表面に付着している。

「これ、ちょっと見てもらえませんか?」

「う、うん……」

 僕の前を通り過ぎ、山岸さんは倉庫の中に身体を突っ込む。縛った結び目を解く手によって、表面だけ濡れていたゴミ袋は、僕たち二人と同じように全面に水を被った。

「どの辺が気になるの……?」

「もうちょっと下の方です」

 僕の指示を聞くと、山岸さんは完全に上半身を屈ませて袋の中を漁った。

 そうして僕は、彼女の真後ろに立った。ゆっくりと身体を近づけ、雲と視点を同化させて、彼女の背中を真上から見下ろす。

「山岸さん……!」

「え……?」

 その背中に、僕の両腕が食い込んだ。

「ちょ、ちょっと……!」

 降りつける雨に合わせて身体を振り回したが、深く食い込んだ両腕は、彼女の熱を感じていた。

「やめて! 橋内くん! お願いだから放して!」

 左手で彼女の口を塞ぎ、右手で彼女の上半身をまさぐる。

 ずっと、頭の片隅に置いてあった情景だった。

「山岸さん……、俺、もう我慢できないんだ……!」

 そのとき、彼女の動きが止まった。

 僕の左手に両手を添えて、ゆっくりと口から離す。そのまま右手と共に自分の上半身に縛り付けて、視線を地面に向けた。

「……それ、本心……?」

 息遣いは聴こえない。

 鼓動も服の擦れる音も、いつの間にか、雨音さえ、僕の聴覚は拒絶していた。

「本心なら、一つだけ、約束してほしい」

 何も視えない。何も匂わない。彼女に触れているはずなのに、何も感じない。雨粒が口に入っているはずなのに、何も感じない。

「私のことも、名前で呼んで」

 全ては彼女の声を、彼女の本能を、直接心臓に届かせるために。

「あの娘に、そうしてるみたいに……!」

 彼女は勢いよく振り向き、僕の口の中に自分の味を流し込んだ。

「文子さん……!」

 彼女の顔が間近に視えた。彼女の甘い香りが鼻腔に広がった。彼女の舌が、僕の舌と激しく交わった。

「文子さん、俺、ずっと……」

「何も言っちゃダメ」

 彼女の腕が背中に回り、内臓が全て飛び出しそうなほど、僕を強く抱き締めた。

「何も考えないで。何も見ないで。ただ、私だけを見てて」

 咥内こうないで二枚の舌が遊弋ゆうよくし、感情は雲の上を通り過ぎた。

「それがたぶん……、あなただから」

 ただひたすら、彼女の入り口を塞いだ。ただひたすら、彼女の身ぐるみを絞めつけた。

 しかし、彼女は本能の出処を知っていた。

「ほら、早くベルト取って」

 気吹を耳にかけて僕の腕から力を抜くと、しゃがんで股の前に居座り、黒のチノパンに手をかけた。

「い、いや、いくらなんでもそれは……。ここ外ですし──」

「じゃあ、やめる?」

 チノパンを下ろしあらわになった下穿きを前に、彼女は手を止める。そのまま上目遣いで視線を合わせると、人差し指の先で、既に盛り上がっている下穿きの前面を優しく撫でた。

「……いやです」

「うん、いい子ね。でも、優しくしないから」

 両手を下穿きにかけ、一息に地面に落とす。現れた硬い肉棒をまたたく間に口に放り込むと、凄まじい勢いで僕の体内の全てを吸い込んだ。

「文子さん……、もう無理……!」

 今日のために一週間溜めておいた情動が、彼女の咥内を襲った。

 だが彼女は一滴残らず、白い絶頂を熱で包み込んだ。

「……意外と、甘いのね」

 咥内で軽く含ませてから、面一杯の精液を両手に垂らした。

 そうして雨で流れてしまう前に、その両手を、自らの顔面に強く押し付けた。

「温かいよ。とっても温かい」

 十秒間、僕たちは硬直した。羽を休めるのは、それで充分だった。

「次は、あなたの仕事よ」

 僕の両手を自分の両肩に導くと、彼女の両手は役目を終えて、両脇に留まった。

「あなたなりに、ゆっくりでいい。迷ったら、多少強引でもいい。だけど、私が相手ってことだけは、忘れないで」

 右手をカットソーの左肩にかけて、左腕を露わにする。同じように左手を右肩にかけて、先ほどよりも少し力を込めて、右腕を荒れた外界に放り出す。漸く準備が整ったところで頭を通し、不要になった彼女の抜け殻をゴミ袋の中に放り込んだ。

 下着からはみ出た彼女の乳房は、隠す必要のないくらい小さかった。しかし、乳頭を舌が捉えたとき、確かに味がした。海水の塩分と粉雪の冷たさ、花の甘みと音の渋みが混ざり合い、ここが現実の一画だということを忘れさせた。

「文子さん……!」

 彼女の胸に、頭を埋めた。額が柔らかな鳩尾みずおちに当たり、自然と右手が肉棒に伸びた。

「こういうことも、してほしかったんだね」

 彼女の右手が僕の頭に乗ったとき、二度目の射精を行なった。おそらく、五回も反復はしていなかったと思う。たったそれだけでも充分に絶頂へ達したのは、彼女の言う通り、僕の桃源郷の中にそういう習慣があったからだろう。

 飛び散った精液は、彼女の右膝に付着した。彼女はそれを左手で拭い、雨水と共に丁寧にすすった。

「……文子さん。もし、許してもらえるなら……」

 余った左手が、ワイドパンツを通じて下半身に移る。

「早くして。早く、こんなもの取っ払って」

 彼女の声は、とても鋭かった。二度目の羽休めに浸る余韻はなく、彼女のはやりに食らいつくので精一杯だった。

 ワイドパンツはカットソーと同じ運命を辿らせ、それからゆっくりと下穿きを脚に滑らせて、彼女の肉壺を目の当たりにした。

「……どう、かな……?」

 蓊然こんもりとした陰毛の下に、なだらかな線が幾筋もひしめいている。時に薄紅の、時に深紅の、時に漆黒の色彩を配置して、微塵な額縁の中に脈を打つ無限大が飾られている。

「あっ……」

 舌先が薄紅に触れると、彼女は声を漏らした。

「んっ……」

 舌先が深紅に触れると、彼女は声を押し殺した。

「……ふふっ」

 舌全体が漆黒を絡め取ると、彼女は笑った。

「初めてなのに、随分上手ね」

 そう言うと、僕の右頬を左手で撫でながら、腰を下ろして股を開いた。再び舌を突き出そうとしたが、彼女の右手は既に、僕の左太ももの内側を這っていた。

「時間切れよ。……次は、こっちの番」

 陰嚢いんのうに指が食い込み、睾丸こうがんに力が加わる。あでやかな痛みが、息く暇もなく優しく触れられた右頬まで伝わる。

「決心するまで、放さないから」

 左手を払い、右腕を強引に掴んで地面に押し倒す。跳ねた水飛沫しぶきが派手に宙を舞い、僕たちは改めて全身に水を浴びた。

 彼女は股を広げたまま、浮かべた微笑を守り続ける。

「文子さん……、いきますね?」

 その表情を携えて、彼女は小さく頷く。

 だが肉棒の先が膣に触れた瞬間、自分の顔を両手で覆った。

「……それじゃ嫌だ」

 両手を剥いで地面に押さえつけ、完全に挿入が済むと同時に、彼女の顔を真上から見下ろした。

 その顔は、満面の微笑みだった。

「……こんな心地になれるんだね」

 それを見た瞬間、僕は三度目の絶頂に達した。

 一度目も二度目も比較にならないほどの精液を、彼女の中に流し込んだ。

「私もいけたよ。本当に、あなたと一緒に」

 雨はいつの間にか上がり、風がそよぎ、飛んでいる鳥が裸体の人間二人を眼下に望んでいた。顔色を変えて再び現れた太陽が、今までのお詫びをするように、眩しいオレンジ色を上空一杯に放っている。

 僕たちは絶頂に達したときの体勢のまま、硬直し、沈黙していた。肉棒は膣の奥に挿さったまま、顔は上下の近距離を保ったまま、オレンジの光の下で息遣いだけを震わせていた。だが最後に一度だけ、柔らかな口付けを交わした。

 こうして夕方の比翼連理は、翼を畳み、水中に根を沈めていった。


「……とりあえず、服だけは着よっか」

 彼女は倉庫の中のゴミ袋に、僕は傍らの地面に手を伸ばし、おそらく双方とも下着を四辺に放置したまま、裸体の上に抜け殻を羽織った。水気を吸い尽くした肌触りは着心地が良いとは言えなかったが、悪いとも思えなかった。

「こんなこと、絶対に言える立場じゃないけど……」

 カットソーに袖を通している彼女は、僕に背を向けながら何かを言い出した。先に上半身から覆い始めたので、僕の目には今日触れることのできなかった臀部でんぶがくっきりと映っている。

「この後、約束守りに行ってくれないかな……?」

 チノパンを太腿まで上げていた手が止まった。彼女の方を見ると、倉庫の中に目を向けながら、ワイドパンツを袋から出す手が止まっている。

「いいですよ」

 それだけ答え、チノパンを腰まで上げて上下の着衣が完了した。依然として彼女は、下半身を夕焼けの下に野晒しにしている。

「それじゃ僕、行きますね」

 少し離れた所に放り出していたバッグを拾い、再び人間の構造物しか見えなくなった空間から去ろうとした。

「隆也、くん」

 彼女の声が耳に届く。

 振り返ると、両手を空にした彼女がこちらを向いている。

「一つだけ、わがまま言ってもいい……?」

 顔を下に向け、元の山岸さんの調べを時々垣間見せて、僕を泳がせる。髪や陰毛から残りの雫を地面に滴らせて、泳げる場所をこしらえてくれる。

「今日のことは、忘れないでほしい」

 僕の足下に、彼女の小さな下穿きが落ちていた。

「いいですよ」

 それを拾ってバッグの中に仕舞い、代わりに同じく近くに落ちていた僕の下穿きを拾って、彼女の方に放り投げた。

 下穿きはちょうど彼女の陰毛に当たり、脚を伝って地面に滑り落ちた。それを手に取った彼女は、両脚を通し、股間と僕の落とし物を接着させた。

「じゃあ、また来週」

 そう言って、彼女を後にして花音の家に向かった。

 歩いている道中、バッグの中にある彼女の下穿きを何度も手に取りたくなったが、その度に理性を引っ張り出した。これを使えばいつでも四度目に達せられる反面、それをすべき場所はここではない。これは今や、花音に合わせる必要が出た際の奥の手である。これがあれば今日、何があっても花音を満足させられる。

 ただもう一つ確かなことは、僕は夜を越えるための、最高の伴侶を手に入れたということである。

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