第4話

 屋敷は、住むのが二人きりだということを考慮して部屋数を減らしておいた。

 寝るときに出した小屋とは逆に、見た目は大きくて中はちょうどいいサイズというのになっている。

 僕の寝室と私室は、広い部屋だと落ち着かない気がしたので、小さめに設定しておいた。

 リリィには元の屋敷と同じサイズの部屋を用意したのだが……。

「私のお部屋もレイヤ様と同じ、いえ、もっと狭くて構いません」

「広くても誰も困らないよ」

「広いとお掃除が大変です」

「掃除なんてしなくていいよ。僕が魔法でやるから」

 僕がこの屋敷を小さくする前にやったことを思い出したのだろう。リリィが「あ」と声を上げた。

「そうでしたね。でも、広すぎるのも落ち着かないです」

「なるほど。じゃあとりあえず僕の部屋と同じサイズで」

 リリィの希望も取り入れ、屋敷はひとまず完成した。


「では早速、町の様子を見てきますね」

 屋敷を二人で一通り確認して回り終えてすぐ、リリィがひとりで出掛けようとした。

 ここへ来るまでの間に、失礼を承知で年齢を尋ねてみたら、まだ15歳だった。

 ちなみに僕が年齢を言ったら「もっと年上かと思っていました」だそうで。見た目と中身が釣り合ってないらしい。

 それはさておき。僕が15歳の時ってどんなだったっけ、と思い返してみるまでもなく、僕はこんなにしっかりしていなかった。今現在も、リリィがいなければ自活しようだなんて考えないだろう。

 情けない僕とは逆に、リリィは何もかも自分一人でやろうとする。

 良いことだけど、もうちょっと年相応に頼って欲しいな。

「僕も行くよ。夜のうちに軽く偵察したから、多少は案内できると思う」

 幸いなことに、方向感覚は割とある。一度通った道は忘れないし、迷子になったこともない。

「それは心強いです。よろしくお願いします」

 リリィが了承してくれて、ほっとした。

 魔法で、町で見てきた人たちが着ていたものに似た服に着替えて、徒歩で町へ向かうべく森へ足を踏み入れた。



 すぐに後悔した。

 森の中というのは木々の枝葉が陽の光を遮っているから、真昼でも薄暗い。

 僕は例の吸血鬼補正で視界良好なのだけど、リリィにしてみれば視界最悪で、しょっちゅう小石や木の根に躓いた。

 僕が抱き上げて運ぼうとしても、

「慣れておきたいので」

 と頑なに断られてしまう。

 僕には、転んだリリィの手足に血が滲む前に、治癒魔法をかけることしかできない。

 そうやってゆっくり進んでいると、不意にガサガサと藪をかき分ける音がした。

「ん、今の音は……」

「獣でしょうね」

 リリィは足元に気を取られていて、音に注意を向けなかった。

 僕は、物音の正体を聞き分けられるような技能や経験は持ち合わせていない。

 なにか嫌な予感がする。

 リリィが何度目かに転んだ瞬間、音の主が藪から飛び出した。

 音の主は、熊のような生き物だ。


 熊との大きな違いは、熊なら耳のあるところに刺さったら痛そうな角が生えていることと、藪から出てきた途端、リリィより小さかったのが僕の倍くらいのサイズに膨らんだことだ。


 全てが一瞬の出来事だった。

「あっ」

 熊のような生き物が振った太い腕が、リリィを殴りつけた。

 リリィが宙を舞い、鮮血が飛び散る。

 共通点は小柄な女の子ということ以外になにもないのに、リリィが、死んだ妹と重なる。


 もう二度と、僕の前で怜香れいかを死なせるものか。


 意識を失う直前、僕は熊のような生き物に向かって手を伸ばした。







「おい、生きているか? というか死んでもらっては困る」

 リリィの柔らかな頬を遠慮なしにぺしぺしと叩いているのは、金髪赤眼で整った顔立ちをした、二十歳ほどの男だ。

「ん……うう……えっと、私、どうしたので……」

 てっきり、相手がレイヤだと思いこんで男の顔を見上げたリリィが、眉間にしわを寄せる。

「レイヤ様?」

「ああ、そうだな。まあ細かいことは気にするな」

 男はリリィの無事を確認すると立ち上がった。

 顔つきや背格好はどこからどうみてもレイヤなのだが、リリィは違和感を覚えた。

「レイヤ様、血が」

 男の手や顔、服には血がこびりついていた。

 血が苦手なはずのレイヤによく似た男は、自分の身体を見下ろして鼻を鳴らした。

「出てくるつもりはなかったのだが、まさか血を怖がる性質だったとはな。こればかりは慣れてもらうしかない。残っていて正解だった」

 男が手についた血を振り払う素振りをすると、顔や服についた血の跡まで消え去った。

「お前のお陰で血を飲めているようだから、お前には礼を言わねばならんな」

「あの、貴方は一体?」

 男はリリィの問いかけには、答えを寄越さなかった。

「血を見るだけで貴族の女のように気絶する奴の癖に。ここが森で、相手が魔物でなかったら、大惨事になっていたぞ」

 男が指し示す方向を思わず見たリリィは、ひゅっと息を飲んで絶句した。

 森の一部が、土の地面だけを残して何もかも消え去っている。地面も数十センチは抉れていた。

 範囲は、レイヤが魔法で持ち出した屋敷の倍はあるだろうか。

「これは、レイヤ様が?」

「そうだ。俺はお前の怪我の手当と、ついでに血の補給をしただけだ」

「あっ」

 リリィはここでようやく思い出した。

 自分が、森の魔物に襲われて死にかけていたことを。

 魔物の気配など、日常的に魔物と戦っている冒険者でなければ区別がつかない。

 リリィに至っては、足元を注視するあまり、レイヤの警告すら聞き流していた。

 そして、どうやら目の前のレイヤそっくりな男に助けられたようだ。

「お礼が遅くなって申し訳ありません。助けていただき、ありがとうございました」

 立ち上がったリリィは男の前で深々と頭を下げた。

「さっきも言ったが、礼を言わねばならんのはこちらの方だ。……そろそろ、目を覚ます。俺のことはまだ言うな。混乱するだけだからな」

 この男とレイヤの関係について、いや、この男に聞きたいことはたくさんあったが、レイヤが混乱するだろうという言葉を聞いてしまったからには、それ以上何も言えなかった。

 リリィにとって、レイヤは既に大切な存在になっていた。

 家では継母に苦しめられ、村でも爪弾き者にされてきたリリィに対し、レイヤは初対面から紳士的に接し、一緒に暮らそうとまで言ってくれた。

 少し気弱で血が苦手という欠点はあるが、気弱は相手を慮る優しさから生まれているものであるし、苦手なものくらいリリィにだってある。

 ただでさえ、自身が吸血鬼であることすら知らなかったように、どうやら記憶の一部が無いらしい。

 レイヤがこれ以上混乱し、苦しむ要素を与える必要などない。

「わかりました」

「うむ、素直な人間は好ましいな。では、適当に誤魔化しておいてくれ」

 男は満足気に頷くと、森の地面にごろりと寝転がった。







「怜香っ! ……あ、あれ?」

 酷い悪夢を見て飛び起きると、そこは森の中だった。

 ええっと、何だっけ。何かしたような、夢が現実と地続きだった気もする。

「お気づきですか、レイヤ様」

 リリィが僕の顔を覗き込み、何故かとても安心したように息を吐いた。

「うん。えっと、僕はどうしてたんだっけ……うわっ、な、なにこれ!?」

 眼の前に、森の中にぽっかりと巨大な更地があった。

 そうだ、僕とリリィは町を目指していたんだ。

 それで茂みから熊みたいな生き物が……。

「リリィ! 怪我は!?」

 確かリリィは熊に殴りつけられていたはずだ。あの勢いで殴られれば、僕なら死んでる。

 リリィは元気そうに見えるが、この子は我慢をするのが得意なのだ。

「私は怪我などしておりませんよ、レイヤ様」

 心配する僕の前で、リリィは全身を見せるようにその場でくるりと回ってみせた。

 確かに怪我はなさそうだ。

「でも、リリィは」

 あの色に染まったリリィの姿を思い出しただけで、頭がくらくらする。

 あれを見てしまい、気を失う直前、僕は熊に向かって……。


 ――消え去れ、無くなれ。リリィを……怜香を傷つけるやつは絶対に許さない。


 そんな気持ちをありったけぶつけた気がする。


「これ、もしかして僕がやったの?」

 更地を指し示してリリィに問うと、リリィは困ったような顔になった。眼をきょろきょろと何かを探すように動かしてから、僕に向き直る。

「私達は無事です。それでいいではありませんか」

 無事……リリィは本当に無傷なようだし、僕自身も、なんだか身体が軽い。

 無事ならば、それでいい。でもやっぱり、ここへ至る過程や眼の前の更地について、説明がほしい。

「何が起きたのか、教えてくれないの?」

 僕がリリィを見つめると、リリィは困り果てたという表情になってしまった。

 リリィを困らせてまで聞き出すようなことだろうか。聞いたところで、僕はどうするつもりなのか。今後に影響は出るのか。

「ごめん、無理に聞こうとして。無事ならいいんだ」

「いえ、こちらこそ申し訳ありません」

「いやいや、リリィが謝ることじゃ……」

「レイヤ様は何も悪くありませんから」

 お互いに謝りあっているうちに、陽がだいぶ傾いてしまった。

 僕たちはなるべく急いで町へと向かった。

 恐ろしい獣には、もう出遭わなかった。



 町を一通り周ると日が暮れてしまったので、帰りは瞬間移動で屋敷へ戻った。

 リリィや沢山の荷物と一緒に瞬間移動しても、何ら問題なかった。

 物を買うお金は、屋敷を復元したときに一緒に出てきた小さめの調度品を売ることで捻出した。ギラギラした悪趣味な壺の値段が金貨百枚だったときに、リリィが軽く引いてた気がするから、おそらく大金なのだろう。


 町を歩いている間に、僕はリリィから情報を搾取された。

 好きな食べ物、飲み物、色から女性の髪の長さまで、それはもう濁流のような質問攻めに遭った。

 僕がリリィに同じことを聞いてもはぐらかされてしまったのだけど、食べ物の好みは大体一致しているのはわかった。

 有り体に言えば、ふたりとも子供舌で、甘いものや肉料理が好きなのだ。

 そんなわけで、夕食はハンバーグだった。

 なんとこの世界、カレーや鍋物、オムライスまで存在していた。ていうか米あったのか。白米党だから助かる。


 リリィは料理上手だ。

 フォークでそっと割ると肉汁が溢れるようなハンバーグを作る料理の腕は、僕にはない。付け合せの温野菜やスープも美味しい。

 と、ここでとある事に気づいた。

 僕は今や吸血鬼なのだが、こうして普通の食事を摂っている。

 でも……やっぱりアレは、摂取したほうがいいのだろうか。


 この夜は夕食の後で極度な空腹を覚えたり、別の衝動に駆られることはなかった。

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