第八回『闘う者たち』
ミカは両方の手のひらを顔の前に出し、広げてみせた。いわく「始まりましたね」ということである。
「うん」
続けて、顔の右側に持ち上げ、カメラおよびマギの方に手の甲を向け、軽く二回折り曲げてみせる。
「この間」
手の甲を上にして、水平にした腕を閉じ、胸の前で親指を合わせる。
「休んで」
眉間を指で軽くつまみ、それから顔の前で手刀を繰り出す。
「ごめんね」
左手をアイーンをずっと広くしたように前に出し(このときあごは出さなくてもよい)、その上から右手の手刀をクロスさせ、その後戻すように右手を上げる。
「ありがとう」
そのあとすぐに、手の甲を上にした右手をターンテーブルをチェキチェキ回すように胸の前で一周させた。
「みんな」
リツは一度深呼吸して自分の心を宥めてから言った。
「なんで手話っ!? なんで当たり前のようにマギ先輩は付き合ってんの! この人別に難聴……あ、本当になっちゃったんですか? マギ先輩に言われたからって……」
ミカはリツを指差してから、左手をハトサブレの形にし、その手の内側で人差し指を立てた右手を回すようにした。
「こいつ、頭がからっぽ」
「なんとなく顔でわかりましたよ、顔で」
マギは手のひらを返して、又隣のリツに説明した。
「まーこれが前に言ってたやつだよ。年末にかけて祝日が続くでしょ? そうするとミカパイセンはこうなるの」
「意味がわかりません。なぜ?!」
「イヤーマフつけてるでしょ?」
言われてみれば、ミカはスタジオにいながらエスキモーみたいな格好。頭にはもふもふのイヤーマフをつけている。
「その内側に耳栓も入れてね、ミカパイセン、外部の物音を完全にシャットアウトするんだ……今は撮影中だから外してるけど、外ではアイマスクもして。家から出ることもあまりしないで極力人畜と関わらないようにするの」
「……冬眠願望でもあんですか? このひと」
「幸せそうな人たちの情報を入れて、憎悪に駆られてしまう自分を封印してんだよ」
「おそらく読者の認識では一ヶ月早いと思うし、およそ意味がわからない」
マギは言葉を失って甘えるミカパイセンを子犬のようにあやしながら続けた。
「誕生日とかさ、祝ってもらったことがないんだ。ミカパイセンは」
「え……」
「一度だけあったのが、ちょっと前に付き合——」
カットが入った。
一応我が番組のカンバンむすめ。その元彼の話なんかファンからしたら売春よりも度し難くね? パパ活だ、援交だと口にするのとは訳が違う、本当に口にしてしまったも同然の話なのだから……。
下手したら炎上する。
顔はマンドリラー。腹はペンギーゴ。股間にナウマンダーで、心はイーグリードのサカッたイレギュラーから◯人予告が飛んでくることになるやもしれぬ。
膜なんぞとうになくとも、その事実はさておいて、(少なくとも最近は)そんなことしてませんよー。みんなの私ですよー。というファンとの信頼関係が大事なんじゃないのか? お天使キャスター舐めてんのか。
「今更ミカにそんな清楚感、焼石に水だろ! ビッチギャルキャラが曇る!」
マギが吠えた。
いや、そうは言っても繊細なのがオタクというもの。
疑心暗鬼の種はミカ本人のためにもなるべくなら排除しておきたいですね、マネージャーとしては。
「何その、担当アイドルに理解あるマネージャーみたいな面。一話で露骨なパワハラ受けてたくせに」
あと一度も祝ってもらったことがないというのはさすがに不幸エピ盛りすぎで引く人もいるのではないか?
それぞれ長い議論があった。
ミカのマネージャー小鳥遊を交え、マギとミカ、Dの高橋とADの中村の間で話し合いの席が持たれ、協議の結果。
リツが驚くところからテイク2。
「え……」
「一度だけあったのが、魔法使いさんからの差し入れで一回手作りのチョコレートケーキが届けられたことがあったり、小さい頃には近所の妖精さんとか、まぁあったかもしれないけど……」
「(ぐだぐだやんけ、もう……!)な、なにぃー! そ、そうだったんですかー?!」
「とにかく、ほら、普通に生きててもさ、幸せそうな人たちを見てるとふつふつと憎しみが込み上げてきて、教壇の前に立ち『今日はみなさんに殺し合いをしてもらいます!』って言いたくなるでしょ?」
「ならないけど。過去最低のプログラムの動機だな」
「人界の闇を背負ってきたそんな自分が、祝日とか誰かの誕生日とか、楽しそうにしてる人たちの輪の中にどんな顔で参加したらいいかわからない。お祝いしたいって気持ちは確かにあるの! でも、怨嗟の鬼である自分に気を遣わせて、その気分を台無しにさせたくなくて、ジレンマに悶えた結果、その間自ら修羅の道に閉じこもることにしたの」
「そんな道閉じこもんなくてもいいから、すぐにも病院連れていけよ、コイツは予備軍ですらない。もうブルペン入ってる。投球フォーム確認してる段階」
「いいんだよ。無理に戻そうとしなくて、ミカパイセンはミカパイセン。これでいいの」
「周りが良くねーよ、もどそもどそ。曲がりなりにも二十数年生きてきて、いるんだろうなーとは確かに思ってたけど、初めてガチで聞きましたよ。幸せそうな人が憎い人」
「わかっていないな、リッちゃん。これからミカパイセンのことをわかりたくってしょうがないってところだ。ミカパイセンはそんなんじゃない。幸せそうな人が憎かったけれど彼らの幸せを鑑み、決して自分の負のオーラで穢したくない人だから。むしろ、彼らを内なる闇から必死に護ってんだよ。わからない?」
「うん、何言ってんだか、ちょっとわかりません」
「それにほら、見て、リッちゃん」
マギはこの時ばかりは聖母のごとくミカを甘やかして言う。ミカもマギにべったりだ。
「犬みたいで可愛いでしょ。このパイセン。喋らない方が幸せなのかもね……」
(聴力の次は発言能力を奪いにきた……)
「その間知的指数も幼児並みに落ちて、パイセン本来の甘えん坊になっちゃうの。子供時代の愛を取り戻そうとするかのようにね」
「あーあー」
終いに赤子の思考レベルにまで退化したミカはハイハイしてマギに甘えつく。
「今日、誕生日の人、よかっ……うん、良かったと信じたい。おめでとうございます……」
通夜のような雰囲気で、リツがどうにか締め括った。
その後ミカは軽く羽虫を払うように、胸の前で右手を横に二回振るった。
いわく「ねーよ」ってことである。
◇
ミカは大きくなったお腹を支えるように下腹部に手のひらを上に向けて両手を広げ、そのままお腹をさするように上に持ち上げる。
続けて人差し指と親指で糸ようじの真似をするようにして、
「誕生、日」
両手の拳を握り、また下腹部へ。
そこからはわかりやすい。花火を打ち上げるように胸の上辺りまで持ち上げ、ぱっと開いた。
「おめでとうっ!」
「今日産まれた人、おめー!」
リツが続けて言い、ミカもマギも珍しく笑顔を見せて一カメに手を振るのだった。
「おめー! もそうだけど、おこめって普通に空目しない? おめ……」
「台無し!」
カットが入った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます