第2話

 それは屍人しびとであった。

 すえた臭いをまき散らし、大勢の屍人たちが歩いている。

 屍人とは、自らの足で歩く死人なのだ。

 頬はこけ、髪は抜け落ち、手足は痩せ細っている。身に纏っている着物は襤褸ぼろであり、女の屍人は乱れた着物の隙間から痩せた乳房が見えている。


 奴らは生きている人間を見つければ襲い掛かり、襲われた人間は生きたまま肉を食いちぎられる。中には、腹を裂かれて臓物を引きずり出される者や、顔の皮を剥ぎ取られる者などもおり、まさにそれは地獄絵図であった。

 屍人の群れは朱雀門すざくもんから大内裏だいだいりに入り、内裏を目指してゆっくりと進んでいた。


 帝のいる内裏では、固く門を閉ざし、近衛府このえふの武装した警護の者たちが集まっている。

 しかし、屍人たちは内裏の塀を乗り越え、警護の者たちへと襲い掛かっていった。

 屍人たちは、次々と警護の者たちを喰い殺していく。

 もちろん、警護の者たちもやられるばかりではなく、剣や弓で対抗したが、斬っても倒れず、矢で射ても起き上がってくる屍人に手を焼いている状態だった。

 次第に警護の者たちは、屍人に圧倒されていき、建物は屍人たちに囲まれてしまう。


「陛下、もはや逃げ道はございません」


 武装した近衛府大将がやってきて、そう告げる。近衛府大将は満身創痍な状態であり、左腕は屍人に食いちぎられている状態だった。


「陛下、申し訳ございません」


 近衛府大将は、そう言ったかと思うと、御簾を開けて中へ入ってこようとした。

 近くで見る近衛府大将は、すでに屍人になっており、血にまみれた口を大きく開けて襲い掛かってこようとした。



「――――そこで、朕は目が覚めた」


 帝はそこまで言うと、急に黙ってしまった。

 御簾越しであっても、顔色が悪くなっているのがわかるほどだった。


「恐ろしい夢でございますな」


 沈黙を破ったのは、空海であった。

 その言葉とは裏腹に、空海の口調はどこか穏やかなものがある。


「誠に恐ろしい夢であった」

「その夢については、我々以外のどなたかにお話しされましたか」

「ああ、陰陽師の者に話した」


 陰陽師……。一瞬ではあったが空海の顔つきが変わったかのように思える。

 しかし、御簾越しで見ている帝がそれに気づくことはなかった。


「そうでしたか。それで陰陽師は何と申しておりましたでしょうか」

「悪夢は吉兆の前触れとのことであった。だから心配する必要はないと。ただ……」

「ただ?」

「朕には、この夢が吉兆とは思えぬのだ」

「なるほど。それで我らをここへ呼ばれたわけですな」


 空海はすべてを察したといった口調で告げた。


「この空海に……いや、我々にお任せください。陛下の不安を取り除けるようにいたしましょう」

「そうか、そうか。期待しておるぞ、空海、橘逸勢、小野篁」

「はっ」


 帝に名を呼ばれた三人はその場でひれ伏すように頭をさげた。



 紫宸殿の帝の部屋を出る時、また香の匂いを感じた。

 匂いは先ほどよりも強くなっているように思え、篁などは鼻の音がなるほどに嗅いでいた。


「気になるか、篁」

「はい、空海様」

「この香り、覚えておくが良いぞ」


 含みのある言い方を空海はする。

 逸勢などは、香の匂いなど興味ないといった感じで、さっさと紫宸殿から出ていこうとしていた。


「お、おい、空海……」


 紫宸殿から先に出た逸勢が急に足を止めて、空海を呼んだ。

 逸勢に続くようにして紫宸殿を出た空海と篁は、その光景に言葉を失っていた。

 巨大な月が夜空に浮かんでいる。

 帳が降りているのだ。

 空海たちが紫宸殿に入った時は、まだ朝だったはずだ。


「空海様……」

「空海っ!」


 黄金色に輝く満月に怯えるかのように、篁と逸勢が空海に言う。


「わかっておる。そう騒ぐな」


 落ち着いた口調で空海は言うと、その月を見上げた。


「これは、しゅだな」

「呪?」

「ああ。先ほどの香の匂い……」

「あれが、呪だというのか、空海」

「そう焦るな、逸勢。心を乱せば、あちらの思うつぼだ」


 空海はそう言うと、足元に落ちていた小石を拾った。

 そして、その小石を篁に渡す。


飛礫つぶては得意かな」

「はい。陸奥むつにいた頃は、よく野鳥を飛礫で獲っておりました」

「なるほど。では、ひとつ頼もう。あちらを狙ってみてはもらえぬかな」


 空海が指さした先。そこには一羽の烏がとまっていた。

 無言で頷いた篁は呼吸を整えると、握った小石を全力でその烏へと投げつけた。


 風を切るような音を立てながら、一直線に伸びるように飛ぶ小石。

 当たる。そう思えた瞬間、小石が粉々に砕け散った。

 烏がこちらを向き、鳴き声をあげる。

 それは普通の烏の鳴き声ではなく、ものすごく甲高く、とても耳障りな音であった。

 その音に逸勢は、思わず耳を押さえてしゃがみこむ。


「なんぞ、この音は」

「呪だ」


 空海が顔をしかめながら言った。

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