フユキとの毎日

 お金が無いと食べ物を買えないことは知っていた。

 僕のお母さんがいた頃は、お母さんにくっついてお出かけしていたし、僕が嫌いな歯医者さんで頑張ったときにはご褒美に本を買ってくれたこともある。


 ある日お母さんとお出かけした日、電車の中でお母さんは泣いていた。


「お母さん、どうして泣いてるの? どうしたの、痛いの? なんで泣いてるの」


 だけどお母さんは「ううん、なんでもないよ。大丈夫、なんでもないよ」って言いながら、やっぱりずっと泣いているんだ。


 僕はお母さんが泣いていて悲しかったけれど、いつもは乗らない電車に乗っていることに喜んでもいたから、なんだか変な気分だった。悲しいのと嬉しいのとで落ち着かなかった。


 何処か分からない駅に着いて、お母さんと一緒に電車を降りたら人がいっぱいだった。急いでいる人や大きな鞄を持った人、僕より背の高い大人たちの多さに驚いたのを覚えている。だんだんと怖くなってきたから振り返ってお母さんを見たんだ。

 




「……お母さん?」





 僕の周りから音が消えた気がした。僕じゃない人はみんな動いているのに、僕だけが止まってしまった。


「お母さん、どこ?」


 僕の全部が緊張する。


「お母さん? おかあさんっ、おかーさん! おかあさんっ?」


 くるくる回りながら叫んで泣いて、お母さんを探し続けたのに。



「おかっ……お、おかぁさ……どこ」


「ハルキちゃんだね?」


「おか……」



 

 知らない男の人が僕の肩をつかむ。そうしてしゃがみこんだ隣には僕と同じ歳くらいの女の子もいて。

 

 こう言ったんだ。



「今日から、君のお父さんだよ」


「……」





 お母さんとは、その電車が最後だった――。





 あのときから、僕は分からないことばかり。

 

 知らないおじさんが『お父さん』になって、僕のお父さんが『叔父さん』になって。なのに『叔父さん』はお父さんに戻って、今度は知らない女の人が『呼んではいけないお母さん』に。


 だけどフユキに会えたからいいんだ。

 フユキは誰かになったりしない。僕とずっと一緒にいるって言ってくれた。

 フユキはどこにも行かない。僕はフユキがいてくれたらいい。フユキも僕がいればいい。

 




 ――昨日も今日も、風がとっても冷たい。

 暖かい場所を探すのは難しくて、フユキと歩き続けた。何度か通ったことのある道を曲がると、おじいちゃんの歳に見える人の乗った車が僕らを追い越して行った。


「なんだか美味しそうなにおいがしたよ」


「甘いにおいがしたね」



 僕らから少し離れた所にゆっくりと車が停まった。降りてきたおじいちゃんが振り向きながら何度もこちらを見るんだ。

 隠れようか、走ろうか? フユキに聞いた。



「おいでー」



 どうしよう、おじいちゃんが手を上げて「おいで、おいで」って頷いてくるよ。



「フユキ……」


「大丈夫」




 動かない僕らの方におじいちゃんが歩いてくる。

 怒った顔はしていない、けど笑ってもいない。戸惑う僕らの前まで来たおじいちゃんが紙の袋をさしだした。



「あったかい……」



 それはとってもほかほかしていて、袋のまわりは甘い空気に包まれていた。



 

「あの」


「食べなさい」


「お、おかね……」


「いいから食べなさい、寒かろうに」



 僕らを頭から足まで見ながら小さな声で「かわいそうになぁ」って呟いた。

 

 僕らの頭に、とんっと手をのせて「ええ子、ええ子」と撫でながらおじいちゃんが笑う。



「あり、ありがと……ご」



 うん、うん。と頷きながら、おじいちゃんは車に戻った。

 手の中が温かい。思いがけないプレゼントに、僕とフユキは飛び上がりたいくらい喜んでいた。


 暑かった日と同じシャツを着ているから寒いけれど、足だって指が隠れない薄いサンダルで冷たいけれど、今の僕とフユキはあったかいと感じた。



 

「フユキ、焼き芋だよ」


「ハルキ、大事に食べよう」





 ほらね。僕らは嬉しいのも美味しいのも、辛いことも分け合える。

 フユキがいてくれたら僕は何だってできるんだ。いつだって僕とフユキは一緒、ずっと離れない、二度と独りぼっちにはならないよ。


 


 フユキだけは、僕をおいて消えたりしないから――。









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