ハルキと僕



 偽物の空間はとても居心地が悪くて、ハルキが苦しそうだったからボクは助けたかったんだ。

 それまでのハルキは寂しいときがあっても笑えてた。ボクはハルキの心がよく見えていたし、いつも一緒だからハルキはボクで、ボクはハルキだったんだ。

 

 だけどあの日、あの、冷たい空間で笑うお父さん。『あの人』がハルキに向けた強い拒絶。それを受け入れたハルキは、真っ白で何も無い部屋に鍵をかけた。

 

 だからボクは、初めてハルキから飛び出したんだ。


『……ルキ、ハルキ』


『だれ?』


『フユキだよ』


『フ、ユキ?』


『ボクはね、ハルキの半分』


『はんぶん?』


『大丈夫、ボクが一緒だから。ハルキとボクは、ずっと一緒で離れないから』


『ほんと? ずっとそばに居てくれるの? お父さんやお母さんみたいにいなくなったりしない?』


『しないよ。だってボクはハルキの半分なんだから。ボクがハルキを助けるから――』



 

 あの女の人がハルキを叩くとき、ボクがハルキの前に出る。同じ体だから痛みは二人とも避けられない。だけど心の痛みを分けることで、ハルキは真っ白い部屋の鍵をまた開けることができるんだ。



 今日も外の賑やかな声に誘われて、ボクらはささやかな楽しみの時間を共有していた。赤い滑り台も大きく揺れるブランコも、ボクらには手が届かないけれど、天井を見つめて過ごすより何倍も嬉しいひとときだった。

 

 だけどボクらは、失敗をしてしまったんだ。




「ハルキ! ハルキ!」



 突然に、つんざくような怒鳴り声。



「ハ、ハイ……お、おかぁ、さ」


「おまえなんか子どもじゃない! お母さんなんて呼ぶな!」


「……はい、ごめ」



 怒鳴られるのはいつもと同じ、だけどいつも体がすくんで下を向いてしまう。怒鳴られるだけだろうか、あの人は今、両手に何も持っていないだろうか。


 顔を上げられず、確認することができない。




「おまえ、部屋から出るなって言ったよな」


「……」


「言ったよな?」


「はい」




 もしかして、もしかしてもしかしてと、胸がぎゅうっと苦しくなる。




「こっち来い!」


「あっ、ご、ごめんなさ」



 耳をつかまれ、引っ張られた衝撃で倒れたまま引きずられる。連れて行かれたのは隣の部屋で。



「痛いっ」



 僕の体と床がぶつかって鈍い音がした。ぬるっとする感触がして顔に触れると指が赤く濡れていた。



 「ベランダに出たな」



 その言葉にびくんとする。そう、僕らは、毎日ここから公園を見下ろしていた。そしてそんな僕らに、たまたま公園に向かう途中で上を見上げた子が気づいてくれたんだ。


 手を振ってくれた。「おーい」と声をかけてくれた。嬉しくて嬉しくて、僕らは窓を開けてしまった。




「裸足でベランダ出た足跡ついてんだよ!」


「ごめんなさい」


「人の部屋に入ってんじゃねえよ」


「ごめんなさい」




 浮かれて、僕らはベランダに出て手を振った。毎日いろんな子と手を振り合っていた。


 夜に電気をつけるなと言われても、何日もお父さんが帰って来なくても、すごくお腹が空いていても。我慢できてフユキと笑っていられたのは、あの時間があったから。


 僕らはここだよって、手を降って誰かと同じ時間を過ごせたからなんだ。




「ごめんなさい、もうしません」


「駄目だね」


「ごっ、ごめんなさ、おねがい、っ」



『ボクと代わって、ハルキ早く』



「フユキ、だめだよ。うっ!」



「何ぶつぶつ言ってんだよ、ほらもっと口開けて奥まで雑巾噛むんだよ! 大きな泣き声だしたら今日も飯抜きだからな」







 痛い、痛いよ。

 

 ごめんフユキ。フユキだって怖いのに。いつも僕だけ後ろに下がってごめん。





 ごめんね、フユキ――。








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