叔父さん

 たまにしか会えなくなっていたお父さんに連れられ、遠くまで来た。大きな建物の前まで手を引かれ、エレベーターという乗り物で六階に上がった。廊下の真ん中辺りまで歩いたとき、立ち止まったお父さんが目の前のドアを開けた。中には知らない女の人が居た。


「ほらハルキ、こんにちはは?」


 にこにこしたお父さんは僕の隣にしゃがむと女の人を指さして言う。


「こんにちは」


 僕はお父さんに言われたとおりに『こんにちは』ってしたけれど、女の人は僕の方を見なかった。

 お父さんは笑ったまま続けて言った。


「お母さんだよ」


 驚いてお父さんの顔を見た。

 お母さんに会いたかった。大好きなお母さん。ずっと会えていない。突然お母さんが居なくなった日から、初めて会う人ばかりの所で暮らしていた。気がついたら、お父さんも居なくなっていた。

 

 毎日毎日知らない人達と暮らした。どのくらいか分からないくらい長い毎日のあるとき、僕の暮らす家にお父さんが来た。


「お父さん、お父さん!」


 嬉しくて、やっと会えたお父さんを大きな声で呼んだんだ。お母さんは? 今までどこに居たの、そう言おうとした僕にお父さんはおどけたように言った。


「叔父さんだよ」

「え……おとう、さん?」


 どうしたのお父さん。


「お父さん?」

「ハルキの叔父さんだよ、よく似てるだろう?」


 ゆっくりと僕の頭を撫でてくれる。僕は何も言えなくなった。お父さんもお母さんも突然居なくなって、たくさん泣いたことを思い出すと怖くなったんだ。


「おと……お、じさん」


 違うけど、絶対に違うけど。


「叔父さん、また来る?」

 

 僕は耳が動くくらい奥歯に力を入れた。お父さんって呼ばなければ、僕が叔父さんって呼べれば。


「叔父さん、また僕に会いに来てくれる?」

「会いに来るよ、何度も会いに来るよ」


 そうしたらお父さんに会えるんだから――。



 約束通り叔父さんは仕事の帰りによく会いに来てくれた。遊びにも連れて行ってくれた。

 一緒に住んでいた知らない人達は、叔父さんのお姉さん家族らしかった。

 従姉妹という子どももいた。叔父さんはみんなに人気があって、一緒に遊ぶ時間は楽しくていつも笑っていた。


 そんなある日、従姉妹と僕と叔父さんの乗る車の中で僕はつい訊いてしまったんだ。


「ねえ叔父さんって、本当はお父さんじゃないの?」


 車の中は賑やかだった。僕と同じ歳の従姉妹も「えー、そうだったのー?」なんてはしゃいでいた。

 どうして言ってしまったのか、あまりにも楽しくて勢いで言葉になっちゃったんだ。

 叔父さんはしばらく黙っていたけれど、いつものようにおどけたように言った。


「そうだよ、分かっちゃった?」


 叔父さんは笑っていた。僕も嬉しくて笑った。

 やっぱりお父さんだったんだ、お父さんって呼んでいいんだ。従姉妹と一緒にはしゃぎすぎて車の中でジャンプしたいくらい喜んだ。


 それから、お父さんはだんだんと来なくなった。会えた日から次に会える日までが長くなった。僕は混乱した。『叔父さん』のままなら良かったのか、僕が余計なことを言ったから、『お父さん』と呼んでしまったから。




「――キ、ハルキ?」


 呼ばれて、慌てて顔を上げた。


「良かったな、お母さんだぞ」


 車に乗って遠いところに来た。いつものように従姉妹と一緒じゃなくて、お父さんは僕だけをここに連れて来た。目の前の女の人は僕を見ない。お父さんは話し続けているけれど、女の人は返事をしない。


「この子がハルキだ。おい、こっち見るくらいしろよ」

「あんたが勝手に連れてきたんでしょ、知らない」


 この人はお母さんじゃない。『叔父さん』はお父さんだったけど、今『お母さん』といわれている人は僕の会いたいお母さんじゃない、だけど。


「ハルキ、今日からここに住むんだぞ」

「……うん」


 お父さんと一緒にいられるなら。


「良い子にするんだぞ? お母さんの言うこときくんだぞ」

「……はい」


 


 そして僕はこの日、僕を見ない『お母さん』と、ここからずっと一緒にいることになる『フユキ』と出会ったんだ。

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