第5話 宝石③

 先に自ら命を絶った家族の眼窩に高級な翡翠を埋め込んで自分も死ぬ。どう考えてもまともじゃない。とはいえ、翡翠の上に指紋を残した瀬尾せお英壱えいいちはとっくに此岸の人間ではない。取り調べは不可能だ。


「死体損壊に関しては被疑者死亡で送検しかない、か」


 鑑識課の隅にある喫煙所で煙草に火を点けながら、腑に落ちない顔で小燕こつばめが呟いた。煤原すすはらにも、彼の気持ちが少しは分かるような気がする。被疑者死亡。いちばん良くない展開だ。被疑者の目論見も、感情も、動機も、何もかもすべてが闇の中に葬られてしまう。


「とはいえ」


 同じく紙巻き煙草を咥えた犬飼いぬかいが口を開く。


「例の──なんでしたっけ煤原さん。宝玉……」

宝玉眼ほうぎょくがん

「そうそれ! 全身が宝石でできてるっていう不審者。そいつを詰めれば、何か出てくるかもしれない」

「おい」


 嬉しげな犬飼を一瞥し、「そんな簡単な話か?」と小燕が唸る。


「実際、その『宝玉眼』とか呼ばれている──人間だか妖怪だか知らないが、そいつを目撃したという証言はさほど多くないんだろう」


 眉を下げた犬飼が煤原に視線を向け、煤原が代わりに首を縦に振った。


 煤原は、とある有料SNSの会員である。怪談、都市伝説、怖い話、そういったものを好む人間たちが寄り集まり、自分たちの持っているとっておきの怪談を披露するためのSNS。会費は決して高額ではないが、興味本位で覗くには少しだけハードルが高めの価格設定をされている。本当に「怖い話を聞きたい」「怖い話を聞かせたい」もしくは、「怖い話を題材に映像作品を作りたい」──といった者だけをターゲットにした小さな箱庭だ。もちろん、怪談バー・篝火かがりびのマスターとバーテンも会員登録をしている。篝火に足を運ぶだいたいの者は、まずSNS上で篝火の存在を知る。


「SNS上でもほとんど話題になってませんでしたね」

「え? SNS?」


 と目を瞬かせた犬飼が世界最大手のSNSの名前を上げるが、煤原はゆるく首を横に振る。


「そういうんじゃないSNSがある。会員制の。有料の」

「ふえ〜……煤原さんマジで怪談好きなんですね。別に事件の捜査のためにお金払ってるわけじゃないんでしょ?」

「まあ」


 本当に趣味の範囲内であることは間違いない。SNSでかき集めた情報が結果的に事件の解決のための大きな要素となったことも少なからずあるにはあるが。


「で」


 咳払いをした小燕が、ひどく凶悪な上目遣いで煤原と犬飼を睨み付ける。雑談はあとにしろ、という顔だ。


 怪談バー・篝火のバーテンダー・ユラギが口にしていた『常連のねえさん』に関しては、SNS上ですぐに特定できた。リプライを飛ばして話しかけると「あー! 刑事のハラさんだ!」と明るく返事が来た。「宝玉眼について詳しく知りたい。趣味と実益を兼ねて」と連絡を入れたところ、会って直接話をしたい、と言われた。それで、犬飼と連れ立って篝火に行った翌々日に、煤原は再びひとりで篝火を訪ねた。


 全身が宝石でできている男とホテルに行ったという女性は、篝火では『サノ』と名乗っていた。SNS上でも同じ名前を使っている。

 マスター・多言の配慮で、煤原とサノはカウンターの最奥の席に隣り合って座った。


「ハラさん、初めまして〜。お噂はかねがね」

「どんな噂? 俺、SNSあっちでは仕事の話したことないんですけどね」

「まあ、色々ですよ。そんなに人数が多いSNSってわけでもないし。あのIDの人実は刑事さんらしいよ、とか、探偵さんに話しかけられちゃった、とかそういう……人の口に戸は立てられぬっていうじゃないですか」

「はあ」


 サノは、煤原よりもひと回りほど若い、小柄な女性だった。明るい紅茶色の髪に、胸元を強調した黒のオフショルダーニット。細身のデニムを履いた脚を優雅に組んだサノが「まあまずは乾杯!」とグラスを寄せてくる。


「で、えーっと。宝石兄さんの話」

「それ」

──って通称。私が付けたわけじゃないんですけどね」

「そうなんですか?」


 煙草に火を点けるサノの横顔を見ながら、煤原は軽く瞠目して見せる。ミディアムボブの髪を小さく揺らしたサノは、


「実際最初にあの人に会ったのは私……なのかな? 分かんないけど。で、その後宝石兄さんに会った人たちが、『目がすごかった』って言い始めて。それで『宝玉眼』ってあだ名が付いたんじゃなかったかな」

「なるほど」


 アップル・クーラーを飲み干したサノが「ユラギちゃん、カルーアミルクちょうだい!」と片手を挙げて注文している。今日の飲み代はすべて、煤原が持つということで話が付いていた。

 つまみとして出てきた皮蛋ピータンを口に放り込みながら、煤原は烏龍茶で喉を潤す。


「下世話なことを質問しますが」

「はいはい? どうぞ?」

「『宝玉眼』とホテルに行ったと聞きました。性交渉を?」

「はーい! しましたー!」


 サノはどこまでも元気だ。カルーアミルクのグラスを置いたユラギが、形の良い眉を下げて苦笑している。


「とっても上手でした!」

「なるほど」

「でも」

「でも?」


 新しいグラスを掴んだサノは、そこで初めて声音を低めた。


「ちんちんは光ってなかった……」

「……」


 そういうことが聞きたいわけではない。しかしこれも、大切な情報であるとは言えなくも──ないのかどうか、煤原にはもう良く分からなくなっていた。

 (俺も飲んじゃおうかな)と思い始めた煤原の横顔に、ていうか〜、とサノが何かを思い出しているような口調で続ける。


「ほんとに光ってなかったんだよねぇ…………」

「え」


 どこも。

 そんな言葉が出てくるとは、思ってもみなかった。


 やはり『宝玉眼』と遭遇した人間と直接会うのは正解だったのか。どんなに気を遣っても、噂話は広がれば広がるほど現実味を失っていく。


「やっぱりまず、シャワー浴びるじゃないですか。私と宝石兄さんは別々に浴びて、それからベッドで合流して」


 桜色の小さな爪でカウンターの上をコツコツと叩きながら、サノは続ける。


「で何回かヤって……その時は全体的に普通の皮膚で……あ、普通のっていうのは人間のっていう意味ね。私やハラさんと同じ、こういう」


 と、サノが自身の手の甲の皮膚をキュッと抓って見せる。言いたいことは理解できたので、煤原は首を縦に振って話の続きを促した。


「それで、始める前は私が先にシャワー使ったから、お先にどうぞ〜ってすすめて。向こうが体洗ってから私もシャワーに入って。それで、出てきたら」


 自身の手のひらで手の甲を摩りながら、サノは続けた。


「……光ってた」


 急激にテンションが下がる。普通の声音になってしまう。


(ということは、つまり?)


 サノにとっては、ワンナイトの相手が『光っていた』というのは、驚くような事象ではなかった、ということだろうか?


「さっきも言ったけど、ちんちんは光ってなくて!」


 サノはだいぶ酔っ払っている。「そこは了解です」と緑茶ハイを片手に煤原は曖昧に頷く。


「腕とか──太ももから下とか。そう。そうだよ。だ」

「鱗」

「そう!」


 カルーアミルクのグラスを空にしたサノが、灰褐色の瞳をギラギラと輝かせながら言った。


「腕と脚にウロコがあって、そこが光ってたの! あと眼も! 宝石みたいに、ピカピカ〜ッて!!」

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