矢羽野ちゃんは、ヤバくない。

楓 しずく

前編



 ――おい、見ろよ。矢羽野やばのちゃんが来たぞ


 そう言って俺達の目の前を通り過ぎたのは、地雷系の格好をした子だった・・・・・・。




 ◆◆◆




「うわっ! 財布落としちまってるよ!?」


 俺は、大学の講義を終えた後に、ポケットから財布を落としていることに気がついた。多分、さっきの講義室に落としたのだろう。


「はぁ・・・マジでめんどくせぇな。でも、取りに行くしかないよな」


 別に大した金額は入っていないが、キャッシュカードや保険証等はさすがにまずい。


 運がよければ、誰にも見つからずそのまま落ちてるかもしれないし、誰かに拾われて大学に届けられているかもしれない。


 どっちにしろ、俺は全速力で講義室に向かって走っていた。


(なんか今日はツイてないなぁ・・・これ以上、変なことは起きてくれんなよ?)


 講義室に着いた俺は、ゆっくりとドアを開く。だが、俺の悪い予感のフラグは、見事に回収されてしまった──。



「・・・あっ」

「・・・あっ」



 講義室の中で立っていたのは、リボンの付いたピンク色のブラウスに、黒いミニスカートを履いた『矢羽野詩乃やばの しの』だった。


 黒髪の長髪に、インナーカラーをピンクに染めたツーサイドアップとぱっつんの前髪。耳には複数のピアスと、首にはチョーカーを巻いている。


 正真正銘、どこからどう見ても地雷系の女子だ。


(うっ、この子はさっき見た地雷系の・・・っ!!)


 すると、矢羽野の手には、なぜか俺の財布があった。状況からしておそらく、矢羽野は俺が置き忘れた財布を拾ったのだろう。


「あっ、ごめん。それ、俺の財布なんだ。落としたことに気づいて取りに戻って来たんだけど・・・・・・」


 俺がそう言うと、矢羽野はこっちに向かって歩み寄って来た。


「はい。座席の上に落ちてたよ? 落し物として、ちょうど大学に渡そうと思ってたのよ」


「そ、そっか。悪いな・・・」


 俺は思わず冷や汗が出た。こうして間近で矢羽野と話すのは初めてだが、なぜか奇妙な恐怖を感じていた。


 地雷系の子は、メンヘラやヤンデレのイメージが強い。ネットで検索すれば、ストーカーやらナイフやらの物騒なものまで出てくる。


 現に、俺の周りでは矢羽野の噂が広まっていた。


 今まで好きになった男を全員ストーカーしてたとか、元彼が違う女性と話をしただけでナイフで刺したとか。


 そんな根も葉もない噂だが、俺は心の底でもしかしたらと、少し信じていたのかもしれない。


(とにかく、さっさと財布を受け取って帰ろう)


 俺は、矢羽野から財布を受け取ると、すぐさま部屋から出ようとした――。



「ねぇ、ちょっと待って」


「えっ?」


「あなた、ちゃんと中身を確認しないの?」


「あ、あぁ・・・まぁ、でも大丈夫だろ」


「ダメよ。もちろんあたしは中身を取ってないけど、こういう事はここできっちりとしてちょうだい。後から何か言われても困るから」


「そ、そうだよな・・・わかった」


 なぜか、少し怒られたような口調で言われた俺は、財布の中身を確認した。


「あーうん。中身は問題なしだ」


「そう。それなら良かったわ」


 俺は、いろんな意味でホッとため息をついた。


「今度は落とさないように気をつけてね! じゃあね」


 そう言って、部屋から出ようとする矢羽野の後ろ姿を見た俺の口は、いつの間にか開いていた。


「なぁ! ちょっといいか?」


「・・・え?」



 ――ガコン。



 俺達は、大学内に設置されている自動販売機の前にいた。俺が缶コーヒーを手に取ると、矢羽野は後ろの椅子に座っていた。


「矢羽野は何飲む?」


「え、別にいいわよ」


「いや、財布を拾ってくれたお礼だから。せめて奢らせてくれ」


「そ、そう? じゃあ・・・ほうじ茶で」


「フッ、けっこう渋いんだな!」


 そう言って俺は、矢羽野にほうじ茶を手渡した。


「あ、ありがとう・・・・・・」


 矢羽野の隣りに座って、お互いに一口飲んで喉を潤す。今思うと、不思議な気分だ。大学では話すことすらなかったと思っていたのに。


 それに、少し俺の中で矢羽野の印象が変わっていた。噂で聞いていたよりも、全然そんな怖い印象は全く感じない。


 むしろ、財布の件でも、地雷系とか関係なくちゃんとしっかりとした女性だ。


 横目でチラっと矢羽野を見ると、両手でお茶のペットボトルを持ちながら、その頬を赤く染めていた。


 よく見ると、矢羽野は普通に――いや、この大学でもトップクラスの容姿をしている。


(矢羽野って、近くで見るとこんなに可愛いかったんだな・・・・・・)


「さっきから、あたしの顔を見てどうしたの?」


「え? いや、別になんでも・・・・・・」


「そういえば、あなたってたしか・・・弓原ゆみはら君だっけ?」


「あ、うん。よくわかったな」


「あなた、よく男友達と一緒じゃない? それで、たまにあなたのことを呼んでる声が聞こえてたから」


「そ、そっか、なるほどね・・・」


 再び沈黙の空気が流れる。

 そして、さっきから気になっているのが、矢羽野のあの噂だ。


 俺の名前が聞こえているくらいなら、当然あの噂話も耳に入っているはずだ。


 俺はなんだか急に気分が悪くなる。

 それでも、俺は矢羽野に聞かずにはいられなかった。


「なぁ、矢羽野・・・あのさ――」


「無理しなくていいよ」


「・・・・・・え?」


「あたしの噂話のことでしょ?」


「なんで、それを・・・」


「わかるよ。だって、毎日あたしを見る人達は、みんなそんな目で見てくるんだもん」


「待てよ、でもあれは事実じゃないんだろ?」


「当然でしょ? そもそもあたし、今まで誰とも付き合ったことないから!」


「え、そうなのか!?」


「それに、本当に刺したんなら、こんな普通に大学に通えるかって話でしょ?」


「た、たしかに・・・・・・」


 矢羽野はそう言って、頬を膨らませていた。そんな矢羽野の表情を見て、俺はなんだか心がホッとした。


 でも、だとしたら、矢羽野は完全に何も悪くないじゃないか。むしろ、これはある種のいじめだ。なのに、なんで矢羽野は平気なんだ?


「なぁ、ひとつ聞いてもいいか? なんで、矢羽野はその・・・地雷系の格好をしてるんだ?」


「逆に聞くけど、なんでこの格好がダメなの?」


「えっ」


「あたしは、ただこの格好が好きだから着てるだけなの。地雷系だろうと関係ない。自分の好きな格好をするのは悪いことなの?」


「いや、そんなことはないけど・・・」


「でも、あなたはこの格好に偏見があるんでしょ? だから、あたしにそんなこと聞くんだよ?」


「・・・・・・」


 俺は何も言えなかった。矢羽野の言ってることが全て正しいからだ。それに、俺は他の皆と変わらない。矢羽野を疑った最低なやつだ。


「ごめんなさい、少し言い過ぎた・・・」


「いや、矢羽野は何も悪くない。悪いのは俺の方だ・・・・・・」


「あっ、もうこんな時間」


 そう言って、矢羽野は席を立った。


「あたし、これからバイトがあるから。もう帰るね!」


「あっ、うん。わかった」


「それじゃあね! お茶ありがとう。後、話せて楽しかったよ。あたし、大学で話せる友達誰もいなかったから・・・・・・」


「え?」


 そう言って、矢羽野は俺に笑顔を見せて去って行った。残された俺は、生まれて初めて胸が押しつぶされそうになった。


「最低だ・・・俺、本当に最低だ・・・・・・」




 ――――――――――――――――――――

【あとがき】


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