君の隣にいるために

夢 理々

告白

――君の隣にいるためにできることは、隠すこと。




「付き合ってください。」

大崎実弥おおさき みやは階段の踊り場でそう口にすると、少し赤みをおびた髪を耳に掛け、目線をゆっくりと相手に向けた。

目の前にいるのは、長身で端正な顔立ちに黒髪が良く似合う早坂楓はやさか かえでという同級生だ。

楓は少し俯いてから、なにかを決心したように実弥の目を見て頷いた。

「え、本当に?付き合ってくれるの?」

実弥は信じられないといった様子で両手で口を押えた。大きな瞳からは喜びが溢れていた。


一瞬、下の階から誰かが上ってくるような気配を感じた楓は、喜ぶ実弥の肩越しに目線を落とした。

誰かが居たような、そんな気もしたが楓は再び実弥に目線を戻した。

「これからよろしくね、カエデ君!…って、名前呼びしちゃった。下の名前で呼んでいい?」

実弥は真っ直ぐに楓の目を見つめたが、恥ずかしくなり自分から目を逸らした。

「構わないよ。」

その時、始業をしらせるチャイムが鳴り響いた。2人は階段を駆け上がり同じ教室に吸い込まれていった。


楓の後ろの席に座る廣宮遥ひろみや はるかは机に顔を埋めていた。先頭の席からプリントが配られると、楓は後ろの席の遥へとプリントを渡す。机に突っ伏したままの遥はプリントが渡されていることに気付いていなかった。

楓はなかなか受け取らない遥の方を振り向き、柔らかなオレンジがかった髪をぽんと触り、

「ハルカ、プリント落ちちゃうから。」

と耳元で囁いた。

耳元で感じるくすぐったい温かさに遥はガバッと顔を上げて、楓の方を見た。

楓はあっという間に体の向きを変えて前を向いていたが、遥の視線に気づき下を向いてクスクスと笑っていた。

遥は両手で抑えた耳がほんの少しだけ熱をもっているような気がした。

心臓がうるさいくらいに動くのは、このせいだけではなかった。さっきの休み時間に見てしまった光景が遥の心臓をぎゅーっと締め付け、動きを早くしていたのだ。


職員室への用事を済ませ、2階にある教室へ戻ろうと階段を上りかけた時、遥は誰かが居ることに気付き足を止めた。

楓が告白されているタイミングだった。二人の会話を聞かないように職員室の方へと戻ろうと思ったが、体と耳が言うことをきかなかった。少し、手すりの陰へ身を潜めると耳の後ろへ手のひらを添えて、聞こえてくる声を拾うのに集中した。

楓の声はあまり聞こえてこなかったが、相手の声だけで告白の答えがどうだったかがうかがい知れた。

楓はモテる。そんなこと遥は昔から知っていることだった。それなのにこんなに心が痛むのは、今までの楓が誰の告白も受けなかったところにあった。告白されても、楓はいつだって断ってきたのに今回はそれをしなかった。



そんな現場を目撃してしまったので、遥の体は泥のように重くなり、机にへばりついていることしか出来なかったのだ。

遥はいつだって楓を見てきた。

楓だけを好きでいた。

けれど、その想いは伝えることも出来ずに自分の中で燻り続けていた。

少しでも風が通れば一気に大きな炎をあげて、息も出来ずにそのまま死んでしまうのではないかと思うほどに、楓への想いは遥の心の身動きを取れないようにしていた。




楓の告白現場を目撃した次の日。

重い体を引きずるようにして遥は学校にやってきた。靴を脱ぎ上履きに履き替えて、顔を上げると同じクラスの女子が視界に入ってきた。

藤乃彩水ふじの あやみは、遥の方へ歩み寄り両手で淡いピンクの封筒を渡してきた。

「これ、読んでほしいの。」

渡された封筒を持つ手は少し震えているようにも見えた。

遥はそんな彩水からの手紙を受け取った。

「ありがとう」

と、遥が言うと、緊張感に耐えきれなくなったのか彩水は一目散に階段の方へと走っていってしまった。

彩水は、教室に戻ると親友の実弥に抱きついた。

「緊張したよー!大丈夫かな?」

少しの間を置いて、教室の後ろの扉から遥が入ってくるのを感じた彩水は声のボリュームを下げた。

「やっぱり、実弥ちゃんみたいに直接告白した方が良かったかな。でも、フラれた時のこと考えたら怖くて勇気出ないし。」

「大丈夫だって。いいんだよ、彩水のやり方で。きっと上手くいくよ。ね!」

彩水は自信のない笑顔で実弥の顔を見た。

クラスメイトはすっかり登校を終え、各々自分の席につき担任が来るまで隣や前後の生徒と話す声が教室を包んでいた。


いつもは一緒に登校する楓と遥だが、楓が委員の仕事やらで今朝は別々の登校になった。

遥はもらった手紙をバッグにするりと滑り込ませると、楓の肩を叩いた。

「おはよう、委員の仕事終わったの?」

出来るだけ普通を心掛けて話しかける。

「おはよう、今日ごめんな。一緒に来られなくて。意外に早く終わってさ、普通に登校しても全然間に合うくらいの仕事だった。」

そっか、と答えたあと遥は昨日の告白のことを聞いてみようか考えた。

しかし、考えただけで心が苦しくなり頭をブンブン振って、フンっと一息ついて口をつぐんだ。


休み時間になり、今朝もらった手紙を制服のポケットに忍ばせ、遥はトイレへ向かった。

人があまり来ない、教室から離れたトイレを選び個室に入り丁寧に封のされた手紙を開いた。

優しく美しい文字が流れるように並んでいた。

遥のことを好きなこと、付き合ってほしいということが封筒とお揃いの便箋に書かれている。

手紙を読み終え、丁寧に封筒に戻しポケットにしまい込んだ。

(カエデへの気持ちは言えない。カエデは彼女を作った。だから、俺も…。)


放課後を待って、遥は彩水を呼び止めた。

「あ、あのさ。手紙の返事なんだけど…。」

放課後とはいえ、まだまだ生徒が廊下を行き来している時間帯だったので彩水は遥を外に呼んだ。



「ごめんね、人がいっぱい居たから。」

「俺の方こそごめんね、あんな所じゃ目立つよね。」

彩水は、朝と同様に体に力が入り少し震えているように見える。

「手紙ありがとね。それで…俺でよかったら付き合ってください。」

力の入った体が、ほんの少しだけ緩んだようなそんな感覚を彩水は感じた。

冷たかった指先に温かさが戻り、泣きそうになっていた強ばった表情は柔らかな笑顔に溢れた。

「本当に?私でいいの?」

それでも彩水は、告白が上手くいったことが信じられない様子でいた。

「うん、よろしくお願いします。」

遥は少し俯いた後、彩水に笑いかけた。


(これでいいんだ。忘れよう、カエデへの気持ちは。)






家に帰ると遥は楓にLINEを送ろうとした。


『俺さ、彼女できたんだ。』


一言、それだけの文を送るのに遥は30分の間、送信ボタンをなかなか押せずに格闘していた。

ベッドにダイブし、枕に顔を埋めて足をばたつかせている。

「スタンプも送っとこ。」


(俺に彼女ができたって分かったらカエデはどう思うんだろう。たぶん、おめでとうって言ってくるよな。おめでたくないけど…)


「ぁあ!考えたらキリがない。もういい加減送れよ俺!」

大きく鼻から息を吸い込み、小さく開いた唇の隙間からスーッと吐き出し、送信ボタンに指を乗せた。

画面に、遥の送ったメッセージが表示されると、既読がつく前に慌てて画面を閉じた。




机に置いたスマホから通知音が響いた。

楓はスマホの画面に目をやる。

LINEの通知が3件来ている。

アイコンをタップし画面を開く。

1件は実弥からだった。20分以上前に来ていた。その時間、ちょうどリビングにいてスマホを持っていなかったため気づかなかった。


そして、もう1件。

送り主の名前を見ただけで、楓の心臓は高鳴り、自然に笑みがこぼれてしまうほどだった。

「ハルカ…」


普通ならば付き合い始めた彼女からのLINEを開くのが当然だろう。

実弥の名前を通り過ぎ、自然に指が遥の画面を選んでしまう。

しかし、喜んだのも束の間 楓はその文面を見て息が浅くなるのを感じた。


「え、…なんで。」

自分の周りだけ、まるで空気が全て無くなっていくようなそんな息苦しさを覚えた。

震える指先で返事を打つ。


楓もまた遥に言えずにいる気持ちがあった。


(ハルカへの気持ちを忘れるために彼女作ったのに…これで良いって思ったのに。ハルカが誰かと付き合うなんて考えられない。)


「ただ、ハルカの隣に居たいだけなのに。」


今まで通りの2人でいるために、自分の気持ちを押し殺して友達として一緒にいることを選んだ楓だったが、気持ちを隠そうとすればするほど自分でも手が付けられないほど大きな波となって、飲み込まれそうになっていることに気付き始めていた。




『そっか。…実は俺も告白されて、大崎と付き合うことになったんだ。』


遥が想像していたよりも、実にあっさりとした返事だった。しかし、自分が見た光景は夢じゃなかったんだなと改めて思い知らされた。


楓は祝福することが出来なかった。

グルグルと考えを巡らせ、やっとの思いで打てた文章だった。


「最低だよな。カエデに彼女が出来たから俺もヤケになって彼女作ったなんて…。」


床にころがっていたクッションを抱きしめ、遥は大きなため息をついた。


その頃、楓もベッドに横たわり天井を見上げて、両手で顔を覆い隠し、同じように大きなため息をついていた。


同じ気持ちだと知る由もなく、2人はまた「友だち」としての朝を迎える。







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