第3話 友達を増やしてくれるよ
風が強く、雲が速く流れる空。
帽子を締めるベルトは心許なく、金の瞳は痛みに晒される。乾燥した空気に雨の気配はないが、なかなかに飛行が辛い環境だった。
そんな空にも、影がもう一つ。
セーブルの背後で、怪鳥が甲高く鳴いた。
自分より大きなワイバーンにも凶暴に挑んでくる。荷物を抱える鈍重な獲物と見定めての狩りだ。
死地の空気。風を裂いて殺気が迫る。
だが相手が悪かった。
「マーク!」
指示に応え、相棒は力強く
鉤爪を軽々と避ける。
そして前後の位置が入れ替わると、加速。背後から強靭な顎で噛みつく。鞍上にも届く手応え。
今度の鳴き声は悲鳴だ。
「よくやった!」
顎を離せば怪鳥はガクンと落ち、その後持ち直してフラフラと情けなく地上へと飛んでいく。
それをセーブルは見送った。
追い払うのみに留める。
彼らは狩人ではない。あくまで本屋であるのだから。
「っと、本が無事か確認しないとな」
一難を退け、着陸出来そうな場所を探す。
漁村を目指していたので海が近い。風はまだ強いが、今のところ問題はないだろう。
広がる砂浜。障害物はなく、着陸に良さそうな地形。降下準備に入ろうとする。
が、異変を発見した。
「ん?」
波打ち際に、人影があったのだ。
小さく、恐らくは子供。一人きりで保護者の姿は見えない。
その子供を、強風に煽られた急な高波が襲う。
「マーク!」
手綱を操り、慌てて急降下。翼を畳んで猛烈な速度で駆けつける。
海に呑まれかける男の子の顔は恐怖に染まっていた。
懸命に手を伸ばす。
なんとか手を掴んで、自分の膝上に引き上げる。そして急上昇。
波がすぐ下で弾けた。冷や汗が落ちる。
「大丈夫か!?」
男の子はセーブルにしがみついていて、答えはない。まだ恐怖に囚われたままだ。
ひとまず海から離れて、安全に着地。
再び優しく声をかける。
「どうしてこんな所に一人でいたんだ?」
ところが、ぐすぐすと泣くばかり。答えられない様子。
セーブルは背中をポンポンと触り、焦らずに落ち着くまで見守る。
やがて、ポツリと答えてくれた。
「……お父さんが、帰ってくるから」
「船乗り、漁師か?」
詳しく聞けば、こくんと頷かれる。
帰りを待っていたのだ。村より近い、海の傍で。危なくとも、我慢出来ずに飛び出して。
息を一つ吐き、セーブルは海を眺める。
「分かるよ。オレもそうだった」
故郷は海の只中にある島。
親はワイバーンを駆る漁師。遠洋まで漁に出れば帰りは遅い。
心細く、帰りを待つ気持ちは強い。友達がいても埋め切れない寂しさは常にあった。
それを本、物語で癒やしていた。
だから今、こうして仕事をしている。
「確かになるべく早く会いたいし、近くで待ってたいよな。でも、危ないからさ。ちゃんと家で待ってような」
「うん……」
説得するも、納得はしていない様子。
これではまた繰り返しかねない。
そんな時こそ、本屋の出番だ。
「よし! オレが一つ本を読んであげよう!」
荷物から手早く本を取り出し、開く。
子供向けの童話だ。咳払い一つ、声の調子に気を付けて朗読を始めた。
──勇者には子供がいました。
王様に命じられ、勇者は怪物を倒す旅に出ていました。色んな場所でバッタバッタと薙ぎ倒して大活躍です。
しかしその子供は、帰らない父に会いたいと願います。遂には自分で探しに出かけます。
だから勇者が故郷に帰っても、息子はいません。会えません。
だから父親は、また旅に出かけてしまいます。
すると諦めた子供が帰ってきました。父が帰ってきていたと聞かされて、また飛び出します。
二人はすれ違い続けて、出会えません。離れたままで時間は過ぎていきます。
やがて子供は疲れて、探すのを止めました。じっと、じっと村で待ちます。
そんな頃に、勇者である父は帰ってきました。
二人はようやく出会えました。涙、涙の再会です。
疲れ切ったところでやっと、親子は出会えたのです。
「な? 分かっただろ?」
「…………」
セーブルが読み終えると、子供は泣きそうな顔をしていた。
わざとらしい本の選択。単純な説教よりも伝わると思っての行動だが、傷つけてしまったか。
楽しくはなかっただろう。それでも伝えたかった。
子供は下を向いて唇を噛んでいた。が、やがて顔を上げ、そして彼らは目を合わせた。
「うん……ちゃんと家で待つ」
「よしよし、じゃあ頑張る為に、ご褒美だ」
子供を抱えて、再びマークに乗る。
フワッと空へ。
ゆっくりと高く飛んで、眼下を見下ろす。波立つ海を日差しが照らす、美しい風景を。
腕の内で歓声があがった。
「寂しいならさ、物語は友達を増やしてくれるよ。こうやって直接見ないと分からない景色だって教えてくれる」
自らの子供時代を思い出しつつ、語る。
「海の向こうの人とも物語の中でなら会える。山の向こうの生き物とも物語の中でなら喋れる」
「うん」
「それに。このワイバーン、格好良いだろ? でも同じくらい格好良い生き物はたくさんいる。そういう見た事ない色んなものを、本は教えてくれるんだよ」
キラキラと輝く幼い瞳は眩しい。薦めて良かったと信じられる。
とはいえ、届かない希望かもしれない。
すぐには読めないだろう。勉強が必要だ。その環境が整っているかも分からない。
それを承知で種を撒くのだ。より良い未来を願って。
漁村へと無事に送れば大きな歓迎を受けた。家族に叱責を受ける子供も、安心した喜びが勝っていた。
セーブルは感謝され、お礼として振る舞われたご馳走の魚介をマークと共に楽しんだ。
そして、本屋としての仕事をこなす。販売以上に読み聞かせに力を入れて、文字を教えて、更に物語を広めようと奮闘。
最後に、あの子供に一冊渡した。絵が多く入った高価な本をだ。寂しさが紛れるように。
また出費だ。懐が寒くなる。
それでもセーブルは満足して、心から笑うのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます