小さな死神の凱旋

第1話 死神の足音

 そいつは、何も音沙汰もなく、なんの前触れもなく、ある日突然に冷酷に、地獄の底から微笑みながら襲いかかってくる。


      *****

 「一年間お疲れ様でした……みなさん! 楽しんでください!」


(何が一年間お疲れ様でした、だ、時給上げろよボンクラが……!)


 神無月重明は、わざわざ大きな会場を借り切って、大宴会を開いている自分の勤務先の社長の風間周平を見て、唾を吐きたくなる衝動に襲われる。


 ふと周りを見ると、マスクをしていないものがちらほらと見られ、咳をしている人間がいるのに重明は軽く恐怖に襲われる。


「さて、みなさん食べてください!」


 テーブルには、わざわざこの日のために全社員から徴収した1000円で購入した、やけに塩味がきつい、不味いアジアン料理が出されている。


 当然の如く、マスクを外した大宴会が始まり、重明も酒が入り、饒舌に話を始め、盛り上がりを始めた。


       *****


 5月の初めにコロナのパンデミックが終わり、マスク着用が個人の自由となり、自粛がなくなってから、周りではお祭りムードが流れた。


 2020年の3月から始まった、人類史上で稀なケースの不気味な戦争は、大手製薬会社が必死の思いで作り上げたワクチンの台頭により、取り敢えずは収束するのに4年近い年月を要した。


 その間に幾度となく施行された緊急事態宣言により、世界の経済は壊滅的な打撃となり、リーマンショック以上の不景気が訪れた。


 巷では失業者が溢れ、生活保護受給者が増え続け、コロナ救済支援金により国の財政は破綻する寸前まで追い詰められた。


 だが、こんな八方塞がりの厄でも、一筋の光明があり、某大手製薬会社が乾坤一擲の願いを込めて、研究者全員の命を削るようにして作り上げたワクチンが出てきた。


 そのワクチンは特殊な製法であり、あまりにも初めてであるために巷では「毒が入っている」、「実験したマウスが全部なくなった」などの悪評が流れたが、なんだかんだで結局大半の人間が藁にもすがる思いで投与した。


 そして、感染者の数は多少の増減はあったものの、ワクチンさえ打っていれば感染しても大半が風邪症状で済むことになり、毒性が強いオミクロンやXBB、JN1変異株が出てきても軽症ということで、パンデミックは解除になった。


 それに伴いマスクも個人判断の自由化になり、数年ぶりとなる素顔を白日の元に晒す人間がちらほらと町で見かけるようになった。


       *****

 「ただいま」


 重明は、赤提灯を垂れ下げて団地の部屋の扉を開け、くしゃみをしながらスニーカーを脱ぎ捨てて、部屋の中に入る。


「お帰りなさい」


 部屋の中には、ショートボブで黒縁メガネをかけた、背が小さい35才くらいの女性が、スマホのゲームをやっている。


 重明はいつもの光景を、なぜか今日は変な違和感を感じ、会社の忘年会で分けてもらった、安いビールを数本冷蔵庫の中に入れると、大きなくしゃみをし、酷い悪寒を感じる。


「あぁ、お風呂沸いてるわよ、てか、風邪ひいてるの?」


「いや、気のせいだよ、風呂に入ってくるよ」


(風邪ひいたのかな? いや、俺ワクチン5回くらい打ってるし、まさかそれはないだろう……)


 XBB変異株用のブースターワクチンを重明と、スマホをやっている妻の和江はつい先月に接種し、取り敢えずは安心と言った具合である。


       *****


 重明と稲森和江は、同じ大学のおなじゼミで顔見知りの仲になり、何度か顔を合わすうちに自然と付き合う仲になった。


 二人が28歳になった時、同棲をお互いの親から勧められて、お互いの事を深く知る為に、小さなアパートで暮らし始めて今は5年目である。


 重明は大学を卒業した後に、家から3駅離れた中小規模の広告代理店に入り営業マンとなり、和江は在学中にWEB関連の資格を取りプログラマーになった。


 32歳の時、コロナのパンデミックが始まり、二人は在宅ワークを取る形になり、結婚をするという話が出ていたがそれは無くなってしまい、だらだらと3年の月日が流れた。


「うーん……」


 和江と重明は、二人仲良く布団に寝ているのだが、明らかに重明の様子はおかしく、顔色が悪く軽く咳をしている。


「ねぇシゲちゃん、ちょっとやはりなんか変よ、熱測ってみて」


「うん」


 重明はフラフラする体を無理やりにして立たせて、救急箱から体温計を取り出して、脇にあて、音が出てすぐに熱を見る。


「38.2℃……」


「えぇっ!? やばいじゃん! すぐに病院に行こう!」


 和江は慌てて立ち上がりスマホを取り出し、救急医療センターにあちこちに電話するのを、重明は薄れゆく意識の中見守った。

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