第26話

 屋敷の外の世界もやはり、映画のセットなどではなかった。

 唯一莉々子が卒業旅行で行ったことがある国外、フランスの町並みに似ているような気がする。

 レンガ造りの背の高い、西洋風のデザインの建物が石畳の広い道の両脇に整列するように並んでいる。


(地震の多い日本ではあり得ない光景だな)


 もちろん、この建造物達に耐震機能が付いているならば可能な光景ではあるのだろうが。

 そこそこの年数が経過していると思われる褪せた色合いのレンガ造りの家には、そのような機能が備わっているとは思えない。

 降り注ぐ太陽の日差しは白く、空気はからっと乾いていて、気候的にも日本とは異なるように莉々子には感じられた。


(そういえば、今の季節はなんなのだろう)


 そもそも、日本で言うところの“四季”というものが存在しない可能性も高かった。

 上着を羽織らなくても良いぐらいに暖かく、日本でいうのならば春ぐらいの気温はありそうだ。

 莉々子が誘拐された時の日本の季節は、冬であった。

 外に出るに当たって、さすがにそのままではまずかろうとメイド服に合わせて髪をお団子にして結い上げたために晒された首筋を生ぬるい風が撫でていった。

 きょろきょろと周囲を見回しながら歩く莉々子には気を払わず、その前方をユーゴはステッキをついて悠々と歩いていった。


 いつもの格好に漆黒のフロックコート、それに外出のためか帽子も追加された姿でレンガ造りの家の並んだ明るい街道を歩くユーゴの姿は、まるで映画のワンシーンだ。

 びっくりするほど現実味のないその光景をぼー、と眺めながら後に続いていると、森から離れて市街地に入ってきたせいか、ちらほらとその目立つ姿に目線を寄こす人々が出てきた。


「あら、ユーゴ様」

「ユーゴ様、今年初めての苺です。よければどうぞ」

「ユーゴ様! いいバターが出来たんですよ! ご迷惑でなければ!!」

「ユーゴ様! ぜひ、うちの店にも寄っていって!」


 予想外にも、ユーゴは人気者らしい。


(表ヅラが良いタイプの悪党なんだなぁ……)


 ぼんやりと人ごとのように眺めてついて行く。

 気がつくとユーゴの周囲は人で溢れ、ぐるりと人垣に囲まれていた。

 仕方がないので莉々子もそれに参加し、ひっそりとユーゴの背後あたりの人並みに同化するような形で控えて立つ。

 ユーゴは周囲の人々に愛想を振りまき、色々と物を受け取ったり、挨拶を交わしたりと忙しい。

 気を利かして品物を受け取るべきかとも少し考えたが、あまり関わり合いにもなりたくなかったし受け取るタイミングも掴めなかったので、潔く何もしないことにした。

 ぼー、と賑やかな様子を眺めてみる。

 そのままずっと人ごとを決めていたかったが、そうは問屋が卸さなかった。


「ユーゴ様、そちらは……?」


 めざとい奴が、ユーゴに背後霊のように付き従う莉々子の存在に気づいたのだ。

 メイド服を着て、しかし、主人の荷物持ちをするでもなくぬぼーっと突っ立っている莉々子の立場を測りかねたのだろう。その問いかけ方は慎重で、敬語であった。

 ユーゴからの知識で、メイドなどの貴族の侍従の中には、行儀見習いや花嫁修業、あるいはその主人に嫁ぐきっかけ作りのために貴族の娘がいることもあるという話があったため、それを警戒しての敬語だったのかも知れない。


 その問いかけに、ユーゴは「ああ……」と興味なさげな声を漏らすと、こともなげに「義姉あねだ」と一言言い放った。

 時が一瞬、止まった気がした。


「あねぇ……っ!?」


 その驚愕の声と重なるように、無数の驚きの悲鳴も周囲に響き渡った。

 何をそんなに驚くことがあるのかと、莉々子はびくついてとっさに辺りを見渡した。

 もしや、ユーゴ、あまりに非人道的な振る舞いをするから、親も兄弟もいない木の股から生まれた悪魔だとでも思われているのだろうか。

 見渡して見えたあんまりの阿鼻叫喚絵図に、今度はその場で身を固くして立ちすくむ羽目になった。

 これ以上いたずらに周囲を見渡すことで、誰かと視線が合うことが恐ろしかった。

 しかしいつまでも硬直していることは許されなかった。


「おおお、おねぇさん!? ユーゴ様、ご兄弟がおられたんですか!?」

「ああ、実はな」

「おおおお、幼なじみです! 血のつながりは! 一滴たりともありません!!」


 聞こえてきた会話に、慌てて莉々子も割り込んで弁明する。


(『実はな』ってお前、そこで切るなよ! 最初の設定をちゃんと説明しろ!!)


 えらいぶん投げた説明である。莉々子もびっくりだ。

 思わずユーゴのことを睨み付けると、奴はふふん、と得意げに鼻で笑って見せた。

 その様子は明らかに、莉々子が焦る様を見て楽しんでいるとしか思えない。


(……わざとか)


 とんだ性悪飼い主である。

 もしかしたら、先ほど心の中で『木の股から生まれた悪魔』と考えたことが伝わってしまったのかも知れない。


「田舎に居た頃に母と内縁関係にあった人の娘だ。兄弟同然で育ったから、実質的には幼なじみというよりは兄弟なんだ。父親が亡くなったようだったから、それを機にこちらに呼び寄せた。名前はリリィだ。これからはこちらで過ごすことになるから、よろしく頼む」


 さすがにユーゴもぶん投げっぱなしにするつもりはないのか、やんわりと追加の説明をしてくれた。

 周囲の興味深いものを見るような視線が莉々子に無遠慮に突き刺さる。


(うぅ……)


 じろじろと衆目に晒されることが苦手な莉々子にしてみれば、とんだ地獄イベントである。

 じりじりと後ずさりしようにも、その後ろにも人がいるのだからたまらない。

 ユーゴはますます楽しそうに莉々子のことをにまにまと意地悪げに横目で見ていた。

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