第11話


 扉の開く音と、差し込んだ光に莉々子は目を覚ました。

 わずかに眠気を纏う思考の中で、自分が眠っていたことと、目が覚めてもなお薄暗い視界に異なる世界へ来たことを思い出す。


(夢は、まだ覚めない……)


 燭台を片手に訪れた年若い吸血鬼の姿を扉の向こうに見て、莉々子はそんなことをぼんやりと考えた。


「起きろ、夕食の時間だ」


 てっきりこの場所で食べさせられるのかと思ったが、まるで犬でも呼ぶように指先だけで手招きされ、莉々子はのろのろと起き上がる。

 しばらく考えてから、なんとなくチェストの上に投げ出していたホワイトブリムを頭につけた。

 あまり意味はないが、寝癖が誤魔化せたので、結果的には良かったかも知れない。

 服装はメイド服のままだったので、特に、違和感もない。


 先ほどとは違い、部屋の外にでても視界は薄暗いだけだった。

 窓の外にわずかな月や星の明かりが差し込むのみの回廊は、それでも莉々子の目覚めた部屋よりかは明るく感じられたが、昼間の明るさを知っているだけに暗く感じる。

 ユーゴの後ろについて歩きながら、夜空を横目で覗き混むと、そこには真ん中にぽっかりと穴が開いた、Oの字型をした月のようなものが見えた。

 星座に詳しくないため、星についての地球との相違点はわからない。


 もしもこれが莉々子の生み出した夢幻の類いなら、随分と独創的なことだ、と内心で独りごちる。

 いや、しかし、この月の形も昼間にみた太陽と同じように、2つあるものがくっついているというようにも取れる形状をしている。

 そう言う意味ではある種の統一感や法則性を感じないわけでもない。

 他にも2つくっついていそうなものが空に浮いてやしないかと窓に身を乗り出しかけた辺りで、目の前の少年が止まり、莉々子を振り返った。

 半端に窓の方に腰をひねった状態の莉々子と目が合う。


「………。何をやっているんだ、貴様は」

「なんでもありません」


 何事もなかったかのように、莉々子は姿勢を正した。

 誤魔化すように、意味もなくエプロンをぱたぱたはたいてみたりする。

 実に気まずい沈黙が2人の間に流れる。

 莉々子がもじもじしていると、ため息を一つついて、ユーゴがすぐ横にあった扉を開いた。


「ここが食堂だ。これからは毎日ここで食事を取るから覚えておけよ」


 そこには、まばゆい暖色の光が溢れる空間が広がっていた。



 *



 暗い夜の中を歩いてきたからこそ余計にその光をまばゆく感じる。しかし、目に痛いほどに眩しいと感じないのは、ろうそくの光が柔らかく優しい色をしているからだろうか。


 そこは広い食堂だった。


 部屋の中央にどん、と長方形のテーブルが鎮座している。

 机の中央にも、壁の至る所にも燭台が掲げられ、天井にはシャンデリアが炎の光を反射して輝いていた。

 まさしく、映画の中でしか見たことがない光景に、莉々子は観光にでも来た気分になってしまう。

 しかし、肝心の食事はというと一番上座とおぼしき奥のほうに、ちょこんと2つばかりの皿とちょっとの野菜、そしてパンの盛られた籠がおいてあるだけというその質素さに、現実味を感じた。


 ほんの少しだけ、その現実味にほっとしてしまう自分が嫌だ。

 現実だと思いたくない気持ちと、自分は正気だと主張した気持ちが莉々子の中ではせめぎあっていた。

 そんな事を内心で葛藤しつつ、莉々子はユーゴに続いて部屋に入った。

 この世界に季節というものが存在するのかはわからないが、少し肌寒さを感じていた廊下に比べ、この部屋は暖かい。

 これだけ燭台が灯されていれば当たり前だろうか。

 扉を閉じたら酸欠になってしまわないだろうか、と少し心配になったが、奥の方に暖炉まで完備されているのをみて、ほっとして扉を閉じた。

 暖炉があるなら、そこから酸素もきっと供給されることだろう。


 一番の上座にユーゴが腰をかけ、その角を挟んだ右斜めのはす向かいに腰掛けるように手で示され、それに従い莉々子も椅子を引いた。

 食事を見ると、野菜はどうやら、黄色いプチトマトとレタスのような葉類に、乳白色のドレッシングがかかったサラダのようだった。

 パンはシンプルな白い丸パンだった。


「いただきます」


 ユーゴが丁寧に手を合わせて挨拶をすると食べ始める。


「……いただきます」


 挨拶すらも、日本式だった。

 非常に、違和感がある。

 西洋風の建物に、いかにも貴族でござい、といった服装をした、目鼻立ちの明確さ加減が明らかに日本人ではない少年が、“いただきます”ときた。


(やはり、夢なのだろうか)


 莉々子の中の天秤が、“すべて夢説”の方へ、がこん、と音を立てて傾く。

 いやいやしかし、あまりにそれは早計過ぎる、と慌てて天秤の角度を微調整して“これは現実説”へとほんの少しの重りを移した。

 これは現実だと身を引き締めていないと、いざという時にとんでもないミスをやらかしそうで怖い。

 夢の気分でぼけぼけとしていては、無事に帰るチャンスを逃してしまうかも知れない。

 杞憂ならば、それはそれでいいのだ。

 心配は、しすぎるほどが丁度良い。

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