第2話

 否、莉々子の目には、吸血鬼のように見えた。が、正しい。


 そこには、絶世の美少年が居た。


 艶やかな褐色の肌にそれよりも濃いダークブラウンのウェーブのかかった黒髪は後ろでリボンで一つにくくられていた。意思の強い金色の瞳が真っ直ぐにこちらを見つめてきた。微笑む唇からは八重歯がはみ出しており、まるで一昔前の英国紳士のような洋風な服装に、首元には蒼いリボンタイ。白い手袋のはまった手には黒いシックなステッキも持って立っていた。その姿も相まって、まるで吸血鬼のように莉々子には見えたのだ。




「目が覚めたのか」


 少し高い、少年特有の幼い声でその吸血鬼は嬉しそうな声を出した。

 しかしその態度は尊大で、人を従えることに慣れている人間のように思える。

 微動だにせず、無言でこちらを見続ける莉々子に気づいたのか、彼は安心させるように苦笑すると、ベッドの横に置かれた椅子へとゆっくりと腰を下ろした。


「そう警戒するな。俺は貴様を保護したに過ぎん。一応、怪我がないかはざっと確認したんだが……、どこか痛むところはないか?」

「……保護?」

「ああ、保護だ。可哀想に。まだ現状も把握出来ていないようだな」


 子どものくせに、小難しい言葉を使う。

 彼の肌の色や容姿は日本人離れしているのに、流暢な日本語を操ることにも違和感があった。

 もしかして、本当に吸血鬼のように、見た目通りの年齢ではないのだろうか。

 しかし、彼はとても無邪気に、にかっ、と笑みを浮かべると話し出した。


「俺はユーゴ、ユーゴ・デルデヴェーズ。この地、デルデヴェーズの次期領主だ。貴様の名は?」

「……莉々子」


 確実に日本人の名前ではない。

 そして、全く聞き覚えのない地名である。

 明らかにおかしなことが自分の身の上に起っていることだけがわかる。

 しかし、混乱する莉々子を他所に、ユーゴは「莉々子か」と名前を反芻し、訳知り顔で頷いた。


「やはり、この世の人間ではないな?」

「は、」


 意味のわからない言葉に、早々には了解できず、吐息で返すような返事になった。

 動揺は収まらない。


「ああ、済まない。こちらも『落ち人』に会うのは初めてでな。手際が悪くて申し訳ないが説明をしよう」


 貴様は、我が領地の森にその姿で落ちていたのだ、とユーゴは言った。


「この世には、まぁ、ままあることで、異界からの住人が迷い込んでしまうことがあるのだ。大半の迷い込んできた人間は『チキュウ』と呼ばれる所から来ると言われている。」


 見知った単語に、心臓が跳ねる。

 その話が、莉々子にとても密接に関わっていることなのだと思えた。


「まぁ、頻度としては10年に1度あるかないか。まぁ、連続した年もあるというし、厳密に調べたわけではないから 詳細はわからんがな。第一、落ち人の管理は国のものであるからな」


 地球から、違う世の中に迷い込む。

 落ち人。

 そのニュアンスからすると、まるで莉々子のいた地球の下に、この世界があるかのような言いぐさだったが、そんなわけがない。

 地表の下には地面があって、その中心はマグマだ。

 宇宙に存在する地球には重力が向く方角を便宜上、『下』と言う文化があるが、物理的に『地球の下』なんてものは存在しない。

 ただの言葉のあやなのだろうか。

 しかし、そんなことはどうでもいい。

 何かのどっきりだろうか。


 一般人の莉々子に? 一体誰が?


 辺りを見渡す。周囲は相変わらず、時代錯誤な部屋だけが広がっている。

 これだけ大がかりなセットを用意するのに、一体どれだけの資金が必要になるのか、想像がつかない。

 莉々子は、恐る恐る、少年へと視線を戻した。

 もしも、この目の前の少年の言うことが仮に真実だとしたのなら。


「元に戻るには……」


 すがるように、莉々子は尋ねる。


「元の世界に戻るには、どうしたらいいの?」


 莉々子のその問いかけに、ユーゴは悔やむように視線を伏した。

 その姿に、嫌な予感が募る。


「残念ながら……、元の世界に戻る方法は存在しない」


 絶望が、莉々子のつま先から頭までを突き抜けていった。

 少年は、悔しそうに、同情するように、莉々子を見つめる。


「すまない。その代わりと言ってはなんだが、貴様の生活の保障は、最低限、俺の名の下に力を尽くすと約束しよう」

「……うそ」


 その言葉は、思わず口をついて出ていた。

 ユーゴは、よりいっそう、哀れむように莉々子を見る。

 そっ、と、慰めるように、莉々子の手を掴んだ。

 小さな手は、暖かい。


「そう、言いたくなる気持ちはわかるが……」

「そんなの、うそよ……っ」


 その手を莉々子は荒々しくはねのけた。

 その力強さに、少年は呆気にとられたように口をつぐむ。

 それは嘘だ。

 愕然とする。その思考は声になって表へと出ていた。

 だって、そうだろう。


「なぜ、『元の世界に戻る方法が存在しない』だなんて、言い切れるの……」

「……なに?」

「貴方は、『落ち人』に詳しくないのでしょう……?」


 落ち人に会うのは初めて、と目の前の彼は言った。

 国が管理しているから詳細なことはわからないし、調べてもいないとも言った。

 いずれも、明言は避け、慎重な物言いだ。

 それは良い、納得できる。

 しかし、それならば、なぜ。


「なぜ、戻れないことだけ、確信的に言い切れるの。『戻る方法はわからない』じゃなくて、『存在しない』だなんて……っ」


 そんな言葉は、言えるはずがない。

 どんなに詳細に調べたって、どのような物証があったって。

 『方法は見つかっていない』『戻った例が存在しない』とは言えても、絶対に『戻る方法は存在しない』だなどとは言えないはずだ。

 そこだけ、慎重な彼の言葉の中で、奇妙に違和感を持って浮いている。

 嘘をついている。でも、何故。

 思えば、彼の言葉は最初からおかしいではないか。


「森に『落ちていた』なんて、そこは『倒れていた』と言うべきところでしょう」


 莉々子は目の前の少年から距離を取るように後ずさった。


「服装を見て、『落ち人』だと推測したにしても、現れた所を目撃していないのに、その表現はおかしい」


 それに、莉々子の服装は森に落ちていたにしては綺麗過ぎる。

 土の汚れも、葉っぱの一つもついていないのだ。


「それは……」

「地べたに寝そべっていた人間を、その汚れているかもしれない服のまま、寝台に上げるの?」


 『怪我がないかはざっと確認した』とも、彼は言った。

 外傷の有無の確認をするためには、一度服を脱がせないといけない。

 一度脱がせたものを、また、元の服装に戻したのはなぜか。

 汚れたままの衣服でベッドにあげたりなんてしたら、菌や虫が繁殖してしまうかもしれないではないか。

 ここが薄汚れた小屋かなにかで、莉々子が招かれざる客人であり、そのように粗野に扱われるのならば納得できた。

 しかし目の前の少年はこんな立派なベッドに寝かせたあげく、とても丁寧に説明までして、その上、今後の生活の保障までしてくれるなどと言う。


 おかしい。どう考えても。

 では、どのような事情があれば、そんなおかしな出来事が起きるのだろうか。

 例えば、これはどっきりで、すべてが作り話だったなら。

 それならば、良い。

 矛盾点は脚本家の想像不足だ。それなりに腹は立つが、まぁ、出演料でも払ってもらえるのならば、許容しても構わない。


 けれど、そうではなかったなら?

 例えば、ここが本当に、異なる世界だったとして。

 例えば、はじめから少年が莉々子が『落ち人』だと知っていたのなら。

 例えば、莉々子の身体が汚くない場所に倒れていたのなら。

 例えば、『元の世界には戻れない』と莉々子に確信させることにメリットが生じることがあるのならば。

 それは例えば、

 そこまで考えて、莉々子ははっ、と目を見張った。

 例えばの話だ。

 可能性は無数に存在する。

 この気持ちの悪い矛盾が、単に、莉々子の疑心暗鬼の生み出した被害妄想なことだってあり得るのだ。


 しかし、莉々子は気づいてしまった。

 その、可能性に。

 そう、それは例えば、


「貴方が……、私をここに連れてきたの」


 不幸な事故に見せかけて、無条件に手をさしのべてみせれば、恩を売れる。

 生命の危機、未知の世界に対する恐怖、それらから救ってくれた彼に、私は感謝して恩を返そうとしたかもしれない。

 それこそ、その命を投げ出してでも。

 目の前の彼の表情が莉々子のその発言を聞いた途端に一変した。

 莉々子はそこで初めて、自分がしくじったことを悟る。

 思っても、口に出して言うべきではなかった。


 そこには、恐ろしい顔をした悪魔がいた。


「……参ったな、そんな些細な言葉尻を捉えられるとは……。うむ、やはり、やってみなければわからない所はあるものだ」


 悪魔は、美しい顔でうっそりと笑う。

 莉々子の背中が壁に当たった。

 これ以上はもう、下がれない。

 逃げる場所がない。

 そんな莉々子に、少年は椅子から身を乗り出すと、手に持っていた杖の持ち手の部分を引き抜き、それを莉々子の首元へと突きつけた。

 鈍い音を立てて、それは莉々子の首の皮一枚を切って、背後の壁へと突き立つ。


(……仕込み杖!)


 それは映画でしか見たことがないような、杖に隠された細い剣だった。

 白銀の滑らかな刃物が、ろうそくの明かりに照らされて鈍く光りを放つ。


「次回に、この反省は生かそう」

「……じかい」


 何も出来ず、ただ、怯えて言葉を反復する莉々子に、少年はふふ、と微笑む。


「貴様は実験者第一号だ。まぁ、始めからそううまくいくとは思っていない」


 いや、それとも成功と考えるべきかな。

 そう嘯く少年はとても嬉しそうだ。


「俺は馬鹿は好かん。その点では貴様は十分に合格だ。しかし、聡すぎたな、おとなしく騙されていれば、もっと優しくしてやれたのに」


 言われなくとも、莉々子だっておとなしく騙されていたかった。

 そうすればこんなに恐ろしい誘拐犯と二人っきりで刃物を突きつけられる、などという最悪な事態は免れたのだから。


「さて、少し腹を割った話をしようか」


 割るならひとりで勝手に割っていてくれ。

 その間に莉々子はひとりで逃げるから。

 もちろん、そんな軽口を彼に返せるわけもなく。

 莉々子に許されているのは、その場で怯えて彼の言葉を聞くことだけだった。

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