138.立てないゲイン
ゲインは震えた。
あの戦友、勇者として心のどこか尊敬さえしていたスティングがそこにいる。
「スティングなのか、本当にスティングなのかよ……」
彼が死んだと聞いた時は特段何の感情も起きなかった。
だが再び旅を初めて勇者を目指し、彼が辿って来た足跡を経てその気持ちは一変した。
――会いたかった
何度も死線を潜り抜け、笑い、冗談を言って過ごした仲間。その掛け替えのない友が、その友が。
「なんで俺に剣を向けてんだよっ!!」
スティングがサラサラの赤髪をかき上げながら言う。
「ちょっと嫉妬しちゃってね。ゲイン、お前に」
「……何言ってんだよ」
「ダーシャ様、治療しますぅ!!」
大怪我を負ったダーシャをシンフォニアが急ぎ治療する。もたもたしていると手遅れになる。ルージュの怪我も心配だがダーシャはすでに虫の息。シンフォニアが額から汗を流して魔法を唱える。ルージュが言う。
「ゲイン、来てくれてありがとう。でも、あれはね、あれはもうスティングじゃないの……」
足の激痛を我慢しながら涙ながらに言う。ゲインが無言で頷く。
「あ~あ、またそうやってルージュとこそこそ話する。ルージュはやっぱりゲインのことが好きだったんだな~、ダーシャさんも。おかしいだろ? 俺の方がイケメンなのにさ~、って言うか、お前ゴリラになったのか?」
「……黙れよ」
ゲインが涙を流しながら言う。
「何でお前、
「知らないよ。こっちが教えて欲しいぐらいだよ。それよりさ、ゲイン」
スティングがじっとゲインを見つめて言う。
「お前、死んでくれよ」
「……」
無言になるゲイン。その背中を見てリーファが言う。
「ゲイン、あれが勇者スティングなのか?」
「ああ……」
「そうか」
リーファはもう分かっていた。自分を救ってくれた憧れの勇者。黒髪の英雄。それが対峙する彼ではないということを。
「一緒に戦うぞ」
ゲインは大きく息を吸い、そして皆に言う。
「少し俺に時間をくれねえか。まだ頭の整理がつかねえんだ……」
そう話すゲインの背中は皆が見た中で一番寂しく、悲しいものだった。スティングが言う。
「ゲイン、お前は強い。マジで強い。本当に強いよ」
「……」
無言のゲイン。未だ目の前で話す、戦友のような『何か』にどう対処していいのか分からない。スティングが笑みを浮かべて言う。
「一度お前と真剣に手合わせして見たかったよ。どっちが強いかってね」
「俺はお前に憧れていた」
ゲインがひとりつぶやく。
「お前は勇者だったよ。カッコ良くて、強くて、皆が憧れる本物の勇者だった。俺はお前に嫉妬していたんだ。心のどこかでお前みたいになりたいと」
(ゲイン……)
ルージュがシンフォニアの治療を受けながら涙を流し、彼の言葉を黙って聞く。
「お前との旅は楽しかった。楽しくて楽しくて、俺も勇者になったような気持ちにさせてくれた。俺の生涯の宝物だ」
黙ってそれを聞くスティング。ゲインが言う。
「だから、もう眠ってくれ。お前とは戦いたくねえ。お願いだ……」
「ゲイン……」
涙を流しスティングに懇願するゲインを見て、リーファは初めてそれが自分などが立ち入ることができない領域なのだと知った。スティングが言う。
「甘いな。ゲイン」
「スティング……」
スティングが剣を肩に担ぎながら言う。
「相変わらず甘いぞ、ゲイン。最初からお前のその甘さが命取りになると思っていた。目の前にお前の命を取りに行く敵がいる。どうして戦おうとしない? だからお前は一生勇者になれねえんだよ」
ゲインがその言葉をうな垂れて聞く。あれほど現役時代に反発していた相手の言葉が不思議とすっと胸に入って来る。スティングが大きな声で言う。
「私はなあ、殺したいんだよ。お前らみたいなウジ虫を!! すべて破壊し、すべて無に帰す。それが魔王スティングの本懐っ!!!!」
「魔王、スティングだと……」
ゲインの目に悲しみの色が強く混じる。リーファが言う。
「ゲイン、戦え!! お前、勇者なんだろ!!!」
ゲインが首を振って答える。
「俺は勇者なんかじゃねえ!! 勇者はあいつなんだよ……」
そう指差されたスティングが笑って言う。
「ああ、そうだよ。私が勇者。お前にとっての憧れの勇者なんだよ!!!!」
そう叫びながら剣を構え一気にゲインに突撃するスティング。
ガン!!!!
ゲインの剣とスティングの剣が大きな音を立ててぶつかり合う。
ガン、ガガガガガン!!!!
両者激しい打ち合い。いや、ゲインに関して言えばスティングの剣を受け止めているだけに見える。スティングが剣を振りながら言う。
「おいおい、どうした!? お前が俺を倒すんだろ?? このままじゃ死ぬぞ!!」
(くっ……)
ゲインは体がまるで自分の物じゃないかのように動かなかった。相手は
「……
「!!」
それは退魔の詠唱。宝玉を使った魔法を弱体化させる光の魔法。杖を掲げて光魔法を唱えるリーファ。その眩い輝きに包まれたスティングが、この戦始まって以来初めて激痛による叫び声をあげた。
「ぎゃあああああああ!!!!!」
「ス、スティング……」
ゲインが後ずさりして驚く。
スティングを覆っていた圧倒的な邪のオーラが幾分萎んでいく。魔王にのみ効果があるとされる『退魔の宝玉』。サーフェスでは全く意味のなかったその光魔法が、今目の前にいるスティングに効果を発揮している。リーファが叫ぶ。
「ゲイン、目を覚ませ!!! あやつが魔王。魔王スティングだ!!!!」
「!!」
ゲインは両膝を地面につきガタガタと震え始める。
(スティング、スティングが魔王な訳ねえだろ……)
溢れる涙。認めたくない現実。悲しみ、動揺。
様々な感情がゲインを襲う。経験したことのないような絶望感。憧れ、目指していた男と戦わなければならない現実。
「うおっ、ぐがっ……、これが『退魔の宝玉』なのか……」
スティングは十年前に時の魔王に対してマーガレットが発動させたこの光魔法のことを思い出していた。
「あはははっ、そうかそうか。あれが私に効くんだな。だから魔王。そう魔王」
弱体化したスティング。だがその力は依然強大で圧倒的。スティングが言う。
「あまり猶予はないな。ゲイン、お前を先に殺す」
「スティング……」
ゲインが涙目で戦友を見つめる。だがそのかつての友は躊躇なく剣を振り上げ突進してくる。ルージュが叫ぶ。
「ゲイン、戦って!!!!」
ガン!! ガンガンガン!!!!!
スティングの剣撃をゲインが剣でかわしていく。
「ぐはっ!!」
しかし剣が死んでしまっているゲイン。元最強勇者の剣の前に徐々に押され、体を切り刻まれていく。
「ゲインしゃん!!!」
ダーシャ達の治療を終えたシンフォニアが涙声で叫ぶ。あんなゲインは見たことがない。一方的にやられるゲイン。涙を流しながら戦いたくないと叫ぶように剣を振るゲイン。
(ゲインしゃん……)
もう皆が彼の正体を察していた。
あの勇者スティングと同じ土俵で戦う男。そんな人間この世でたったひとりしかいない。なぜ隠していたのか。だがそんなことはもうどうでもいい。皆の想いはただひとつ。
――剣を振って、ゲイン!!
「ぐわああああああ!!!!」
「ゲイン!!!!」
だがゲインはそんな期待には応えられない状況だった。スティングの剣を全身に受け、鮮血を流しながら言う。
「俺は、俺はお前とは戦えねえ……」
ゲインが剣を地面に杖の様についてつぶやく。
今更ながら気付いた。ゲインが涙をぼろぼろと流しながらスティングに言う。
「俺は、お前のことが大好きなんだよ……」
差し込む朝日。ゲインをオレンジ色に染め上げる朝日を受けながら、初めて気付いたその気持ちを口にする。
「ゲイン……」
ルージュが顔を両手で押さえて嗚咽する。どうしてこんなことになったのか。どうして……
「あははははっ!!! だからお前は甘いんだよ!! くたばれ、ゴリラ!!!!」
ザン!!!!
「ぐわあああああっ!!!!」
容赦ないスティングの攻撃がゲインを襲う。当初剣でいなしていたゲインだが、やがて無防備にその攻撃を受けるようになる。
「ゲインしゃん!!!」
全身から血を吹き出しながらもゲインは無抵抗でスティングの攻撃を受ける。
(俺は、お前と戦いたくない……)
憧れだったスティング。大好きだったスティング。ゲインの思考回路が停止しかかった。
だがその人物の、その行動が流れを変える。
ガン!!!!
(マ、マルシェ……)
一方的にゲインを攻撃するスティングの前に、タンク役のマルシェが盾を持ってそれを受け止める。
「これ以上させません!!!!」
その言葉は力強く、そして魂の籠った言葉。同時に背後から感じる破壊的な魔力。
「いい加減にしろ。このヘボゴリラ」
「リ、リーファ……」
振り返ると金色の髪を逆立て、宙に浮かぶ魔法勇者の姿が見える。隣には巨大な竜のような姿になったコトリも見える。
「私達の役目は魔王討伐。忘れたのか、ボケゴリラが!!!」
そう言いながら杖を前に掲げ魔法を詠唱する。
「……
同時に頭の中で別の詠唱が始まる。
(……
ドオオオオオオオオン!!!!
直撃。地面に降り立ったリーファがゲインに言う。
「いい加減目を覚ませ、ゲイン!!!!」
リーファをじっと見つめるゲイン。
彼を縛っていた過去の鎖が、徐々に緩み始めた。
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