133.ファーレンの絶望
王都レーガルトより少し離れた地。
その平原が広がる見晴らしの良い場所で、王都から魔族鎮圧のために派遣された騎士団副団長ファーレンは剣を持ったまま立ちすくんだ。
「魔族じゃない……、これは魔獣……」
沼から這い出て近隣の村々を襲ったというその魔獣。村人や冒険者が戦った傷が体についているが、その九つの頭はまるで無傷であった。小隊長がファーレンに言う。
「副団長、あれはヒュドラです!!」
ヒュドラ。大蛇のような九つの頭を持つ上級魔獣。一体で国を亡ぼす力を持つとされる恐るべし存在。周囲にはヒュドラに噛まれて倒れている者、毒を食らって苦しんでいる者達の唸り声が響く。小隊長が言う。
「一旦退きましょう。援軍を待って……」
「倒す」
「……はい?」
ファーレンは剣を抜き皆に言う。
「私達騎士団がやらなきゃ誰がやる!」
「はっ!!」
副団長の決断によりファーレン隊は魔獣ヒュドラとの決戦に挑む。だが善戦虚しく、圧倒的な力の前に撤退を余儀されなくなる。
壊滅的な損害を受けながらもファーレンは距離を保ちつつヒュドラと交戦を続ける。そんなファーレン隊に思わぬ援軍が駆け付けた。
「ファーレン!! 無事か!!!」
それは父であり、騎士団長であるボーガン。思わぬ援軍に喜びながらも戸惑うファーレンが言う。
「父上、なぜここに?」
「ルージュ様が派遣してくださった」
それは息子を想う父の顔。ルージュが心情を酌んでの派遣。戦に私情は禁物だが、言い方を変えればそれを行うのがルージュ。無論、圧倒的なボーガンへの信頼があってのことだ。
だが状況は悪化の一途を辿る。
「ぐわああああああ!!!!」
「父上っ!!!!」
百戦錬磨の老将ボーガン。巧みな剣裁きはレーガルトの誰にも引けを取らない。そんな彼の剣撃をもってしても魔獣ヒュドラにはまるで敵わなかった。
「父上っ、父上っ!!!」
九つの頭を持つヒュドラ。その首を斬り落としても斬り落としてもまたすぐに生えて来る。ファーレンも手こずった再生の魔獣。ボーガンは巧みな剣術で交戦したが、ついにその大蛇のような牙の前に倒れた。
息子の腕の中で瀕死のボーガン。すぐに回復魔法を掛けられるがすでに虫の息。レーガルトの最強の騎士団長をもってしても全く歯が立たない魔獣。戦意喪失した騎士団にもはや抗う気力はなかった。
ファーレンは涙を流し無力な自分、そして隊の全滅を覚悟した。
ドワーフの里『ドラワンダ』を発ったゲイン達一行。魔王討伐を目的にしていたが、魔王だと思っていたサーフェルは実は違っていた。『退魔の宝玉』を杖に付けたリーファがゲインに言う。
「どこに魔王はいるんだろうな。早く倒したいぞ」
「そう簡単に言うなよ。魔王ってのは魔王だけあって強いんだぜ」
そんな会話にマルシェとシンフォニアが苦笑する。それぐらいサーフェルの強さは群を抜いており、一時的ではあるが討伐した達成感は大きかった。
ゲイン達はドワーフ族が用意してくれた馬車で王都レーガルトへ向かっている。旅に出てから随分と時間が経った。久しぶりの王都帰還が皆の心を明るくしていたのも事実だ。
ギギーーーーーッ!!
そんな一行を乗せた馬車が急停止した。御者が叫ぶ。
「だ、旦那!!」
馬車から外を見たゲインの目に、街道の先で倒れている騎士団の鎧を着た兵士の姿が目に入る。
「おい、どうした!!」
すぐに飛び降りて兵士の元へと向かうゲイン。体に何かの大きな歯形が付いており今にも息絶えそうだ。シンフォニアに言う。
「すぐに回復を!!」
「はい!!」
シンフォニアが回復魔法を掛ける。瀕死だった兵の顔色が少しだけ良くなる。その後何度も回復魔法を掛けられた兵士がようやく意識を取り戻す。
「どうした!! 何があった!?」
鎧からするにレーガルト騎士団。このやられようはただ事ではない。兵士が弱々しい声で言う。
「この先に、魔獣が……、副団長と団長が戦っているが、もうダメで……」
「!!」
ゲインは先日ルージュに会った際に騎士団長がボーガンに代わったこと、そして副団長にその息子のファーレンが就いたことを聞いている。ゲインが言う。
「分かった。これからすぐ向かう。お前は馬車の中で休め」
「誰かは知らないが、もっと助けを……」
そこまで言うと兵士はまた気を失った。ゲインは兵士を担ぎ馬車に乗せるとすぐにその魔獣がいる場所へと向かった。
ドオオオオオン!!!!
「ぎゃああああ!!!」
魔獣ヒュドラと戦うレーガルト騎士団。だがその様子は戦うというよりももはや防戦一方となっていた。剣を、盾を構えヒュドラの攻撃に耐える兵士達。強力な牙、毒。どれをとっても絶望でしかなかった。息子の腕の中でボーガンが小声で言う。
「撤退しろ……、お前達だけでも逃げるんだ……」
「そんなことできない!! 父上、ご一緒に……」
ボーガンが小さく首を振る。自分の腕の中で段々と命の炎が弱まって行くのをファーレンが感じる。ボーガンが息子の手を握り小さく言う。
「大丈夫だ。我々には勇者がいる……」
「勇者……」
ファーレンは思い出した。
昔、子供の頃父から何度も聞かされた勇者の冒険譚。どんなこんな状況でも絶対に勝利を諦めない勇者の話。どんなに絶望の淵に立たされてもそれを笑顔で乗り越える英雄の話を。ファーレンが答える。
「あんな化け物、誰も倒せないです。父上、例えそれが勇者だとしても……」
見上げるような巨体。狂暴な大蛇のような顔。鋭い牙。猛毒。精鋭を集めたレーガルト騎士団ですらまるで赤子の手をひねるように敗北した。すでに全滅は近い。
ドオオオオオン!!!!
「ぎゃああああああ!!!!」
ボーガン親子を守っていた側近がヒュドラによって倒される。既に反撃の術を無くした騎士団。恐るべき魔獣が目の前に迫る。
「グゴオオオオオオ!!!!!」
ヒュドラの咆哮。ファーレンが父親をぎゅっと抱きしめる。親子に迫る魔獣の牙。ファーレンは死を覚悟した。
ガン!!!!
大きな音。空気を震わす衝撃。
ファーレンは自身が無事なことに一瞬混乱した。ボーガンが弱々しくその目の前に現れた人物を指差し、小声で言う。
「ご覧、息子よ……」
ファーレンがゆっくり首を上げ、目を開ける。
(え?)
そこにはふたつの影。
ひとつは盾を持ちヒュドラの攻撃を受け止める影。
もうひとつは剣を抜き、じっとその凶暴な魔獣に対峙する影。
ボーガンが言う。
「皆が絶望に負けそうになった時現れる。それを勇者と呼ぶんだ……」
ファーレンは何が起こっているのか理解できず、ただただその突如現れたゴリ族の男を見つめた。
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