16.ゲインのお勉強会

 レーガルト王城にある巨大な書庫。その隣に併設された勉強部屋。通称『自習室』。そこは王城内で勉学に励む者、未知なる知識を得ようとする者が進んで利用する場所。壁には防音処置が施してあり、学生同士が白熱した議論をすることもしばしばある。



「なあ、ゲイン。ここで何をするんだ?」


 その自習室に呼ばれたリーファとシンフォニア。部屋には黒板や勉強机。棚には分厚い書物が何冊も置かれている。ふたりが座る机の前に立ったゲインが一冊の本を持って言う。



「これから一週間、ふたりには座学を受けて貰う」


「座学?? お勉強するんですか~??」


 未だシンフォニアの髪には僧侶の悲哀花プリーストフラワーの緑の茎。少しずつ制御ができるようになってきたのか今はそれほど伸びていない。ゲインが書物を机に置いて言う。



「ああ、そうだ。お前らには期間は短いが冒険学に魔物学。リーファには魔法学に、シンフォニアには魔法治療学を学んで貰う」


「はあ~!? 何だそれ?? 急じゃないか」


 あからさまに嫌そうな顔をするリーファ。どうやら勉強はあまり好きではないらしい。ゲインが言う。



「これから冒険者になろうという者には実戦での経験はもちろんだが、知識としての冒険も学ばなきゃならん」


「嫌だ。そんなの面倒だ。私は魔法勇者だぞ。どんどん魔物を倒していけばすぐに強くなる!!」


 不満そうな顔でそう言うリーファにゲインが話をする。



「俺も昔はそう思っていた。剣一本で敵を斬り倒し、頂点へ登り詰める。できると思っていたんだ。あの時までは」


「あ、あの時って何ですか~??」


 真面目な顔のゲインにシンフォニアが尋ねる。ゲインが答える。



「昔、俺がまだソロで戦っていた時だが、ちょっとした油断で大怪我を負ってしまったんだ。持っていた薬草も尽き、瀕死の状態に陥った」


 黙って話を聞くふたり。


「その時、その戦闘で巻き沿いを食らって死んだリーフスライムがいたんだ。でも俺は知らなかった」



「何をだ?」


 興味が湧いて来たリーファにゲインが答える。



「薬草を食すリーフスライムは、潰して患部に塗ると一時的だが痛みを和らげる効果がある。俺がそれを知っていれば自力で帰還できた」


「死んだのか? お前」


 そう尋ねるリーファにゲインが呆れた顔で答える。



「死んだ人間がどうしてここに居る?」


「まあそうだな」


 ゲインがその当時を思い出しながら言う。


「結局偶然通りかかった冒険者パーティに助けられて一命は取り留めたが、まあ若気の至りじゃねえが無知とは恐ろしいものだと身に染みたよ」



「なるほど。知識は身を救うか」


 ようやく座学の重要性を理解し始めたリーファ。


「そうだ。知識だけじゃいけねえが、あればあるだけ生存確率が上がる。俺達の目標は魔王討伐。遠い遠い目標だが、その為に必要な冒険はもう始まっている」


 リーファが立ち上がって言う。



「分かったぞ!! 私も勉強する!! で、誰が教えてくれるのだ??」


 ゲインが書物を持ってふたりに言う。



「俺だ」



「……は?」


 驚くふたり。


「お前ゴリラなのにそんな知識あるのか?」


 ゲインが手にした分厚い書物をぱらぱらとめくりながら言う。



「まあ、ここに書いてある程度のことなら知っている」


「!!」


 驚くふたり。



(や、やっぱりゲインさんって凄いゴリラさんなんだわ!! へ、変態ロリ疑惑はまだあるけど、頼りになるのは間違いない!! 頑張りますっ、ふへ~)


 シンフォニアはまだ魔力消費による眩暈などが消えないが、ゲインが講師として教えてくれるならそれは一生懸命頑張りたいと思った。

 ゲインが分厚い本をふたりに渡してから言う。



「じゃあ、始めようか。まずは冒険学からだ」


「分かった。仕方ないな」

「ふわ~い……」


 ふたりの生徒はその後、ゲインが思っていた以上に真面目に座学に取り組んだ。






「お疲れ。はい、バナナジュース」


 ゲインはルージュから渡された冷たいバナナジュースを一気飲みする。


「ぷはー、美味めえ~!! ギンギンに冷えたバナナジュースは最高だな!!!」



(ふふっ、本当にゴリラよね。昔はお酒飲んでいたのに)


 ルージュが勇者パーティ時代の光景を思い出し苦笑する。

 ゲインはリーファ達への講義を終え、その報告の為にルージュの部屋を訪れていた。ルージュがソファーに腰かけゲインを見て尋ねる。



「どうだった? あのふたり」


「うーん、まあふたりとも頭抱えていたな。これから実践を積んで行けば相乗効果で理解も早くなるだろう」


 座学が大切なのは当然だが、やはりそれに伴った経験も必要不可欠。これはゲイン達の実体験から言えることだ。



「シンフォニアさんの僧侶の悲哀花プリーストフラワーはどう?」


 ルージュが自分のゴールドフラワーに手をやりながら尋ねる。ゲインが首を振って答える。


「まだ茎だ。ようやく魔力制御が少しできてきたところかな」


 それでもこの短期間を考えれば十分な進歩。ゲインが続けて言う。



「最初は嫌がっていたのにずいぶん気に掛けてくれてるじゃねえか。どうしたんだ?」


 ルージュが組んだ足を組み替えて答える。


「私は厳しいわよ」



「大切な僧侶の悲哀花プリーストフラワーをくれたのに?」


 ルージュが少し笑みを浮かべて尋ねる。


「ねえ、どうして『悲哀花』何て名前がついているか知ってる?」


「ん? いや、考えたことない」


 正直に答えるゲイン。ルージュが言う。



「もしあれで花が咲かなかったら上級僧侶じゃないって意味でしょ? それってつまり『あなたにはそれ以上の才能はない』って宣言されたと同じ意味なのよ」


「……なるほど」



 ルージュが青い髪を掻き上げて言う。


「いったいこれまでにどれだけの僧侶希望の人達があの花の前で涙を流したことか。上級僧侶になるためには必要な花。だけどたくさんの涙を見てきた花でもあるの」


「だから『悲哀花』なんて名前がついているのか。厳しいな」


「当然よ。より強い敵と戦うには才能ある僧侶が必要でしょ。下手すれば命取りになるわ」


 パーティ内での僧侶の役割は非常に重要。回復やバフなどの基礎力強化などその役割は多岐に渡る。ルージュが立ち上がりゲインに近付いて言う。



「だからあの子がもし花を咲かせられなかったら……」


 甘いルージュの香りがゲインを包み込む。



「私があなたと一緒に行くわ」



「……」


 答えることはできなかった。

 体現者リーファの決めた事ではあるが、能力不足の者を魔王決戦に連れて行くことはできない。最悪パーティの全滅に繋がる。ゲインが窓の外を見つめて言う。



「なあ、ちょっと時間あるか?」


 ルージュが嬉しそうな顔になって言う。


「あるわ。ずっとある。この先生涯ずっと時間あるわよ!!」


「誰がそんな先のことを聞いた? 今だよ。ちょっと付き合ってくれねえか」


 ルージュが頬を赤くして尋ねる。



「それってデートのお誘い? やだ照れちゃう」


 赤くなった顔を両手で押さえながら体をくねられせて喜ぶルージュ。ゲインが呆れた顔で言う。



「デートじゃねえ。ちょっとスティングの墓参りに行きたいと思ってな」


「墓参り?」


 ルージュがきょとんとした顔で尋ねる。



「ああ。ここに来てなんだかんだで忙しくて、奴の墓参りをまだしてなかったことに気付いたんだ。確か王立墓地にあるはずだろ?」


「ええ、あるわ」


 スティングが死去してからすぐに隠居したゲイン。彼の墓は恐らく王都にあるだろうと思ってはいたが、実のところこれまで一度も墓参りをしたことがない。ルージュが頷いて言う。



「いいわ。付き合ってあげる。ふたりで行ったらスティングも喜ぶわ」


「ああ、そうだな」


 ゲインもそれに頷いて答えた。






 夕方の王都外れ。王立墓地がある通りをふたりは並んで歩いた。日が傾くにつれ吹く風も少しずつ冷たくなる。ルージュは深く被った帽子を押さえながら言う。


「そっか。初めてなんだ。お墓参り」


「ああ、恥ずかしながらな」


 山で隠居していたから当然なのだが、盟友の墓参りをしてこなかったことを少しだけ後悔する。ゲインが再びメガネをかけ深めの帽子にコート姿のルージュを見て言う。



「また変装か。国防大臣ってのも大変だな」


 ルージュが笑って答える。


「そうね。ちょっとした外出でも『お供します!』『護衛を!!』とか、もう全然楽しくないんだから」


「そりゃ困ったな」


 そう苦笑するゲインにルージュが腕を絡めて言う。



「でも今はこんなに強〜い護衛さんと一緒だから安心だわ」


 ルージュの大きな胸の感触が直に腕に伝わる。ゲインが戸惑いながら言う。


「お、おい、やめろって……」


「え? なに、ダメなの??」


 勇者パーティ時代、この様なことをされた記憶はない。



「いやだって、前はこんなことしなかったろ……」


 ルージュがじっとゲインを見つめて言う。



「あの頃は子供だったからね~、まあ今も外見は変わらないけど、中身は大人よ」


 実年齢二十七歳。見た目は少女だが、立派な大人の女性である。ゲインが困った顔で言う。



「とりあえず離れろ! 歩き辛いだろ……」


「いいじゃん、別に誰の迷惑にもならない……」


 そこまでルージュが言った時、後方から大きな声が響いた。




「おい、そこのゴリラ!! ちょっと待て!!!」


 足が止まるふたり。ゲインはどこかで、ルージュははっきりと聞き覚えのある男の声。


「こんな所にまだいたのか、このゴリラめ!! 女性を拉致しようとしているのか!?」


 振り返るふたり。ゲインが言う。



「あー、騎士団長さんじゃねえか」


 それは白銀の髪が美しいレーガルト王国騎士団長ヴァーゼル。切れ長で、髪同様美しい白銀の目。真っ白な馬に乗りゴリラであるゲインを上からじっと睨みつける。



(最悪ぅ~、どうしてこう邪魔ばかりはいるのかしら……)


 変装したルージュは馬上から睨みつけるヴァーゼルを見てため息をつく。ゲインが小声でルージュに尋ねる。



「なあ、あいつお前の部下じゃねえのか? なんであんなに態度デカいんだよ」


「知らないわよ。私の前では『お利口さん』なんだから」


 ルージュもむっとして答える。ふたりの前までやって来たヴァーゼルが馬から降りゲインに言う。



「お前みたいなゴリラがこの王都に居るだけでも不愉快だと言うのに、更に可憐な我が国民を拉致しようなどとは言語道断!! 騎士団長特権でこの場で斬り捨てるっ!!!」


 そう言って腰につけたレイピアに手をかける。すぐにゲインが言う。



「だからよぉ、それを抜いたらそれ相応の覚悟しろよって言ったろ?」


「う、うるさいっ!! 貴様など、この私が……」



「ヴァーゼル!!!」



「……え?」


 ルージュは帽子を脱ぎ、メガネを外してその騎士団長に言った。



「私の大切な人が不愉快ですって!? どういう意味かしら?? あなたこそ彼の正体を知ったら死罪……、ふがふが!?」


 慌ててルージュの口を塞ぐゲイン。小声で言う。


「それ以上は言うなって言ったろ!!」


「だ、だって……」


 小声でやり取りをするふたりを見てヴァーゼルがガタガタと体を震わせながら言う。



「そ、そんなルージュ様がこんな所に……、申し訳ございません!!! し、失礼しますっ!!!」


 ヴァーゼルは深く頭を下げると白馬に乗り勢いよく走り去って行く。



「あいつなんで俺を目の敵にするのかな」


 そのゲインの言葉にルージュが反応する。


「え、初めてじゃないの?」


「いいや、前にもあんな感じで言われた」



「そう。それはちょっとお仕置きが必要ね……」


 この後、王城に帰ったヴァーゼルはルージュに呼び出され、こっ酷くお叱りを受ける事になる。

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