10.ルージュの思い

「いやしかし、その姿には驚いたよ」


 レーガルト王城にある国防大臣の執務室。落ち着いた内装に分厚い絨毯。歴史的価値のありそうな調度品に、豪華なソファーセット。窓からは王都レーガルトが一望でき、まさに国を防衛する最高の場所である。

 ふかふかのソファーに座ったゲインに、同じくその正面に腰かけたルージュが笑って答える。



「あなたに言われたくないわ」


 ルージュがゲインのゴリ顔を見て微笑む。今はルージュとゲインだけのふたりきり。自然と顔に笑みが浮かぶ。ゲインが頭に手をやり答える。


「まあ、そうなんだが。お前はいつからだ? そのなったってのは」


 ルージュが青いミディアムヘアに付けられた金色の花飾りに触れながら答える。



「よく分からないけど、多分魔王討伐後ね。私、当時十七歳だったんだけど、それからどれだけ経っても全然変わらなくて。だから今は二十七歳なのに、この姿なの」


 ゲインがルージュを見つめる。

 それは勇者スティングと共に魔王を討伐した当時のルージュそのまま。『天才僧侶』と呼ばれた幼い彼女が昔と同じ姿で目の前にいる。懐かしさと同時に、やはり時間の経過に対し脳が錯乱し混乱する。

 魔王が死ぬ間際スティングに掛けたのが死の呪い、自分にはゴリラ、そしてルージュには時間停止の呪いを掛けたのだろうか。



「いつかは解けるはずさ」


「そうね。でも怖いのも事実。ずっとこのままなのかなって」


「ああ」


 その気持ちはよく分かる。


「ねえ、ゲインも魔王討伐後すぐにそうなったの?」


 ルージュがゲインのゴリ顔を見て尋ねる。



「ああ、半年ぐらいかな。だからスティングと同じ時期だ。魔王の呪いとみて間違いない」


「そうね、みんな変な呪いに……、ぷぷっ……」


 真面目に話をしていたルージュが突然笑い出す。


「なんだ? どうした??」


 尋ねるゲインにルージュが笑いを堪えて答える。



「だ、だって……、あのゲインが、ゴリラに……、それなのに真面目な話を真剣にしていて、ゴリラなのに……、ぷぷっ……」


 ルージュが目に涙をためて笑う。ゲインがゴリ顔に手をやり答える。


「まあ確かにゴリラになったんだが、結構イケメンゴリラじゃねえか? 慣れちまえばどうってことねえぞ」


「そうね。ゴリラなのにイケメンなのでびっくりしちゃったわ」


 それを聞いたゲインが笑って尋ねる。


「おいおい、俺にそんなこと言っていいのか? にいるスティングが聞いたら悲しむぞ?」


 ルージュがテーブルに置かれたティーカップを手にして答える。



「スティング? 関係ないじゃん」


「そうなのか? お前ら仲良かっただろ」


「まあそうかもしれないけど、基本軽い男は嫌いよ」


 ゲインがどこへ行っても女に声を掛けて回っていたスティングを思い出し苦笑する。

 同時にルージュの頭にも勇者パーティ時代の記憶が蘇る。数多あまたの強敵と戦ったあの頃。天才と言われたものの戦闘経験皆無のルージュにとって魔物との戦闘は恐怖以外何物でもなかった。



『俺の後ろにいろ!! 絶対離れるな!!!』


 そんな不安だった彼女をいつも体を張って守ってくれたのがゲイン。目立ちたがり屋のスティングはいつも単騎魔物に突撃。僧侶と魔法使いと言う後衛を守る仕事はいつもゲインの役割だった。



(ゲイン……)


 だからこそ、魔王討伐後に突然姿を消したゲインを思いルージュは毎晩涙した。ゲインが居たからこそ勇者パーティは魔王討伐ができた。スティングが攻撃の『矛』ならば、ゲインは『盾』であり『胴体』そのもの。彼がいて初めてパーティが機能する。スティングもそれを本能的に分かっていた。だから彼を誘った。



(なのにどうして何も言わずに居なくなっちゃったのよ……)


 魔王討伐後半年で勇者スティングが亡くなった。そしてそれに呼応するようにゲインが、魔法使いマーガレットも不通に。ひとり残されたルージュはそれこそ英雄扱いされ王城で仕事を始めた。

 紅茶のおかわりを淹れようとして立ち上がったルージュが、ソファーに座るゲインを見て不意にぶるっと体が震える。



「ゲイン……」


「お、おい!? どうしたんだ!!??」


 ルージュが無意識にゲインに抱き着く。震える体。ゲイン達が居なくなって十年たったひとりで踏ん張って来たが、その頼れる男の姿を見て思わず心の何かが崩れ落ちた。



「ルージュ……?」


 震える体、そして耳には小さくすすり泣く声が聞こえる。



「どこ行ってたのよ。もう私をひとりにしないで……」


 ゲインがルージュの背中に手を置いて答える。



「すまない。随分と負担を掛けちまったようだな」


 気ままな隠居生活を送っていた自分と違い、ルージュは英雄として国防大臣としてこの国を導いて来た。小さな体が震えているのを感じ、ゲインはようやく彼女を縛っていたその重い鎖に気付いた。

 ルージュが立ち上がり、目に溜まった涙を指で拭き取り笑顔で言う。



「もうどこかに行ったりしないでね」


 ルージュの笑顔。それは十年前、一緒に冒険していた頃と全く同じもの。ゲインが少し困った顔をして答える。



「ああ、その件でここに来たんだ」


「その件?」


「ダーシャが現れてな、するって言われた」



「!!」


 ルージュが真剣な顔になる。それは少し前に兵から報告のあった話。魔王らしき魔族が現れ被害が出ているとのこと。ルージュが答える。



「私のところにも来たわ。魔王が復活するって」


「そうか。冗談じゃねえってことだな」


「ええ。恐らく」


 少しの静寂。ルージュが尋ねる。



「行くの?」


「ああ、そのつもりだ」


「勇者は?」


「いる」



「それってゲインが……」


 そう言いかけたルージュを遮るようにゲインが言う。



「分からねえ。だけど自称勇者って奴はいる」


「自称勇者? 何それ」


 ゲインが少し笑って答える。



「俺の所にやって来て『私は勇者だ!』って宣言して俺を連れて行った女の子だ」


「女の子? あの一緒に居た金髪の?」


「そう。リーファって言うんだが、実はな彼女なんだ」


「体現者?」


 ゲインが一度目を閉じそして少し難しい顔で答える。


「まあ、簡単に言えば思ったことを全て現実にしてしまう能力者のことだ」



「え? 凄いじゃん、それ……」


 ルージュが驚いた顔になる。世の中には異能力を持つ者が稀に現れるというが、望んだものを体現化するとなれば恐ろしい能力だ。ゲインが言う。



「まあ、ただどんなものでも全てって訳じゃないようだがな。何らかの力が働いて叶うものと叶わないものがあるらしい」


「へえ、そうなんだ。ま、そうじゃないとチートよね」


「まあな。で、その体現者の能力で選ばれたのが俺と、シンフォニアって言う僧侶だ」


 その名前を聞きルージュの顔が一瞬むっとなる。



「ああ、あのピンク髪の女の子ね。随分可愛らしい子を連れていると思ったけど、そう言うことなの」


「そう言うことだ。ダーシャにも言われたのだが、俺はリーファを監視しながら魔王退治をしなきゃならないらしい」


「私も行く」


 ゲインが驚いた顔で答える。



「私もって、お前ここの国防大臣だろ? お前が居なくなったら大変になるんじゃないか??」


 ルージュが首を左右に振って答える。


「私も行きたいの。もうひとりでいるのは嫌なの!!」



「『待つ』って、何を待ってんだ?」


 そう尋ねられたルージュの顔が一瞬で真っ赤に染まる。



「な、何でもないわよ!! いいの、そこは聞かなくても!!」


 ゲインが困った顔で答える。



「リーダーは一応リーファなんだ。行けるかどうかはあいつ次第なんだがな……」


「あとで聞いてみるわ」


「本当に行くのか?」


 そう尋ねられたルージュがむっとして言う。



「なに? 私が行っちゃだめなの??」


「いや、そういう訳じゃねえけど……」


 彼女が同行してくれればこれ程心強いものはない。ただ今彼女は『天才僧侶』と言う肩書よりは、『国の英雄』そして『国防大臣』と言う大切な仕事がある。少し考えたゲインがルージュに言う。



「ああ、それでお前に頼みがあるんだ」


「頼み? ああ、何かそんなこと言っていたわね」


 王都公園でゲインに耳元で言われた言葉を思い出す。


「頼みってのはそのシンフォニアを僧侶として鍛えて欲しいんだ」



「イヤ」


「え? 嫌、なのか??」


 ルージュがむっとして言う。



「だから私を連れて行けばそんな女なんて要らないでしょ? 私の僧侶としての能力はあなたも知っているはず。魔王討伐なら私が行くべきじゃないの??」


 確かにそうである。ほぼ素人僧侶のシンフォニアより、経験豊富で気の知れたルージュを連れて行く方が遥かに理に適っている。国防大臣だが、国の危機を救うとなれば魔王退治が優先されるであろう。だが、



「同行するならリーファに認められなきゃならねえ」


 元々パーティを結成したのはリーファ。それにスカウトされたのがゲインとシンフォニアである為、やはりリーダーとなる彼女の承諾は必須だ。



「なによ、それ。つまんない。いいわ、後で彼女に聞いてみるから」


 ぷっと頬を膨らませ、不服そうな顔をしたルージュが答える。ゲインが再度尋ねる。


「それで彼女に僧侶としての鍛錬を……」



「イヤ。断ったはずでしょ、それは」




「そう言わずに、引き受けてくれないかね」


「え?」


 突然執務室に響いた女性の声。馴染みのある声。ふたりがその女性を見て声を出す。



「ダーシャ!?」

「ダーシャさん!!??」


 白銀の髪に帽子をかぶった若い女性。背にした白いマント、スリットの入った肌の露出の高い服装。大魔法使いダーシャがいつの間にか部屋の中にやって来てにっこり笑っている。ゲインが言う。



「いつの間に来たんだ?」


「いつって、今よ」


 ダーシャはルージュが座るソファーに近付き、少し腰を掛け足を組む。スリットの間から白く色っぽい生足が露出し、ゲインが目を逸らす。



「って言うか、何だその格好??」


 そう尋ねるゲインにダーシャがぴっちりとした服に触れながら答える。



「えー、ゲインちゃんが喜ぶと思ってリクエストの服を着て来たんだよ~」


「誰がリクエストなんてした!! 俺が言ってるのはその容姿だ!! 若い女に化けてるんじゃねえ!!」


「え?」


 それを聞いたルージュが驚いた顔でゲインに言う。



「ゲイン、あなた何言ってるの? ダーシャさんの本当の姿はよ」


 そう言ってすぐ隣にいる若いダーシャを指差す。驚くゲインがダーシャを見つめ、そして尋ねる。



「これって、お前ババアの姿が本当の姿じゃないのか??」


「なーに言ってんのよ、ゲインちゃん。これが私の本当の姿よ。老婆が偽りの姿なの」


 眉間に皺をよせダーシャを見つめるゲインが尋ねる。



「はあ? 何でそんなことしてんだ?」


「うーん、だって大魔法使いとか言われたらやっぱり老婆の方がいいかなってね! あっちの方がうざい虫も寄らないし」


 シンフォニアやルージュに負けないぐらいの美しい容姿。虫とは彼女に言い寄る男のことであろうか。ゲインが微妙な顔つきでつぶやく。



「マジか。俺は知らなかったぞ。ずっとババアが本物だと思ってた……」


「言ってなかったっけ?」


「言ってない」


「そう、まあいいじゃん。私、エルフだし中々容姿変化しないし」


 クスクス笑うダーシャにルージュがやや不満そうに尋ねる。



「それでルージュさん、私があの女の指導をしなきゃならないってのはどうしてなんですか?」


 ダーシャがルージュの頭をポンポンと軽く叩きながら答える。



「見えたからさ」



「……」


 ダーシャの予知能力。完全とは言えないが彼女には先の未来が見えている。ゲインが尋ねる。



「そこにルージュはいないんだな?」


「そうよ」



「……」


 ルージュが悲しそうな表情となる。

 現役時代、何度も助けられた大魔法使いダーシャ。彼女の予知能力の凄さは知っている。そこに自分が居ないとなるとそれは、そう言うことなのであろう。ルージュが言う。



「分かったわ。仕方ないから指導してあげる」


「そうか! それは良かった」


 安心するゲインにルージュが言う。



「でもひとつお願いがあるの」


「なんだ?」


 そう尋ねるゲインにルージュが言う。



「一日、私とデートして」



「ぷっ」


 それを聞いて思わず笑ってしまったダーシャとは対照的に、ゲインは初めての誘いに全身から汗が噴き出した。

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