龍の泉輝く時

空野宇夜

本編

 空の青はだんだんと深くなり、冬の面影が段々と現れて来た頃、西の都から離れたイエフ山を黒いローブの男、オーグインとインノンが歩いていた。一般的に黒いローブは魔術師の証として認識されており、彼らもそれを示す為にローブを身に纏っていた。二人共にフードを深く下ろしており、顔の全容は拝めないようになっている。オーグインの顎には髭が生えそろっており、その男の背中を追うインノンの顎はまだつるりとしていた。


 紅葉する木々の下を彼らは歩くが、オーグインはさも当たり前のように道中の熊避けの鐘を素通りしていった。道中に数個ほどあったにも関わらずどこも鳴らしていなかった。彼が熊避けを素通りする度、決まってインノンは細い声で言う。


「オーグインさん。ちょっと危険ですよ。熊避け鳴らしましょうよ」


オーグインも決まってこのような台詞をインノンに言って聞かせる。


「これも修行の一環だ。いついかなる時も警戒を怠らず周囲を注意深く観察しなさい。そうすれば見つかりもしないだろう。そしてもし、戦いになったら、魔術師の誇りを以って土に返してやりなさい」


オーグインは何回も繰り返してきたこの台詞を、これまた何度も言った事をインノンに話す。最初は怯えたようにびくびくしていた彼も今ではすっかり慣れてしまっている。


「もし襲われたらどうするんです?」

「その時は私に任せなさい」


オーグインの自信に満ちた返事に、インノンはやっと安心したような顔をして言った。


「解りました……ちょっと待ってください。あそこ、鎧熊がいます」


彼が指をさしたところには木で爪を研ぐ鎧熊の姿があった。魚の鱗のようなものを体中に生やした熊であり、彼らの天敵は魔術師以外いなかった。


「こちらには気が付いていない様子だな。我らが積極的に戦う理由もあるまい。見逃してやりなさい」

「分かりました」


オーグインとインノンは鎧熊を横目に歩き、山登りを続ける。


 しばらく山を進むとずいぶんと寂れた小さな集落が彼らの目の前に現れた。その集落の家々は厳しい冬に降る大量の雪を耐え忍ぶために屋根の勾配は急なものになっていた。


「オーグインさん、どうしますか?」


インノンは何かに期待するような表情を見せる。


「まあいいだろう。少し休憩を挟もう」


二人は集落へ続く道へと足を進めた。


「魔術師の方でしょうか?」


老いた女が二人に話しかけてくる。


「ええ」とオーグインは返事をした。彼らが魔術師であることは一目でわかる。言い逃れはしなかった。


「ようこそおいでくださいました」


老婆は頭を下げると、二人のために家の中へと招き入れる。その家の中に入ると暖炉によって暖かくなっていた為か、二人の体は解けるように緩んでいった。


「ここラヌミド村には昔からの言い伝えがありまして」


老婆は水瓶の水をすくいながら話し始める。


「はて、どのようなものか」


とオーグインが訊いた。二人は下ろしていたフードを上げた。


「言い伝えと申しますのは、この村の外れに古くから眠る龍の話でございます」

「龍……ですか? どのようなものでしょう」


インノンが質問する。老婆は湯飲みをオーグインに差し出しながら話を続ける。


「龍の泉輝く時、戦士の眼に竜が映り、龍の眼にもまた戦士が映る。戦士と竜はその時互いに殺しあう定めを受け、双方は相見えることとなるだろう」


オーグインはそれを受け取ると口に含んだ。一瞬、顔色を変える彼であったがすぐに平静を取り戻して、再び老婆を見る。


「この村には龍の涙で満たされたといわれる龍の泉なるものがありまして、選ばれしものが泉の水を飲みますと泉が輝くのです」


「それで選ばれしものとやらが定めを受けて龍と殺しあうということであるか?」


オーグインは老婆の話に被せて言った。


「はい。まったくもってその通りでございます」


老婆は続けて言った。


「そこで魔術師様方にお願いでございます。是非とも泉へ足を運んで頂き、選ばれしものになって頂けないでしょうか?」


オーグインとインノンは顔を見合わせる。


「何故だ?」


オーグインは尋ねた。


「龍はいつも深い眠りについておるのですが、四年に一度眠りから覚め、村に災厄をもたらすのです」


老婆は深刻そうにそう言う。


「ではこの村から出てゆけばいいのではないか?」


「そのようなこと、そうそうできません。さすれば都まで龍の手が及ぶでしょう。私どもは人柱なのです。私はそれでもよいのですが、やはりこの輪廻は断ち切られるべきなのです」


老婆は二人の目を見て訴え掛ける。


「そこまで言うのならば受けてたとう。もしも我らのどちらかが選ばれしものならば」


オーグインはどこか思わせぶりな笑みを浮かべた。


「ありがとうございます。まだやらねばならないことがありますので私は戻ります。どうぞごゆっくり休んでくださいませ」


と老婆が言い残し家を後にした。


 オーグインと二人きりになるとともにインノンが口を開く。


「龍は伝説上の生き物であるはずです。この村の外れに本当に居るのでしょうか?」

「眠っているだろう。おそらく龍は魔素でできている結晶だ」

「魔素の……結晶?」


思わずインノンは問う。


「原理は魔術と同じだ。強い想像が魔素を通じて形となる。想像は共有することもできるのだ。この場合、複数人で龍の存在を強く信じたことから無意識のうちに村人自身の魔力で龍を生み出してしまったのだろう」


オーグインは自分の肩をほぐしながら言った。


「結局、龍はこの世で一匹と言う訳ですか」


インノンはため息を吐いた。


「いや、それは違う。龍はあまりにも有名な生き物だ。ここにだけ存在するわけではないはずだ」


オーグインは断言した。インノンにはその自信の根拠が分からなかったが、彼が言うのならばそうなのだろうと思うことにした。


「さあ、そろそろ出発しようではないか」


オーグインは立ち上がり言った。


 日が傾き始め影が少しずつ伸び始めた頃、彼らは龍の泉へとたどり着いていた。


「泉の水を飲むのはお前だけでいいだろう」


オーグインがそう言うとインノンは不満そうな表情を見せた。


「話が違うじゃないですか。オーグインさんも飲んでくださいよ」

「これはお前の修行だ。我が手を出すことではない」


オーグインは腕を組みその場から動こうとしなかった。それ以上言い返すことのできないインノンは仕方なく泉の水に手を浸す。左手で袖を抑えながら右手で水をすくい、それを口に含むと、インノンは自分の舌を疑った。


「少し、塩気がしました」

「ほう、そこにも魔素が干渉していたか」


オーグインは顎に手を当ててそう言った。すると、泉の水が輝きを放ち始めた。


「選ばれた……のか?」


インノンの手の甲には、獅子をあしらった印があった。


「おお……やはり魔術師様が……」


いつの間にか背後には老婆の姿があった。彼女は袖で涙を拭うようなそぶりを見せ、深々と頭を下げた。老婆は興奮で走り出し、村人たちを呼んで回った。


「魔術師様、龍の眠る洞穴にご案内いたします」


 老婆はラヌミド村の住民全員を連れて彼らの前に戻った。後ろの村人たちは魔術師の戦いの姿を一目見ようと躍起になっていた。村民が騒ぐ中、老婆を先頭に彼らは龍の眠る洞穴へと向かった。


「これが龍のいる洞穴でございます」


 案内された場所は、巨大な岩に空いた穴であった。周囲の気温は外よりも幾分か低いように感じられる。洞窟の天井は抜けており、空の様子がうかがえる。天井から降り注ぐ乾いた日光にとぐろを巻いた龍が照らされていた。


「鹿の角、駱駝らくだの頭、鬼の目、蛇の身体、みづちの腹、鯉の鱗、鷹の爪。虎の掌、牛の耳、長い髭に顎の下の逆鱗。まさに伝説の通りの龍ですね」


インノンがそう言うと、龍は長い眠りから目を覚ました。そして彼を睨みつけると咆哮した。その場にいる全員が耳を抑え、咆哮が鳴り終わるのを待った。


「見せてみろ、お前の強さ」


オーグインは腕を組み、そう煽る。するとインノンは声を大にして言う。


「一種魔術師インノン、参ります!」


インノンは龍と対峙する。龍は空に向かって吼えると、角を携えインノンへと突進する。インノンはそれを右に避けると、次に来るであろう攻撃に備えた。だが龍が次に向かった先は彼の方ではなく洞窟の出口であった。


「追いなさい」


オーグインがそう言った時には既にインノンは走り出していた。出口へと続く穴の手前に着いた瞬間、彼は後ろを振り向き龍と相対し、人差し指を龍に向けた。そして彼は呟く。


「水術、突」


すると彼の人差し指から水の槍が出現し、彼はそれを高速で放った。水の槍が龍の脳天めがけて飛んでいったが、龍は飛び上がり槍を回避した。


 オーグインは龍とインノンの戦う様子を瞬きせずに見守った。だがそんな彼に魔の手が降る。すぐ後ろでインノンと龍との戦いを見ていたはずの老婆がオーグインに刃を突き立てたのだ。彼は咄嗟に刃を弾き、老婆の額に人差し指を突き立てた。周りにいた村人たちも彼に剣を向けていた。戦いに夢中のインノンはそのことに気付かない様子だった。


「ほう、老婆よ、演技は目を見張るものがあったぞ。水術、突」


彼がそう言うと水の槍が容赦なく老婆を貫いた。地面に突き刺さった水の槍は途端に形を失い地面に染み込んだ。老婆は白目をむき仰向けに倒れた。


「一種魔術師インノン、少々手こずっている様子である」


 オーグインは冷静に状況を分析する。するとインノンのすぐ後ろの地面が隆起し龍が現れた。彼が後ろを振り返る間もなくその長い角で龍は彼の背中を串刺しにしてしまった。彼は血を吐くと力なく地面に倒れ込む。


「ふむ……しかしこのままではあの小僧は死ぬな」


オーグインは村人たちの包囲を突破しインノンに駆け寄る。


「療術、栓」


オーグインがそう呟くとインノンの傷口が緑色に輝き血が止まった。その輝きは肌に馴染むとともに消えた。インノンの脇を抱え彼を立たせるとともにオーグインは言う。


「この療術はあくまでその場しのぎだ。痛みは残るがそのまま戦いなさい」

「はい……」


そう言うと、インノンは歯を食いしばって龍へまた立ち向かった。


 オーグインは振り返り、村人たちと対峙する。


「ずいぶんと舐められたものだ。我は三種魔術師であるぞ」


彼は余裕そうに振舞った。すると何人かの村人が叫び声を上げオーグインに斬りかかった。


「龍を使った追い剥ぎ。考えたものであるな、人の道とは外れているが。土術、束」


オーグインは地面に手を向けた。すると村人たちの足元から木の根が這い出て彼らの足首に巻き付いた。村人たちは手をつく間もなく地面に倒れ込み、鼻血を流した。


「以前からこの行為に及んでいたようであるな。随分と演技に慣れていたようであるからな。同士の賊が倒れるのをそこで見てなさい」


オーグインは倒れた賊にそのような言葉を吐き捨てた。オーグインがその言葉を吐いている隙に残った十数人の賊はおびえながらもオーグインを取り囲んでいた。オーグインは悠々と正面に立った賊へ向けて歩いた。どたどたと彼の後ろから足音がし、彼は振り向きざまに言う。


「甘い。後ろからなど。水術、斬」


オーグインが掌を賊へ向けると水の刃が飛び出し賊を切り裂いた。だがその刹那、一人の賊がオーグインの背中に傷をつけた。オーグインは一瞬よろめくとすぐに体勢を立て直し賊の包囲を潜り抜けた。


「甘えていたのが我とは、少々笑えぬ。真剣に戦わねばならぬのか。炎術、竜巻」


 オーグインは目の色を変え、大きく腕を回し空気をかき混ぜるような素振りを見せると、彼の目の前に大きな炎の竜巻が現れた。竜巻はその輝きで洞穴中を照らした。その竜巻は賊共を襲い、通り過ぎた。後に残ったのは彼ら彼女らの骨と灰だけだった。あまりの光が起きたので、龍との死闘を繰り広げていたインノンは光の方へ振り向いた。彼の視界にはオーグインだけが映っていた。インノンには彼の背中が少し小さく見えた。


 インノンは龍のことを思い出し、身の毛がよだつ思いをしながら振り向いた。


「あ、あれ?」


龍は跡形もなく消え去っていた。


「龍に魔力を注いでいた人間が全員死んだ。だから消えたのだ」


 オーグインはインノンのもとへ行きそう説明した。オーグインはインノンの背中を押し、血と死体と灰を見せた。するとインノンは腰が抜け、その場に座り込んでしまった。


「貧しさは時に道徳を欠く。そして欲を満たすため行動を起こす。すると天は容赦なく切り捨てる。そう、彼らの如く」


 背中の傷を塞ぎながらオーグインは言った。

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