エスポワール号の方程式
雨宮 徹
エスポワール号の方程式
「オリバー艦長、それはダメです! あなたは死ぬべきじゃない!」
レオは艦中に響き渡る大声で叫んだ。
「レオ、冷静になるのだ。君は優しく思いやりがある。だが、時には非情さも必要なのだ。君たちのためならば、喜んで私は犠牲になる。これは艦長としての決断だ」
レオはオリバー艦長の決断を受け入れることができなかった。二人の人間が生き延びるために一人が犠牲になるか、もしくは三人とも死ぬか。レオにも答えはわかっていた。合理的なのは一人が犠牲になることだ。だが、それしか選択肢はないのだろうか?
* * *
「緊急事態発生! 緊急事態発生!」
レオはけたたましい警報で目を覚ました。正確にはコールドスリープから目を覚ました。
「何が起きたっていうんだ?」
レオは一人ごちる。
「緊急事態発生につき、ブリッジまでお越しください。繰り返します――」
これは最新型ロボット・アルベルトの声だ。緊急事態? 壁に据え付けられた機械は目的の惑星まで残り三日を示している。レオは深い眠りから起こされたことに不満を感じつつもブリッジに足を向けた。
「あら、レオじゃない。あなたも起こされたってわけね」
ブリッジには先客がいた。エミリーだ。彼女は長い金髪を耳にかけながら言った。
「まあね。それにしても緊急事態ってなんだろう? まだ目的地までは三日あるのに」
窓からは目的の惑星が大きく見える。赤茶色の地面にところどころクレーターが見える。
「アルベルト、緊急事態ってなんだい? わざわざコールドスリープから起こしたからには、理由があるんだろう?」
「重大な事案につき、オリバー艦長が到着されるまでお話できません」
目の前に立ったロボットのキンキンした声はそっけなかった。
「私を呼んだかい?」
オリバー艦長が個室のドアから現れる。ドアの高さは長身の彼には少々窮屈なのか、身をかがめていた。
「レオ、エミリー、待たせたね。さて、アルベルト、三人とも揃ったのだ、緊急事態の内容を聞かせてもらえるかい?」
「オリバー艦長、誠に残念ながら地球に残された人類は滅亡しました」
「アルベルト、『人類が滅亡した』という悪い冗談のために我々を起こしたのか」
オリバー艦長がため息をつく。
「いえ、艦長。地球の人類は核戦争のために滅亡しました。食物の奪い合いのために。この宇宙に残された人類はあなたたち三人です」
ブリッジは静まりかえった。
レオは耳を疑った。人類が滅亡した? 酸素も食料も豊富な目の前に広がる惑星。まだ名前はないが、食料難に陥った人類にとっては希望の星だった。もうすぐそこまで来たのに、なんということだろうか!
「アルベルト、『目的の惑星に着くまでコールドスリープから起こさないこと』、と命令したはずだが。エスポワール号に搭載されている食物は少ない。三日分というところだ」
オリバー艦長が青々と茂った食物プラントを指す。
「我々全員がコールドスリープから目覚めてしまっては、食物はもちろん、運動による酸素の消費量が多すぎて惑星まで待たないはずだ。賢い君ならわかるだろう?」
「もちろんです。しかし、あなた方の判断をあおぐためにはやむを得なかったのです。誰か一人にお伝えするわけにはいきませんでしたから。命令に従うことよりも、人類絶滅の危険を避ける方を選択いたしました」
レオはうめいた。ロボット三原則の一条。「ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない」。アルベルトは命令に従うというロボット三原則の二条より一条を優先したのだ。人類を絶滅から救う方を。
「でも、それって矛盾してないかしら? あなたは私たち全員を起こしたことで、三人とも危険にさらされているのよ?」
エミリーがヒステリックに叫ぶ。
「私は三名の命よりも、人類が絶滅しかねないという危険を避けるために皆さんを起こしました」
アルベルトの冷たい声が響く。
「つまり、君は私たちがコールドスリープから目覚めないまま人類が絶滅するより、この艦の誰かの命を犠牲にすることを選択したわけだ。そしてこう言いたいのだろう? 目的の惑星までは三日はかかる。食物は十分だが、酸素が足りない。誰を犠牲にするか選べ、と」
オリバー艦長は置かれた状況にもかかわらず、冷静だった。
三人のうち誰かが死ぬ必要がある。それはレオを絶望に追いやるには十分だった。この艦のエスポワール号という名前はフランス人のエミリーが母国語で「希望」という意味だから名づけたのだ。なんという皮肉だろうか!
重々しい空気が漂う。オリバー艦長もエミリーも誰を犠牲にするべきか考えているに違いない。もし、僕が選ばれたらどうしよう!
沈黙を破ったのはオリバー艦長だった。
「二人とも、冷静に聞いて欲しい。私が再びコールドスリープしよう。そうすれば二人分の酸素も食物も足りるはずだ。目的地までは三日だろうから」
「しかし、艦長。僕たちの中に技術者はいません。コールドスリープしても再び起きられる保証はないのでは……?」
レオは自分が指名されずにほっとしていたが、良心がとがめた。
「私はおいぼれで、残された時間はわずかだ。君たちはまだ若い。誰かが危険にさらされるのなら、私が適任だろう」
エミリーは何も言わない。彼女も分かっているのだ。これが最善の選択だと。
はたして、僕たちに残された選択はそれしかないのだろうか?
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