第36話 いつもそばに
「…アリア様、…大丈夫ですか?」
「……ええ……」
アドラム公爵の姿が扉の向こうに消えてからも、私はその扉を見つめたまましばし呆然として動けなかった。
すっかり騙されていた。まさかあんな人だったなんて。全てはあの人の思惑通りだったんだ…。ジェラルド様と私の間に子を作らせなかったのも、自分の動かしやすい側妃にジェラルド様の寵愛を移して、私を離宮に追いやって冷遇することも…。
「…大丈夫。ごめんなさいねエルド。離宮に戻るわ。…さっきは庇ってくれてありがとう」
ショックを受けて固まっていた私の代わりに、エルドがアドラム公爵に抗議してくれた。宰相を詰ったりしたら、自分の立場が悪くなるかもしれないのに…。
「いえ、俺は当然のことを言ったまでです。…では、参りましょう」
「ええ…」
今のエルドの声はいつものように淡々としている。
でもさっきアドラム公爵に抗議した時の声は、まるで別人のような迫力だった。
(…あんなに怒ってくれるなんて…)
こんな時に。それどころじゃないはずなのに。
エルドの気持ちが嬉しくて、私の頬は少し熱くなった。
アドラム公爵が意図的に私を離宮に追いやったのだとしても、今の私にはどうすることもできない。ジェラルド様はマデリーン妃を盲目的に可愛がっているし、きっとその熱が冷めて目を覚ます時まで私を邪険にし続けるだろう。
(…私は私にできることをやるだけ)
ユリシーズ殿下の言葉を思い出す。ジェラルド様の元婚約者コーデリア様は、外交にとても力を入れていたという。
『諸外国との関係を、大事になさってください、アリア妃陛下。コーデリア様が築いてこられた外交関係を引き継ぎ、あなた様のやり方でより強固なものにしていけば、きっといざという時に役に立つはずですから。このラドレイヴン王国は、大陸きっての大国。…しかし、いくら強い国力を持っているとはいえ、未来永劫安泰が決まっているということはないのですから』
お忙しい中わざわざ私の元に立ち寄ってまでアドバイスをくださった。そのお気持ちを無駄にしてはいけない。
私は改めてこの王国が近隣諸国との間に結んでいる条約の数々に目を通し、各国の王家の方々や大使たちとの交流にこれまで以上に力を入れた。挨拶の手紙を送り、それぞれの国を数日かけて訪問しては対話をした。
「国王陛下はお元気でしょうか。最近はめっきりお会いする機会もなくなってしまいましたなぁ。王太子であられた頃は、長年のご婚約者であったデイヴィス侯爵令嬢と定期的にご訪問くださっていたものですが…、…っと、…失礼。王妃陛下の前でする話ではございませんでした」
「…いえ。大変ご無沙汰をしておりまして…。国王は即位してからは特に精力的に公務に邁進しており、日々大臣たちと会議を繰り返しては内政の見直しなどに力を入れております」
「はは。さようでございますか。いや、ですがこうしてラドレイヴン王国の王妃陛下となられたお方がしっかり外交に励んでくださるので、国王陛下も安心して任せておられるのでしょうな」
当初は私だけが訪問することを怪訝に思っている方々もいたけれど、ジェラルド様は即位後忙しく過ごしているのだとどうにかフォローしながら何度も訪問や手紙のやり取りを繰り返し、各国との友好親善関係強化に務めているうちに、徐々に私はラドレイヴン王国王妃として諸外国の要人たちに広く受け入れられるようになっていった。
「いや、今だから申し上げますが…、正直国王陛下があのデイヴィス侯爵令嬢との婚約を解消して突然カナルヴァーラ王家から正妃を迎えられることになったと聞いた時には非常に不安な思いをしておりました。デイヴィス侯爵令嬢はそれほどに優秀で知恵の働くお方でしたから…。大国の利益だけを考えずに、我々の国にとっても有意義な内容の友好条約を提案してくださったり、頼りにしていたのです。…ですが、アリア妃陛下、あなた様がその役目をご立派に引き継いでくださったのですね。これまでと変わらぬ手厚いご支援、心より感謝いたします」
とある国の大使からこんな言葉をかけられた時には胸が熱くなったものだ。
ただ、私のこの国外訪問は母国カナルヴァーラにだけは行ってはならぬと、ジェラルド様によって固く禁じられていた。
きっと私が父や兄に自分の現状を訴え助けを求めることを危惧しているのだろう。手紙も検閲され、会いに行くこともままならない。家族にまともに連絡がとれないのは辛かったけれど、忙しく働くことでその寂しさを紛らわしていた。
直接会話をする機会が与えられないから、侍従などを通じて何度か「来月行われるここの国の行事や晩餐会には共に出席しましょう」などと、ジェラルド様に打診していた。だけど伝えられる返事はいつも、「忙しい」「お前が行けば済む話だ」だった。
内政も外交も、国王の元に嫁いだ以上は二人三脚でやっていくものだと思っていたのに、気付けば私はいつも一人だった。夫婦でありながら、ジェラルド様はいつの間にか私にとって誰よりも遠い存在になってしまっていた。
王宮の使用人たちの私への態度は日に日に冷たくなり、そばで仕えてくれる人もごく数人に限られ、離宮に戻れば寂しい毎日だった。
それでも孤独に押し潰されることなく自分を奮い立たせてこられたのは、母国からついてきてくれて今も変わらずずっと私のそばで励ましてくれるリネットと、嫁いできた頃から変わらない面子の専属護衛騎士たちがいてくれるからだった。彼らとはもう随分打ち解けた関係になっていた。
その中でも特にエルドは、私がいつどの国を訪問する時にでも必ず同行してくれていた。他の専属護衛たちは皆その時々によってメンバーが変わる。それに加えて、私が外国を訪問する時にだけとってつけたように同行してくる、普段は目も合わせてこない王宮の使用人たちもいる。
エルドは、いつも私のそばにいてくれた。
「明日の午後には王宮に到着します。アリア様、本日はこちらの宿でお休みください。俺はいつも通り扉の外に待機しておりますので」
ある日の、とある国からの帰路の途中。
日が沈みかけオレンジ色に照らされた街の中で馬車は止まり、降りた私にエルドが声をかけてきた。
「ありがとう。……ねぇ、エルド。あなた、お休み取らなくていいの?」
「またその話ですか。ふ…。アリア様は心配性でいらっしゃいますね」
「だ、だって、あなたが休んでるのを見たことがないんだもの。毎日必ず顔を見るし、こうして外国を訪問する時にも必ず…」
「…嫌ですか?俺が毎日あなたのそばでお仕えするのは」
「……えっ?」
さっきまで心配性だなんて言って笑っていたはずのエルドが、突然真剣な瞳でそんなことを言った。その翠色の瞳に射抜かれると、私の心臓はなぜだかいつも大きく跳ねる。
「いっ……、嫌なわけ…、ないじゃないの」
そしてこんなごく当たり前の返事をするだけでなぜだか声が震え、彼から目を逸らしてしまい、自分のその幼稚な仕草に頬を赤くするのだった。
(…夕日が差していてよかった…。どうして私はエルドの言葉にだけ、こんなにも動揺してしまうのかしら…)
「大丈夫ですよ、アリア様。丸一日の休みを取っていないだけで、ちゃんと他の者と交代して半日休んだりしていますから。それで充分なんですよ。俺は体力には自信があるので」
「…強いのね、エルドって」
「そうですよ。あなた様をお守りするためだけの強さです」
「……っ!」
(ま、またそんなことを……っ)
ふいにそんなことを言われ、再び私は激しく動揺する。私の、ため…。
私だけのため……。
胸の奥から一気に湧き上がってくるむず痒い感情とエルドの視線に翻弄されて、体中が熱くなる。恥ずかしさのあまりクラリと目まいがした。
「…ありがとう」
彼の真剣な瞳から目を逸らしたまま、小さくそう答えるのがやっとだった。
「…さぁ、部屋に行きましょう」
狼狽える私とは正反対に、その後エルドは淡々と私を部屋までエスコートした。
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