9「リンガード王国」


「どうぞ、座ってください」


 僕らはギルド長の私室に場所を移し、4人掛けのテーブルに座った。僕の前にはフィンリッドさんとギルド長が並んでいる。

 席に着くと、さっそくフィンリッドさんが話を始めた。


「ではまず、何故私がリンガード王国の調査を行うことにしたのか。そこから説明しましょうか――」


 フィンリッドさんは以前から、リンガード王国に不審を抱いていたらしい。

 そのきっかけは、エルナの母、マルリッタ・エイルーンの死。

 彼女が亡くなったという報せが届いたのは、死んでから1年も経っていたという。

 マルリッタさんはイルハリオンでも有名な冒険者だった。それなのにすぐに報せが来なかったのは、リンガード王国になにか不都合な事情があり、隠していたのではないかと考えたのだ。

 そもそも世界を見て回ると言ってイルハリオンを飛び出した彼女は、真っすぐリンガードに向い、そこに留まっていた。その辺りにも違和感がある。


 そしてギルド長の調査はそれを裏付けるものだった。

 まず、マルリッタさんは旅が目的だったのではなく、リンガードの大規模な作戦に勧誘されて国を渡っていた。

 その作戦とは、邪龍ゲインシード討伐。

 リンガードに棲んでいた凶悪な魔物だが、イルハリオンではあまり知られておらず、僕も知らなかった。


 邪龍ゲインシードはその場にいるだけで生き物はもちろん植物さえも死に至るという、災厄のような魔物だった。ただし近付かなければ暴れることはなく、動き回ることもない。故に結界で隔離をして管理していたそうだ。


 ……その説明だけで強力な魔物だとわかる。魔王に匹敵するレベルの凶悪さだ。

 もしかして魔王を名乗っていないだけで、魔王クラスの魔物はこの世界にもいるんじゃないか……?

 剣王の亡霊せいで、そんなことを考えてしまう。


 邪龍による死の侵食は年々広がっていて、結界の境界近くまで迫っていた。

 さすがにこれ以上放っておくことができなくなり、リンガード王国は邪龍討伐を決めた。

 その討伐作戦に、イルハリオンで名を馳せた冒険者マルリッタさんに白羽の矢が立つ。彼女を招き入れることに成功すると、ついに作戦が決行される。


 その結果は、討伐成功。しかもマルリッタさんがトドメを刺したという。


 ――そこまではいいのだが、邪龍という強大な魔物を討伐したというのに、その報せがイルハリオンに入っていないことが問題だった。

 ギルド長によれば、リンガードはほとんど他国に言いふらしていない。特にイルハリオンには厳しく情報規制していた。

 その報告を聞き、フィンリッドさんの疑念がますます深まる。


 リンガードがなにを隠しているのか――なんと、ギルド長はそれすらも調べあげていた。

 ……厳しく規制していた情報を調べられるなんて。やはり、ギルド長はとんでもない実力を持つ人のようだ。

 そしてその情報の内容は、


『邪龍ゲインシードを倒す際、マルリッタはその血を全身に浴び、呪われた――』


 リンガード王国は、邪龍の呪いを隠すために情報規制していたのだった。


 ただ討伐直後、彼女が不調を来すことはなかったらしい。呪いは無いのではないか、そう考え始めた矢先――彼女は命を落としてしまう。


 ギルド長がそこまで話したところで、フィンリッドさんが険しい顔でギルド長に詰め寄った。


「まさか! マルリッタの死は呪いが原因だったのですか?」

「わ、わかりません。夫のコクル・セイルフィードも行方不明ですから、これ以上詳しい情報が手に入りませんでした……」


 フィンリッドさんは椅子に座り直してため息をつく。


「……2年前にコクル氏が訪ねて来た時、邪龍のことも、呪いのことも、なにも話してくれませんでした。教えてくれていれば――」


 そう言って残念そうに眉間を押さえた。そうだ、エルナのお父さんはエルナと一緒にワーク・スイープを訪ねている。どうしてその時、詳しいことを話さなかったのだろう。


 ギルド長が申し訳なさそうな顔で謝る。


「すみません、わからないことだらけで……。で、でも収穫が無かったわけではないんです」


 彼はそう言って、チラッと僕の方を見た。

 ……なんだろう、もの凄く不安になる。

 ギルド長とは今日初めて話したけど、だいぶネガティブなところがあるなと感じていた。だけど実際、かなり重たい情報を抱えていたわけで……。今度はいったいなにが出てくるんだろう。


「マルリッタさんたちの近くに住んでいたという人の話を、少しだけですが聞けました。……子供を預けるコクルが、説明を求められて仕方なく話したようですが……」

 またギルド長が僕を見る。不安がさらに大きくなる。

 だけどギルド長が聞いた話は、その不安以上に衝撃的なものだった。


「……彼女が受けた呪いは、娘に移った、と……」


「なっ……娘って、エルナに呪いが!? そんな――!!」


 ガタンッ!

 僕は思わず立ち上がってしまった。邪龍の呪いが、エルナに――。


 あぁ、だけど……エルナのあの不安定な魔力も、今日の禍々しい魔力も、すべて呪いのせいだとしたら、辻褄が合ってしまう。でも、そんなことって!


 さすがのフィンリッドさんも動揺したのか、息を大きく吐き、気を落ち着かせてからギルド長に尋ねる。


「……ギルド長。邪龍ゲインシードの呪いが具体的にどういったものか。わかりましたか?」

「申し訳ありません……わかりませんでした。というより……リンガード王国側は、呪いの内容はもちろん、娘に移ったかもしれないという話すら把握していません。マルリッタさんには呪いの症状がなかったからでしょう。彼女が死んだとわかり、そこで初めて慌てだしたようです」

「なるほど。邪龍の呪い、その力がわからず……把握ができず、イルハリオンへの報せが遅れたわけですか……」


 呪いを警戒して情報を規制、その後マルリッタさん亡くなりその原因究明のために継続して規制。しかし結局わからず、1年が経ち。呪いのことを隠したままイルハリオンに報せた。――ということのようだ。


「マルリッタさんとコクルの2人は、呪いを周囲に隠していました。解呪しようとしていたのだと思いますが、具体的になにをしていたのかわかりません。

 そしてエルナ君を慮ってでしょう、魔物が少ないと言われている地域に移り住み……間もなくして、マルリッタさんが亡くなっています」

「……誰にも頼らなかったのね。マルリッタ……」


 呪いを隠して、自分たちだけで解呪しようとしていたんだ。

 周りを呪いに巻き込みたくなかった? それとも――。


「お二人の考えがどうだったのかまではわかりませんが……マルリッタさんが亡くなったあと、コクルはリンガードの冒険者ギルドに入り、研究者として各地を巡っています」

「あ、それエルナも話してくれました。お父さん、ギルドに入っていたんですね」

「うん、でもあちらのギルドはカルタタとは別物でね。研究者は危険な場所に入る許可を得るためだけに、ギルドに入ったりするようだよ」


 依頼を斡旋するための組織ではなく、危険地帯に入る人の管理を行う組織なのだろうか。それなら確かにここのギルドとは別物だ。


「リンガードのギルドに入っていることは2年前ご本人からも聞きました。ギルド長、彼が具体的になにを調べていたのかわかりますか?」

「魔力に関するアイテムを探していたようです。冒険者を雇って各地に赴いていた記録が残っています」

「あ……それってもしかしてエルナが身につけていた……ペンダントに入っていた石ですか?」


 彼女のペンダントには魔力を制御する宝珠が入っていた。それについて具体的な話はしていない。緑色の石が入っていたということだけ伝えてある。

 正直、僕もあれについて考え出すとわけがわからなくなる。何故この世界に存在しているのか……どういう意味を持つのか。さっぱりだ。

 とりあえず宝珠は彼女の枕元に置いてきた。側にあった方がいいはずだから。


「おや、ラック君。先ほどの報告ではあの石がなにかわからないと言っていましたが、魔力に関係していると考えているんですね」

「えっ――か、考えているだけです! 確証がないので、言わなかっただけ、です」


 しまった、説明できなくて誤魔化すためにそう言ったのを忘れていた。相変わらず鋭い……。


「ふふっ、そうですね。……あなたが見たエルナの魔力。それを抑えるためのアイテムだったと、考えるべきでしょう」

「で、ですよね。僕もそう思いました」

「父親からもらった守りだと彼女は言っていましたが、どうやら本物のようですね」


 誤魔化せた……のか? 追及がなくてホッとする。と同時に、大事なことを思い出した。


「あ……ごめんなさい、一つ報告し忘れてました! エルナの話によると、イルハリオン行きが決まったのはあのペンダントをもらってすぐだったそうです」


 するとフィンリッドさんが僅かに眉を上げて驚いた顔になる。


「それは、私も知りませんでした。なるほど、つまりペンダントは旧王都の異物。その存在を知ったコクル氏は、旧王都の調査を志願したわけですか。……エルナからもっと詳しく聞いておくべきでしたね」


 さすがフィンリッドさん、理解が早い。おそらくそういうことのはずだ。


「旧王都の異物の持ち出しについては厳しく管理していますが、それも最近になってからです。過去に出回った物、監視をくぐり抜けた物がリンガードに流れたのでしょう。……ようやく話が繋がりました」


 宝珠は魔力を制御する力しかない。だけどあれが見つかった旧王都には、呪いを解くアイテムが眠っている可能性がある。

 旧王都の異物の可能性――セトリアさんと同じことを、エルナのお父さんも考えたんだ。



「ふぅ……さて、僕からの報告は以上です。……たくさん話すのは、疲れます……」

「ご苦労様です。少し、整理しましょうか」


 フィンリッドさんはそう言って話をまとめる。


「おそらくエルナは、呪いによって膨大な魔力を内に秘めています。それを抑え込んでいたのがあのペンダント、その中身の緑色の石なのでしょう。しかし、それでは呪いを解くには至らなかった。コクル氏は解呪のできる旧王都の異物を求めて、旧王都の調査に向かった」


 僕もギルド長も黙って頷く。たぶんそれが正解だろう。


「一応、進展はありましたね。邪龍の呪いというのは大きな手がかりです」


 エルナのあの暴力的で禍々しい魔物のような魔力は、間違いなく邪龍の呪いによるもの。だけど、どうしてだ? なんのための呪いなんだ? 意味なんてなくて、あの狂暴な魔力を託されるだけなのか? 状況でしか推測することができず、今後なにが起こるのかわからない。厄介な呪いだ。

 やはり解呪するのが一番だが、その方法もわからない。

 となれば、旧王都の異物に頼るのは間違ってはいない。僕も似たようなことをしてきた。

 問題は、旧王都に解呪アイテムの噂があるわけではないこと。あくまで特別な力を持ったアイテムが見つかる、というだけだ。都合よく解呪のアイテムが見つかる可能性は、いったいどれくらいだろうか。


 手がかりは得たが、そこから前に進むことができない――。


「ラック君、呪いについては私の方でも調べてみます。だから顔を上げてください」

「あ……はい」


 いつの間にか俯いてしまっていた。

 声をかけられて顔を上げると、フィンリッドさんが僕を真っすぐ見つめていた。


「ラック君。今回の件、間違いなくエルナが鍵となっています。それはわかりますね?」

「――はい」


 剣王の亡霊が旧王都を出て来たのは、エルナの魔力を感知したからだ。亡霊がそんなことを言っていたのを僕は聞いている。


「明日、私もギルド長も朝から旧王都に赴きます。あなたは絶対に、エルナから離れないでください。いいですね」

「もちろんです。なにがあっても、エルナを守ります」


 僕がそう答えると、フィンリッドさんとギルド長が頷きあう。


「よい返事です。さて、話はこれで終わりです。疲れたでしょう、食堂で夕食が食べられるように手配してあります。……目が覚めたエルナも誘ってあげてください」

「え? あ、はい」


 もう結構遅い時間だ。食事なんて、それどころじゃなくて忘れていた。そういえば帰って来てからなにも食べていない。依頼の途中で食べるつもりだった食料も手を付けていない。そしてそれはエルナも同じはずだ。食欲があるかわからないけど、なにか食べた方がいい。


「わかりました。では僕はこれで、失礼します」

「はい。ご苦労様です。……エルナのこと、本当に頼みましたよ」


 僕は立ち上がり、頭を下げて部屋を後にする。



 エルナの持っていた、魔力を制御する宝珠……。

 この世界に存在する筈のない、旧王都の――いや、この世界にとっての異物だ。

 何故そんなものが旧王都から見つかったのか。


(自分と、無関係とは思えない……)


 どうやら僕は、いつかあの場所に行く必要があるようだ。

 そして、そのいつかは――。


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