父上と祖父上と猫(5)
一際かわいい子猫二匹の姿にスクーカムは「……か、かわいい」と呟いてしまう。
――すると。
「こんな生物が、この世界に……? まさか、そんな……。これが猫だと? こんなものが存在していたのだとしたら、俺は一体今まで、何を……」
キムリックがぶつぶつと独り言を言い出す。
その直後、チャトランが寝返りを打った。目を細めて気持ちよさそうな顔をしている。背中より少し白い縞模様のお腹が、丸々としていて愛らしい。
(今日も一段とかわいい。かわいすぎる。あー、生きててよかった)
そんな風に猫のかわいさをスクーカムが深く噛みしめた、その時だった。
「うわあああああ! かわいいいいいい! かわいすぎるうううう! 猫おおおおお」
キムリックが絶叫した。突然のことにスクーカムは驚愕しびくりと身を震わせる。
ソマリとコラットも、衝撃を受けたような面持ちをしていた。
「これが猫! いや、猫たんと呼ばせてくれっ。今までかわいいという概念をいまいち理解していなかったが、これがかわいいということかっ! うわあああ、ニャンニャンかわいいい」
「ち、父上。お気を確かに……」
スクーカムが困惑しながら言う。
大柄のごつい中年男性が、太い声で「かわいい」だの「ニャンニャン」だの連呼する姿は、異様でしかなかった。
(もしかしたら父上なら、猫を見たところで『ふん。これが猫か。確かに無害なようだな』くらいで終わるかもしれないとも思っていたが。まさか一瞬で陥落してしまうとは)
その勢いは、むしろ自分よりも猫のかわいさに耐えられていないのではないか。
スクーカムがチャトランを初めて目にした時は、絶叫なんてしなかった。また、自分の立場を気にして「猫をかわいい」といった発言を誰かの前ですることはしばらく気を付けていた。
「な、なんだかサイベリアン王国の男性って、猫ちゃんのかわいさに耐性が無さすぎではないですか?」
「尻尾がしましまでかわいい~! お手ても小さくてかわいい~! もう全部かわいい~!」と叫ぶキムリックを引いた目つきで眺めながら、ソマリがスクーカムに小声で言う。
「うーむ……。恐らくだが、かわいいものとは無縁の人生を送ってきた者ばかりだからではないだろうか。俺もそうだし……」
「なるほど……。だからあんな風に、世界一かわいい生き物である猫ちゃんを見て、タガが外れてしまうんですかね」
「たぶん……」
そんな会話をふたりでしている最中も、キムリックは「猫たんかわいいい!」とまるで発狂するかのような声で連呼していた。
しかしまだ猫に触れる勇気はないようで、いや恐らく触れたらあまりの尊さに失神しかねないから堪えているようで、チャトランの側でしゃがんでいる。
そして、国王が猫に魅了されている光景を三人で眺めることしばらく。
「すまん。俺としたことが、つい猫たんに夢中になってしまった」
さすがは最強の軍事国家の国王である。落ち着きを取り戻したキムリックが、咳払いをした後淡々とした声で言った。
それでも「猫たん」と呼んでいるため、猫に心を奪われていることには代わりないようだが。
「しかし猫たんを見て分かった。これはスクーカムも兵士も、猫たんに心酔しても仕方がないな。むしろ、よくこのかわいさを知って正気を保っていられるものだ。この俺でもギリギリだったぞ」
真顔でおかしなことを言う。スクーカム自身、似たようなことを言った覚えがあるが、自分が尊敬している父が猫狂いになっている姿を見ると、なんだか知らないが冷静な気分になった。
「はあ……。ソマリは猫をかわいがっていますが、いつでも平常心で猫と触れ合っておりますよ。猫に慣れているようで」
「何!? なんという強靭な精神力の持ち主……! スクーカム、よくぞこんな素晴らしい女性を見つけてくれたな!」
スクーカムがいつものソマリについて説明すると、キムリックが彼女に尊敬のまなざしを向ける。
「さらに、よく離宮に猫たんを迎えてくれた……! 俺と猫たんを引き合わせてくれた! このまま猫たんのかわいさを知らないまま生涯を終えていたかと思うと、恐ろしくてたまらない……! むしろ猫たんを知らずにいた今までの人生が、九割くらい損していたのではないかという気分だ!」
「それは……俺も思います」
スクーカムも、猫に出会わせてくれたソマリには感謝の念しかない。
そしてソマリを愛するようになった今、彼女と巡り合うきっかけになった猫にも、多大なありがたみを感じている。
「……よくわかりませんが。お褒めの言葉光栄に存じます。ありがとうございます。陛下、スクーカム様」
ソマリはにこりと上品に微笑み、ドレスの裾を持って恭しく礼をする。
その後、真剣な面持ちになって口を開いた。
「あの……。猫ちゃんのかわいさをお分かりいただけたようなので、陛下にひとつお願いがあるのですが……。猫ちゃんのことです」
「猫たんのこと!? なんだ! なんでも申してみろっ」
猫のことだと聞くなり、キムリックは前のめりになる。
本当にこの人、もう猫に夢中だなあ……と、スクーカムは若干引き気味に思った。
「先代の王が、猫ちゃんの飼育を取り締まるお触れを五十年近く前に出したというお話は陛下もご存知かと思いますが。そのせいで民は家の中に猫ちゃんを隠しながら暮らしています。可能でしたら、そのお触れを撤回……」
「猫たんと暮らすのを取り締まるだと!? とんでもないっ。すぐそんなものは撤回し、全国民で猫たんをかわいがるべきだというお触れを出さねば!」
ソマリが言葉を終える前に、勢いよくそう宣言するキムリックだったが。
「しかし父上。そのお触れは祖父上が発令した者です。存命の祖父上に許可も取らずに勝手に撤回するわけにはいかないのでは」
そう。猫に関するそのお触れは、現在は別荘で隠居しているスクーカムの祖父、ボンベイ・サイベリアンが出したものなのだ。
「はっ! そうであったなっ。俺としたことが、つい失念していた!」
いつもは理知的で抜かりのないキムリックが、そんなことを忘れるなんて珍しい。
(『猫たんかわいい』で頭がいっぱいで、ちょっと……いやかなり馬鹿になっているみたいだな父上……)
呆れながらスクーカムが思う。
「だがそういうことなら、早速先王のところに参ろう! 猫たんのかわいさを知る先輩として、スクーカムとソマリも帯同してくれ」
「御意」
「かしこまりましたわ、陛下」
そういうわけで、スクーカムとソマリはキムリックと共に先王が住む別荘へと向かうことになった。
(思った以上に父上は猫にはまったようだが。これで猫の飼育を制限する馬鹿げたお触れがなくなれば、願ったり叶ったりだ。そうすれば街中でも、不意に猫と出会う機会が増えるだろう……!)
スクーカムは、外を自由に猫が闊歩するようになる光景を夢見るのだった。
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