噂の魔女(4)
スクーカム自身は、実はそんな馬鹿げた噂が流れている方が都合が良かった。
離宮に誰も近寄らない方が、タビーとして通いやすいからである。スクーカムとして行くと、プライドが邪魔をして素直に猫と触れ合えないのだ。
(しかし最近スクーカムとして離宮に行っていなかったことを、今日あの鋭い侍女に怪しまれていたな。そろそろスクーカムとして赴かなくては……)
スクーカムとして離宮を訪れるとしても、余計な輩がいない方が猫のかわいさを感じることに集中できるだろう。
結局、「ソマリは魔女だから近寄らない方がいい」という噂が流れている方が、行動はしやすいのだった。
「まあ、根も葉もない噂だとは思うが。念のためにお前に聞いたまでだ」
意外なキムリックの一言だった。王宮中の皆が魔女を恐れているのに、なぜ父は噂をでたらめだと断言できるのだろう。
実際、猫を操るという部分は真実ではあるし。もちろん魔女というのは事実無根だが。
「父上、なぜそう思われるのですか?」
「あまり俺を甘く見るな。お前のことを生まれてからずっと見ているのだぞ。お前ならサイベリアン王国に相応しい女を選んでいるはずだからな」
冷淡な声でそう言い放つと、キムリックは視線をさらに落とし、フォークに刺さった肉を頬張る。
急な誉め言葉に、スクーカムは少しの間放心状態になってしまう。
しかし父にこういうところがあるのは知っていた。常に厳しく、冷たい物言いしかしないくせに、きちんと見ているところは見ているしスクーカムの勤勉さを認めてくれてはいるのだ。
だが、しかし。
(まずい。「めちゃくちゃかわいい猫と一緒にいて、自分もその猫といっしょにいたいから求婚しました。もう俺は猫命なんです」なんて口が裂けても言えない)
まったく国のことなど考えずに、自身の欲望を満たすためだけの婚約(しかも猫をかわいがりたいだけ)だなんてキムリックに告げたら、勘当では済まないほどの制裁を与えられてしまうかもしれない。
しかしソマリは何事にも物怖じしないし、自由気ままで肝が座っているとも言える。偶然にも、軍事国家の妃としてはそう悪くない女性だ。
「……はい。ソマリは優秀な女性ですよ」
ある意味。自分にとっては。
キムリックは、眉間に寄せていた皺を少しだけ緩めた。
「そうか。それならばくだらん噂はじきにおさまるだろうな。お前は普段通り落ち着いて職務を果たせ」
「はい」
スクーカムは神妙な面持ちになって首肯する。
いまだにキムリックはソマリと顔を合わせていないし、会う機会を設けようとすらしていない。単純にソマリに興味がないのだろう。
息子の婚約者と一度も顔を合わせていないなんて、王族の常識的にはあり得ない。しかしここは軍事国家サイベリアン。嫁の顔などよりも、軍の補強の方が大切な国なのだ。
それについさっきキムリックが言っていたように、スクーカムを信頼しているから婚約者のことは一任してくれているのである。
あくる日、スクーカムは久しぶりに鉄仮面を被った状態で離宮を訪れた。つまり冒険者のタビーとしてではなく、王太子として。
「あ……。スクーカム様。お久しぶりです」
タビーとして訪ねた時よりも、ソマリはぎこちなく微笑んでよそよそしい口調で言う。
スクーカムは密かに寂しさを覚えるも、鉄仮面を被った自分とはソマリは打ち解けていないのだから仕方ないと、自分に言い聞かせた。
そしていつものように、広間で毛づくろいをしたり日光に当たってゴロンゴロンしたりしている猫三匹を目にしたスクーカムが「くっ……。なんと恐ろしい姿……! 心が侵食されるっ……」と悶えながら呼吸困難に陥っていると。
「あの、スクーカム様。……って、今日も苦しそうですが大丈夫ですか?」
「ああ。ちょっとした発作だ。猫から離れれば収まるから心配無用だ」
「そ、そうですか……? ではお尋ねしますが、サイベリアン王国の平民街の猫ちゃん事情について、ご存知ですか?」
ソマリが神妙な面持ちでスクーカムに尋ねる。
「平民街の猫事情……? 貴族と同じように、悪魔の使いである猫を遠ざけているのではないのか?」
恐らく貴族街ほど猫の侵入を規制してはいないだろうが、魔の生物だと伝承されている猫を敬遠しているのは同様なのだろうとスクーカムは思い込んでいた。
先日、肉屋の近くで拾った二匹の子猫――ルナとアルテミスについては、猫を嫌う民衆に追いやられあの場にたまたまいたのだろうと、勝手に考えていたのだが。
「いいえ。サイベリアン王国の民の方は、実は皆猫ちゃんが大好きなのです。しかし五十年前に出された猫ちゃんに対する厳しい規制を恐れ、衛兵たちに気取られないように家の中に猫ちゃんを隠しているのですわ」
「何……? 申し訳ない。まったく俺の知らない話だ。詳しく聞かせてくれないか」
猫のことなど、ソマリと出会う前までまるで興味の無かったスクーカムは、サイベリアン王国内の猫事情などそれまで考えたことも無かった。
ソマリと出会った後は後で、離宮の猫たちに悶えるのに忙しかったし。
するとソマリは、「私も肉屋のマンクスから伺ったのですが」と前置きして、詳細を説明してくれた。
それはこんな内容だった。
古来より悪魔の使いで忌むべき存在だとされていた猫だが、サイベリアンの民たちはそんなことは気にせずにかわいい猫たちと思いのままに暮らしていた。
しかし五十年ほど前、前国王が猫を厳しく規制するお触れを出した。理由は不明だという。
その結果、外を自由に闊歩していた猫は捕獲され、家で猫を飼っていても、発見され次第捕えられてしまう事態に。
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