平民街の猫事情(6)


 スクーカムは、就寝時と食事の時以外はほぼつけっぱなしの鉄仮面を外し、冒険者の恰好をして平民街を歩いていた。


 王太子が人前に出る時は常に鉄仮面の装着を義務付けられている。サイベリアン王国に古くから伝わる慣習だった。


 顔を公にしないことで、王太子は神秘的かつ不可解な存在になる。王家の威厳を保つための習わしだという。


 だからスクーカムの顔は、親族とごく一部の使用人を除いて知られていない。


(そういえば、いまだにソマリにすら俺の顔を見せていなかったな)


 剣の稽古や軍の取りまとめが忙しい上、そもそも住まいも別であるため、ソマリとは食事を共にしたことがない。


 会食の機会も今までたまたまなかった。離宮を訪れると彼女は毎回茶菓子を用意してくれるが、毎度スクーカムが猫に魅了され息も絶え絶えとなってしまうため、彼女と茶を楽しむ余裕がなかったのだ。


(そういえばあの女、俺の顔も知らずに婚約に乗り気だったな……。本当に猫のことしか考えておらんのだな。顔を見たいとも一度も言われていない)


 まあスクーカムとて、ソマリと婚約したのはチャトランを自分の近くに置きたいためだった。興味がないのはお互い様だろう。


 そんなことを考えながら、いつもよりずいぶん軽い頭でスクーカムは平民街をぶらついていた。


 鉄仮面を脱ぎ、冒険者のふりをして街を歩くのをスクーカムは定期的に行っていた。


 偉大な王であるスクーカムの父は「民など、王が強ければ勝手についてくるもの。細かいことなど考えずに、サイベリアン王家の者は日々鍛錬すればいい」とよく言っては、公共事業は官僚に丸投げしている。


 しかし自分はそうは思えない。


 確かに王に力があれば民も頼もしく思うはずだが、それだけで民の心を捉えるのは難しい。強さだけではどうにもならない問題が、民の生活では多々勃発する。


 他国と交流していると、やはり民が元気な国は栄えている。軍と王家が強いのは何よりだが、民が住みやすい国になるような細やかな気配りだって同じくらい大切だろう。


 そんな持論を持つスクーカムは、定期的に街を見回っては公共事業の必要な個所を官僚に提言していた。


(俺は時期にサイベリアンの国王となる。そのためには、今のうちに住みよい国づくりを行っておかなければ)


 こうして、サイベリアン王国を心から愛する王太子・スクーカムは、民に困りごとがないか平民街を見回っていたのだ。

 すると、商店が軒を連ねる通りに入った時。


「いろいろお話を聞かせてくれてありがとう、マンクス」

「平民街の事情について全然存じなかったので、大変助かりました!」


 聞き覚えのある、女性ふたりの声だった。思わず声のした方に目を向けると、肉屋の軒先でソマリとコラットが店主らしき男性と話していた。


(あの女……。王太子妃という身分で、勝手に離宮を抜け出しやがって……)


 怒りというよりは、呆れた気持ちになる。護衛もつけずに平民街を訪れるとは。危険な目に遭ったらどうする気なのだ。


 しかし好き勝手にやってもいいというのがソマリとの婚約の条件だ。それを踏まえると、スクーカムが彼女に文句を言うのは道理に反しているだろう。


 ソマリは町娘を装っているようで、簡素な仕様のワンピースを着用していた。一応身分を隠してはいるようだが、育ちの良さが滲み出てしまっているため「お忍びで街を訪れている貴族令嬢」感がただ漏れている。


 まあそれでも、さすがに王太子の婚約者だとは悟られないだろうが。


 ところで一体、ソマリは肉屋の男と何を話しているのだろう。まさか逢引きか?


(まあ俺たちの間に愛はひとかけらも無いし、隠れてやってくれるぶんにはまったく構わないが。俺をチャトランに会わせてくれさえすれば)


 そんなことを考えながら、少し離れた場所からソマリたちの様子をうかがっていたスクーカムだったが。


「鶏ささみ肉、安くしてくれてありがとう! これでうちのチャトランも喜ぶわ」


(何!? チャトランだと?)


 チャトランにぞっこんであるスクーカムは、その名にぴくりと反応してしまう。


 どうやら、肉屋に赴いたのは猫に与えるご飯を調達するのが目的だったようだ。これでチャトランが喜ぶならスクーカムも嬉しい。なんと素晴らしい行いではないか。


 ソマリのチャトラン愛を深く感じ、うんうんと頷くスクーカム。すると足首付近を何か柔らかい物が触れた。


 何だろうと思ってスクーカムが見てみると、なんとそこには。


「うわあ!? ね、猫だっ! 小さい!」


 ソマリに気取られないように注意していたというのに、スクーカムは大声を上げてしまう。


 しかし無理もない。彼の足元にはいつの間にか猫が現れていたのだから。


 しかも二匹だ。その上、スクーカムの手のひらにすっぽり収まってしまいそうなほど小さな、子猫。はっきりとした色の白猫と黒猫だった。


 白猫が「みゃー」と、チャトランの鳴き声とはまったく違うか細く高い声を上げ、ブルーの瞳でスクーカムを見つめている。


 黒猫の方は小さな鼻をヒクヒクとさせ、スクーカムの匂いを嗅いでいた。

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