第三章

平民街の猫事情(1)

 ソマリがサイベリアン王国にやってきってからひと月ほどが経過した。


 離宮での、コラットとチャトランとの生活にも慣れてきたところだ。時々やってきてチャトランを見に行っては妙な反応をするスクーカムについては、何を考えているのかいまだによくわからないが。


 王太子の婚約者として移住してきたのだから、王家周りへの挨拶や茶会の誘いなどはあるだろうなど考えていたソマリだったが、ここ一か月一度もそんな話は出なかった。


 不思議に思ってスクーカムに尋ねたが、軍事国家であるサイベリアンでは催し物の頻度が極端に少ないらしかった。


 また、男たちは皆いかに自分が強くなるか、サイベリアンを強国にするか、というふたつの思考で脳内を支配されているらしい。よって王太子の配偶者が誰かなんて、皆あまり興味がないようだった。


 驚くべきサイベリアンの習わしだが、ソマリにとっては放置される方が都合がいい。ただ猫と触れ合えればそれでいいソマリには、貴族の風習など面倒なだけなのである。


(来たばかりだから、目立つような行動はしばらく控えないとって思っていたけれど。ここまでみんなが私に興味がないのなら、多少冒険しても大丈夫よね)


 そういうわけで本日、ソマリはコラットを連れて忍びで平民街に赴くことにした。ある目的のために。


 町娘が着用しているような簡素なデザインのワンピースに着替えたふたりは、離宮を抜け出した。


「王太子の婚約者が、こんな格好で街を訪れていいのですか? 護衛も連れずに……」


 ソマリに押し切られる形で街に向かうことになったコラットは、不安げに言う。


「だって、護衛をつけて王太子の婚約者丸出しの服装で行ったら、みんな警戒しちゃうじゃないの。私は普段の街の様子が見たいの」

「はあ、そうでございますか……。このことをスクーカム様はご存知で?」


 もちろん彼は知らない。さすがに丸腰で平民街に赴くなんて言ったら、恐らく許可してくれないだろうし、たとえ許してくれたとしても護衛を付けられてしまうだろう。


(まあ、こっそり行って帰ってくれば何も問題ないでしょう)


「知らないけど。私の好きなようにさせてくれるっていうのが婚約の条件だし、大丈夫大丈夫!」


 たぶん、きっと、そうだと思う。半ば自分に言い聞かせるようにソマリは言う。


「うーん……。しかし危ないのでは」


 まだ煮え切らない様子のコラット。ソマリの侍女として、安全を第一に考えてくれているからだろう。――しかし。


「コラット。今日は猫ちゃんに会いに行くために平民街に行くのよ」

「え!?」


 ソマリの言葉に、コラットが目を見開いた。


「貴族街には猫ちゃんを入れてはいけないし、侵入した猫ちゃんは処分されてしまうけれど……。平民街はそれほど厳しくないわ! きっとその辺にいるはずよっ。フレーメン王国ではそうだったし! もしおうちの無い猫ちゃんがいたら、離宮に迎えましょう」

「なんと!? 猫が目的だったのですねっ。それならば多少の危険を冒してでも行かなくては……! いえ、行くべきですっ。もう、それならそうと早くおっしゃってくださいませっ」


 自分と同じくらい、猫に陶酔しているコラットはあっさりとソマリの意向を汲んでくれた。


 そう、ソマリが本日平民街に向かう目的は、猫に出会うためだったのだ。


 フレーメンの平民街のように、きっとサイベリアンの平民街でのんびり暮らしている猫が存在しているはず。


 また、フレーメン王国の民と同様、猫のかわいさに魅了されて隠れて飼っている者もきっといるだろう。


(サイベリアン王国の猫ちゃん……! フレーメンの子とはどこか違うのかしらっ? ああ、早く会いたいわっ!)


 わくわくしながら平民街へと入り、猫がいそうな路地裏や軒先などを歩いて回るソマリとコラット。だが、しかし。


「猫、全然見かけませんねえ……」

「うーん、おかしいわね……」


 平民街の中心にある教会の鐘がすでに二度も鳴っているが、その間ずっと猫を捜しまわっていたというのに一匹も見つけられない。


(おかしいわね。フレーメン王国では、少し歩けばその辺にいたのに……)


 まさかフレーメン王国と違って、サイベリアンでは平民街でも猫の侵入を厳しく取り締まっているのだろうか。


「私も元々貴族令嬢ですし、没落後も王宮でずっと使用人をしていたので、平民街についてはあまり詳しいことはわかりませんが……。サイベリアン王国には猫は存在しないのでしょうか?」

「そうなのかしらね……」


 不安げに尋ねてくるコラットに、ソマリは溜息交じりに答える。


(平民街にも猫ちゃんがいないの? ああ、お家のない猫ちゃんを拾って自分の子にする計画が……!)


 悲観しながらも、飲食物が売られている露店の四輪車の下を、ソマリが屈んで見てみると。


「あ! いたっ。いたわよコラット!」


 覗き込んだ四輪車の下には、とてもふくよかな白と黒のブチ猫が丸くなっていた。


 外で生活している猫は、屋内で人間に世話をされている猫よりも危険な目に頻繁に遭うため、眼光の鋭い個体が多い。ソマリが今見つけたブチ猫も、尖鋭な視線をこちらに向けて警戒しているように見える。また、被毛の白い部分は少し汚れていた。


 客観的に見れば美しいとかかわいいとは言えないかもしれない。しかしなぜ、こんなにも愛しい気持ちが湧くのだろう。

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