鬼のいざない

小紫-こむらさきー

壱:守り鬼

 父上が死んだ。


 色褪せた茜色の髪の逞しかった父上は、村を襲った悪鬼と戦って腕を失ってから急に生きる力が抜けていったかのようだった。

 つい先日までの荒々しく豪胆だった父上は、うわごとのように庭に植えてある柊の木のことを気にしていた。そんなに植物に関心など見せなかったくせに……。

 それからさらに口数も減り、食欲もなくなった。いよいよ死ぬのだろうと医者と祈祷師が口を揃えて言った翌日だった。

 僕を呼んだ父上はすっかり覇気の失せた金色の瞳で僕を眺め、最期に一言だけ告げた。


「お前にアレをやるのは惜しいがそれが契約だ」


 そのまま眠るように息を引き取った父の体は、見えない何かに囓られるように消えていき、骨の一欠片も残さず消えた。

 あまりにも不気味な現象が起きたことに驚いて言葉を失ったまま立ち尽くしていると、背後から祖母の声が聞こえてきた。

 

「恭一郎も、あの人と同じ死に方をするのね」


 驚きすぎて、扉が開く音にも気が付かなかったみたいだ。

 祖母は首筋にある生まれつきあるらしい赤い痣をさすりながら、小さな声でそんなことを漏らす。それから袖から小さな金色の鍵を取りだして僕の手に握らせた。


「怜一さん、蔵の地下へ行きなさい。女中も乳母も連れて行ってはいけませんよ」


 祖母が僕の名前を呼ぶなんて珍しいことだった。いつもは「困った子」だとか「アレ」呼ばわりだって言うのに。

 鍵を握りしめたまま動かない僕の背を押して部屋から出した祖母は、緋色の瞳をキッとつり上げながら厳しい口調で更に続ける。


「すぐに行きなさい」

 

「は、はい」


 勢いに気圧されて、僕は駆けだした。階段を転がるように降りて、僕を呼び止める乳母のことも女中のことも無視して蔵へ向かう。

 僕が祖母から行きなさいと命じられた場所は、本来なら立ち入ることを禁じられていた場所だった。

 僕が蔵へ近付こうとすると、父上が不気味に輝く金色の瞳で睨みつけてきたことを思い出す。あの瞳に見られると、触れられてもないのに息が詰まりそうになるから怖くて嫌だった。

 蔵には何が閉じ込められているのかは知っている。

 かつて村を襲った悪鬼。そして、今は僕の一族に力を与えて魑魅魍魎から村を守る為に力を授ける守り鬼……。

 そして、それがとても美しいものだというのも村の男たちが話しているのを聞いたから知っている。夏の祭りでは、本家の当主と成人した村の男たちだけで守り鬼を夜通しまぐわうことでもてなして加護を授かるんだってことも。

 汗ばむ手で鍵が滑りそうになる。古めかしいのに錆一つ無いヒイラギの細工が彫り込まれた金の錠へ鍵を差し込もうとするけれど、指先が震えて狙いがズレる。

 守り鬼に会うことを強く望んでいたはずだった。怖がってはいられない。

 僕は守り鬼と手を組んで、この村を滅ぼすのが夢なんだ。

 父上にも祖母にも乳母にだってバレていない。

 僕の恋人でもあったキヨコと相談をしていた夢だった。キヨコと駆け落ちをするという夢は、もう叶わないけれど。

 

「怜一さん」


 そう言って眉尻を下げてへらりと笑う彼女を思い出す。

 キヨコは祈祷師の娘だったらしい。余所の村から引き取られてきたこともあって、鬼に魂も死後の体も食われる村の人たちのことを気の毒だとなんども憐れんでいた。

 骨も肉も残らず、地獄に落ちて罪を償えもしない魂は可哀想だと泣くキヨコをよく覚えている。そのキヨコは……去年の暮れに村の誰かに乱暴をされて死んだ。

 次男とその取り巻きがやったという噂だったが、父上は女中が死んだくらいで一族のものを咎めるつもりはないらしく、犯人捜しも行われなかった。

 乱れたキヨコの衣服と腫れあがった顔、蝋人形のように青白くなった彼女の遺体を思い出しながら、僕は息を整える。

 キヨコの遺体が川に棄てられる前に、こっそり切り取った着物の切れ端は大切に引き出しの奥へとしまってある。


「この村を滅ぼそう。それから、キヨコの形見を彼女が見たいと行っていた都の桜並木に埋めてやるんだ」


 そう決意を固めた僕は、カチャリと硬い音を立てて開いた錠を外して扉を開く。すると、石造りの階段が地下へ続いていた。真っ暗な階段の下からは冷たい風が吹き上げて僕の茜色の髪の毛をふわりと持ち上げる。


「鬼とまぐわってはいけないわ。あなたの魂も囚われてしまうから。怜一さんなら強く気を持っていれば鬼に惑わされはしないだろうけれど」


 そんなことを言っていたキヨコのことを思い出しながら、僕は扉を閉めて内側から鍵をかけたあと、壁に掛かっていた提灯に火を付けて地下へ続く階段を下りていく。

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