二
「そうそう。そんで周りの出店と揃って提灯飾りを出そうと思ってさあ。道具屋があるって聞いたから、ダメ元で来てみたんだけど」
「ああ、ありますよ。ちょうどさっきも同じような御用の方がいらっしゃっていましたので、蔵から出してます。ご覧になりますか」
「すみませーん。こちらで金槌を売ってるって……なんであんたここにいるの。あら、みーちゃんも」
「ちわ!」
「いっつも来てるし」
「いらっしゃいませ。金槌でしたらこちらの棚に揃えてありますので、どうぞご覧になっていってください。一緒に釘等もご入用ですか?」
「ああ、どうもすみません。いやね、材木屋さんとか大工さんにどうですかって訊いてみたんだけど、やっぱり当日は忙しくなっちゃうみたいで。ある程度は自分たちで組み立ててみるしかないかなーって来てみたんだけど。細かいところは全然」
「でしたら、寸法等についてお伺いしてもよろしいですか。その他必要なものをこちらでご用意――」
「そう、この紙は燃えないんです。こうやって火が直接触ってもほら。これなら素人が一から作っても火事にはなりません。お時間に余裕が取れるなら、こちらでご自分で組んでいただくのもいいでしょうね。折角のお祭りですから」
「へええ、こりゃ随分便利なのがあるもんだ。舶来品かい?」
「いえ。西ノ丸の方でむかーし流行った伝統品で、今はもう作り手が少なくなってしまったんですが――」
「あのー。こちらで鉄板を貸していただけるって聞いたんですけど」
「ああ、はい! ありますよ! そちらの机の上に質問用紙がありますので、出店場所や調理物等、ご記入の上でお待ちください」
「ああー……。やっぱり自分だけでやるのは難しそうかも。どうしようかなあ」
「てんちょーにやってもらえば?」
「店長さん?」
「なんでもできるよ」
「よろしければ、事前設営も含めてご案内いたしましょうか。今ここに並べてある以外にも、うちの商品でもっと簡単に組めるものがありまして。少々割高にはなってしまうんですが、そちらでしたら当日うちの店主もお手伝いできる時間が作れますし、もしかすると一度見ていただければ――」
❀
「ほんとに道具屋だったんだ!」
「何だと思ってたんだ、今まで」
「遊び場」
夕方になる頃にはすっかりぐったりして、櫻子は机に突っ伏したいような気持ちで帳場に座っている。
子どもたちも――いつもだったら気温の低下を察知して外遊びに繰り出している時間なのに、今日は物珍しかったのか――店の中に残っているというのに、思わず溜息だって吐いてしまいそうになる。
「すみません、肇さん。私、お祭りのことは全然わからなくて……」
「いやいや。ものすごく助かりましたよ。後半なんかもう、櫻子さんの方がお客を捌いてくれてたじゃないですか。私の方は混んじゃって混んじゃって」
「それは肇さんが難しい注文を引き受けてくれていたからで――」
いつもなら押し合いへし合いするところだけれど、今日は続かない。
とうとう、ふう、と櫻子は息を吐いてしまう。
「大変ですね。これから夏祭りの日までこの調子だと」
「いやあ、全くです。道具屋ってこんなに大変な仕事だったんだなあ」
「なんかてんちょーすごいこと言ってない? 今までなんの仕事してたの?」
「私たち、お手伝いしましょうか。いつも最見屋さんで遊ばせてもらってるし……ねえ、みんな」
幸多は茶化す一方で、郁は心配してくれている。
呼び掛けられた子どもたちは、どちらかと言えば心配よりもお店屋さんごっこへの興味が大きかったのだろうが、元気よく「いいよー」「手伝うー」と言ってくれる。
それでちょっと、櫻子も肩が軽くなった。
「大丈夫だよ。ありがとう」
夕方だから、子どもたちはもう帰る時間だ。
また明日、と幸多が手を振る。何か困ったことがあれば、と郁が礼をする。櫻子はみんなありがとうねと、肇は気を付けて帰るんだぞと手を振り返す。
桜の木の向こうに、子どもたちの姿が消えていく。
うん、と肇が背伸びをした。
「これじゃあ当分、翻訳の仕事は止めておいた方がよさそうですね。祭りの日までに倒れてしまいます」
「ですね。出店もどうしますか?」
「やめておきましょう。お面も蔵にあるにはありますが、この分だと自分たちでお店を出すより、人のを手伝っていた方が知名度は良くなりそうです。……しかし、気付いたんですが」
「何ですか?」
「もしかすると、何でもありすぎるのが良くなかったのかもしれませんね。うちは」
視線を送れば肇は、というのもですね、と続けてくれた。
「今回は『祭りに必要なものがある』と思ったからお客さんが来てくれたわけですけど、これに限らずそういう需要に合わせた売り込みができるだけで全然客入りが変わりそうじゃありませんか。そうなると『あるものはある』『ないものはない』という身も蓋もなさ……というか、印象付けがあまり良い方向に働いていなかったんだろうなと」
言われてみれば確かに、と頷く。
「難しいですね。本当に何でもあるようなお店なんですけど」
「店構えもこれですし、かえって何もなさそうに見えてしまっていたんでしょうね。そうして皆さんちゃんとした専門店へ……いや、うちも専門店なんですけど」
「そうですね」
でも、と。
夏に咲く桜の花びらを見つめながら、櫻子は言った。
「これだけ人が来てくれているんですから。もしかしたら、専門の方のお客さんも来てくださるかもしれませんよ」
ですかね、と肇が笑う。
きっと、と櫻子も微笑む。
そして二日後、その言葉は本当になる。
❀
「どこまで行っちゃったんだろ」
と櫻子が不安がるのも無理はなく、早朝から肇の姿が消えていた。
消えた理由については、幸いなことに知っている。松波――自治会役員の彼が店まで来て、ちょっと頼み事があるから来てくれないかと誘い出してきたのだ。運営側の仕事までとうとう頼られるようになったのか。そう考えて櫻子は、「いってらっしゃい」と彼を見送った。
しかし、そろそろ子どもたちがやってくる時間になるというのに、肇がまだ帰ってこない。
子どもたちを店の中に入れるのはいい。もうすっかり気心も知れているし、そもそも肇がどこかに出掛けているような日は、そのまま櫻子が一人で店番をしていることだって少なくない。
しかし、少しずつ訪れる人は減ってきているとはいえ、まだまだ祭りの関係で新たな客がやって来ているのだ。大体の値付けと物のある場所はわかっているけれど、それでもまだ、特殊な要望をされれば一人で対応するのは難しい。
もしかして、夜まで戻って来なかったりするのだろうか。
少し不安になって、櫻子は帳場から立ち上がった。
別に、そこまで行けば姿が見つかるというわけでもなかろうに。何の意味もないと自分でわかっていながら、櫻子は庭先に出て行く。桜の木の下に立って、白い花の降るのに髪を晒しながら、門の向こうの道を見つめてみる。
当然、肇の姿はない。
代わりに一瞬、さっと頭上を掠める影があった。
鳥だろうか。思うでもなく、ただ自然な動きとして櫻子はその影の主を確かめようとする。
空に目を上げた。
「あれ? 今の最見屋って女なんだっけ」
桜の木の上に、真っ黒い髪の女が立っている。
きらきらと夏の日差しに艶めく、実に美しい髪の持ち主だった。しかし服装と手足の伸びやかで軽々としたところは、どこのお嬢様とも見えない。彼女は桜の枝に足をかけると、口を大きく開けてこちらを見ている。
妖だ、と。
いくら何でも、櫻子にもわかった。
「い、いえ。私はただの従業員です。店主の最見は今、外に出ていまして――」
言ってから、言わない方がよかったかもと気付く。
けれど樹上の女はそれを気にした風でもなく、
「あ、そう。んじゃもしかして、妖がどうとか知らない? あたし、今こんな風に出てこない方がよかった?」
「大丈夫です。事情については、ある程度聞いています」
「そりゃよかった」
女が空から落ちてくる。
受け止めようとか、危ないとか、そんな気持ちがさっぱり起きない。そうなるだろうなと思った通りに、女は軽やかに着地する。それから彼女はくいと親指でその桜を指差して、
「ほら。夏なのに咲いてるのがあるじゃん? もしかして最見屋がまた開いたのかなと思って寄ったわけ。あたしのこと、あの女から聞いてたりする?」
いえ、と櫻子は言おうと思った。
しかし、一つ気にかかることがあった。目の前に降りてきて、女との距離が近くなって、間近で見たからわかったこと。
髪が、
「――待って。もしかしてあんた、あたしの櫛使ってる!?」
先に女が言い出した。
彼女は一気にこちらに距離を詰めてきて、
「わー! 使ってる人、自分で初めて見たわ! え、どうどう? やっぱり良くない? 結構あたし、髪には自信あるんだけど!」
「は、はい」
肩まで掴まれる。
気圧され気味になりながら櫻子は、
「本当に、助かってます。日々、これがなかったらどうなっていたかと思うばかりで」
突然のことながらも、言うべきことはしっかりと口にする。
いつか、こんな日が来るかもしれないとは思っていた。妖由来の品なのだったら、その妖に会うこともあるかもしれない。自分の髪を染めてくれたあの櫛を、最初に生み出してくれた誰かと、こうして面と向かうこともあるかもしれない。
今がそのときなら、伝えなくちゃ。
「あなたがいてくれてよかったと、毎日思っています。本当に、ありがとうございます」
深々と頭を下げると、「あはは」と声を上げて女は笑った。
「こんな褒めてもらえたら気分良くなっちゃうよ! 何々、あたしのことおだてて何かせしめようとしてる? 今度の最見屋はずる賢いな~」
「いえ! そんなつもりじゃ、」
「って、最見屋じゃないんだっけ! まあいいや。ねー、髪見せて。あたしも自分の櫛使った人がどうなったか見てみたいわ」
はい、と頷けば、もう櫻子がすることはない。
すい、とそれこそ飛ぶように女は近付いてきて、まじまじと髪を観察し始める。
「へー。よくこんなムラなく染まるね。あれ、結構色移すの難しいと思ったんだけど」
「やってくれたのが、とても器用な方で」
「最見屋?」
はい、と答えれば、ふうん、と女は、
「ていうかあんた、髪すごい綺麗だね。色はあたしのだけど、他は自前でしょ」
「あ、ありがとうございます」
「大切にしてるのがわかるよー。大変だよね、毛づくろいって。あんたみたいな子って昔だとこれでもかってくらい伸ばしてたんだけど、今は何。やっぱりこういうカイメイテキな髪型が流行ってるわけ?」
「…………」
「ん?」
「あ、えっと。そうですね。少しずつ、こういう髪型も増えてきたと思います。まだ珍しいですけど」
じゃあなんで、と訊かれるかと思ったら、訊かれなかった。
しばらく、あれだけ言葉の多かった女が急に喋らなくなる。じっくりと髪を見るのだけは続いて、思わず櫻子が身じろぎをしたとき、
「そっか」
女が言って、顔を離す。
それから、頭を撫でてきた。
びっくりして、櫻子は動けもしない。一方で女は、全く害意のなさそうな顔だった。微笑んで、それこそ毛づくろいするような優しい手つきでずっと、櫻子の髪を撫でている。
何かを言うべきなのか、何も言わないべきなのか。
迷っている内に、次の一言が桜の下に現れる。
「こら、鴉」
男の声だった。
お、という顔で女――鴉は手を離す。頭が自由になって、だから櫻子も振り向く。
知っている顔だった。
「稲森さん」
「どうも、櫻子さん」
「狐じゃん。あんたも最見屋――って、あんたの名前、櫻子っていうの? 可憐だね」
「あ、ありがとうございます」
「そうやって手当たり次第にちょっかいをかけてるから、いつも痛い目に遭うんですよ。君は」
「そういうあんたはいっつも抜け駆け。なんで最見屋が開いたって教えてくれなかったわけ?」
「ずっとこのあたりにいたからたまたま知っていただけです。すぐに居場所がわからなくなるような君たちと違って、僕は情が深いんですよ」
古い知り合いなのだろうか。
稲森と鴉の間で話は弾む。会話が行き交うたびに櫻子の視線は右へ左へ。やがてふと思い出したように稲森が、
「そうだ。さっき伝言を頼まれてきたんです。肇くん、もう少しで戻るそうですよ」
「本当ですか。ありがとうございます、わざわざ」
「最見屋が来んの? へー。じゃあ見てこっかな」
「あ、でもそろそろきっと、お客さんが来てしまうので。もしよければ、中に上がって奥でお待ちいただいた方が」
「いや、僕はこれだけで帰りますよ。どうもお忙しいみたいですし」
「忙しい? うわ、最見屋に一番似合わない言葉かも。今ってそんな繁盛してんの? やめといた方がいいよー、商売上手な奴は。こいつみたいになっちゃうから」
「いいじゃないですか、僕みたいになるなら」
いつもはそんなでもないんですが、と櫻子は悲しい断りを入れてから、
「夏祭りが近いので、その準備で忙しくなってるんです」
「夏祭り?」
「ああ、最見屋も参加するんですね。チラシが張ってあるのを見ましたよ」
「はい。と言っても、出店なんかは出さないつもりなんですが。今回は色々と裏方で仕事があって」
「それいつ?」
鴉に訊かれて、櫻子は答える。
すると彼女は、いかにも「面白いことを思い付いた」というような顔になって、
「こら、鴉。また君、余計なことを思い付いたな」
「櫻子、あたしあんたのこと気に入ったわ」
「え? は、はあ……ありがとうございます」
「だから他の妖も、夏祭りに合わせて呼んできてあげる! ほら、最見屋がまた開いたってまだ知らないのもたくさんいそうでしょ! 商売繁盛! あたしっていいやつだから!」
止める暇がなかったのか、それとも止める理由が見つからなかったのか。櫻子は自分でもわからない。
ぴょん、と鴉が跳ねた。それを目で追おうとすると、もう黒い羽根が一枚宙に舞うのみ。一瞬の影を残して、彼女は去って行った。
呆然としていると、稲森が、
「……ま、肇くんに任せておくといいですよ。鬼の相手ができる子ですから。大抵の妖は来ても問題ないでしょう。っと、子どもたちが来たようですから、僕もこれで」
ぽん、と狐に変わって森の中へ消えていく。
呆然の重ね掛けだ。あまりにも突然に始まって突然に終わっていった時間の余韻に、櫻子は佇む。やがて稲森が言った通り子どもたちがやって来て、今日は幸多よりも先に郁が駆け寄ってきた。
「櫻子さん! ……どうかしました?」
「ううん。ちょっと、」
それでようやく、我に返って櫻子は言う。
「どういうお店で働いてるのか、思い出してただけ」
その後、やはり稲森の言った通りに、そう間を置かずに肇が帰ってくる。
こっちであったことを話す前に、櫻子は「何の用事だったんですか」と訊ねた。
すると、肇はこう答える。
「幽霊騒ぎだそうです」
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